其の十五:酒に酔って候

 顔合わせも済ませ、栄の毒によるも済ませたところで、ワタシはようやく気を休める事が出来た。何だかんだふざけた口調でいれど、管理人に成りたて…いや、なるかならないかの分水嶺にいる者は何をしでかすか分からない。人間ほど、怖いものは見たことが無いのだ。


 だが、記録帖に名を書いて、少し経ってしまえば、その危険性もある程度は減ってくる。だからワタシは、僅かに肩を緩めて、今日も愉しい宴に興じよう…と思っていたのだが…


「おぃ!酒!足りてねぇぞ!テキパキ働けやぁ!」


 隣に座った男が、解けたはずの緊張の糸を、元に戻してくれた。栄の毒にやられて一度死んで蘇り…そこからヤケ酒の様に酒を煽ってたったの一杯。瞬く間に公彦の顔は真っ赤に染まり、気付いたころには目も据わり…次の瞬間にはと呼ばせぬ程に暴れ出したのだ。


「おーいぃ!そこの、呆け男ォ!鶴松とかぁ言ったなぁ。テメェ、何して佐渡に飛ばされたんだ?あぁん?」


 すぐさま危険を察知して、事を…栄の方に身を寄せたワタシ。それが正解だと思い知ったのはすぐ直後の事。一杯の酒でフラフラに成り、タカが外れた公彦は、目の前で呆然とした表情を浮かべた鶴松に的を合わせたらしい。


「佐渡に飛ばされてんだァ。滅多な事じゃァねぇよなァ。死なねぇ程度に馬鹿やったんだろ?えぇ?」


 バン!と空になった酒瓶を机に叩き置くと、掴みかからん勢いでそう叫び、目の前に置かれた握り飯を一気に頬張る。公彦のに、ワタシ達一同は全員呆気に取られて、場は暫く公彦の独壇場と化していた。


「あぁ。いや、まぁ…確かに。盗みも殺しもしてねぇが…」

「だろうなぁ!それすらも出来ねぇ根性無しが送られる所だからなぁ!何しやがった。只の家無しが連れてかれただけじゃねぇか?」

「この…」

「このじゃねぇんだ!テメェ良いカッコしてっがなァ!。テメェ等見てぇなのが一番扱いづれぇんだぜ。何するにしても言う事も聞けねぇ。一度佐渡へ行ったから知ってんだい!」


 鶴松を睨んでそう叫び、絶叫する公彦。奴の記録を見て、佐渡に行ったことがあるのは知っていたが…そこで何かあったのだろうか。ワタシは横で管を撒く男からじりじりと距離を離すと、漬物を食べつつ栄の方に助けを求める目を向けた。


(もう一度アイツに毒盛るしかねぇぜ)

(残念だな。手持ちはあれで品切れだ)


 目と小声を合わせた会話、栄はすまし顔でワタシにそう告げると、酒の入ったお猪口を手にして酒を進める。


(酒癖の悪い男など、今に始まった事でもないわ。慣れよ慣れ)


 余裕綽々な栄の様子。ワタシは呆然と彼女を見つめると、身を栄に寄せたまま、自らの方へ火の粉が来ないことを祈るしかなかった。


「話も通じねぇ、サボりばっかだ。んな連中の一匹二匹、試し斬りの的にしてやりゃ良かったぜ…」


 言ってる事に中身は無いのだが、酔いの勢いに任せたで鶴松を黙らせている公彦。鶴松もそれなりに荒れていた男なのだが…不意打ちに近いとはいえ、そんな奴を黙らせるとは、こ奴も中々にがある男の様だ。


「そうだ!そこの小童!さっき何か含みがあったなぁ…鶴松!紅蛍ってのぁ何だ?」


 標的変更…鶴松は僅かに安堵の溜息を付き、曖昧な笑みを浮かべたまま展開を見守っていた螢の表情は一瞬の後に雲っていく。


(これ、順番的にわっちに来るかの?)

(いやぁ、ワタシじゃねぇの?今の奴にゃ怖いもの無しだぜ)

(原因は?元からか?それとも裏切りのせいか?)

(どっちも…と見た。記録帖で見た以上に短気だもの)


 椅子をずらし、距離を取って様子を見るワタシと栄。公彦はワタシ達を意に介す事無く、螢に視線を合わせて動かさない。


「あー、ソイツァだな…」

「鶴ちゃん。変わってあげる。ボク、盗賊だったのさ。箱根の辺りで…」

「箱根だぁ?分かったぜ!テメェ、くれないの奴だなぁ!?」


 動揺する鶴松、観念したように話す螢…そして、螢の話した僅かな内容から、螢の居たを言い当てる公彦。螢はこの中でもワタシに次ぐ古参なのだが、奴の居た賊はまだまだ勢力を保っていた様だ。


「え?まだあるの?」

「あるもなにも。テメェ等最近江戸にまで出張って来てやがるんでぃ!この間しょっ引いた女も紅葉の墨入れてやがったなぁ…下衆い連中だ」


 公彦は酔いの中にも、何処か面を見せながら螢に睨みを効かせる。


「小童の姿ってこたぁ、テメェがその姿なのは墨見せねぇ為か」

「いや、違うんだけど…」

「違うだぁ?だったら何ヨ?小童がのか?え?」

「あー、うん。まぁ…」

「口ごもってんだよ!貧乏しか襲わねぇ筋無し共めが。そうかそうか。ソイツも随分と良い傷、脛に持ってんだなぁ…」


 一人勘違いした結論を下した公彦は、追加で運ばれてきた酒瓶からお猪口に酒を注ぐと、一気にそれを飲み干した。


「なるほどなぁ…確かに分からねぇわなぁ。んな人でなしでもこうなれるんだ」


 顔を真っ赤にして、フラフラに成りながら呟く公彦。その前で、鶴松も螢も、顔に僅かに青筋を立てているのだが…すぐに何かをしようと思っている訳でも無さそうだ。


「テメェら、後で一度斬らせろやぁ。俺がテメェらの罪の分だけ…を入れねぇとなぁ…」


 面倒なことを呟く公彦。据わっていた視線も、段々と泳いできている。まだ三杯程度なのだが…流石に酔いが回り過ぎではないだろうか。


「流石の鶴松も螢も、役人には頭が上がらないままの様じゃな」


 その様を横からずっと見ていた栄が、三人の黙り込んだ隙にそう言って笑う。ワタシも彼女に釣られて笑ったが…鶴松と螢は顔を少し赤くしたまま、今にも公彦に飛び掛からん勢いで身を乗り出していた。


「止めとけ止めとけ。酒のせいじゃ。ちと、ここの酒は強いんでな。それに、お主ら、当たらずしも遠からず…怒る道理は余り無い気がするのじゃがのう…」


 鶴松と公彦を弄りつつも、僅かに煽る様に言って笑う栄。ワタシは茶を飲んで場の成り行きがこれ以上厄介な事にならないよう、祈るほか無かった。酒がそれぞれに入った今、立場が一番弱いのは、このワタシなのだから。


「良い事言うじゃぁねぁかぁ。異議を立てる道理はねぇんだ…」


 公彦は栄の言葉に同調しながら、更に酒を煽り…四杯目、五杯目を立て続けに飲み干した。


「ほぅら。酒!足んねぇぞぉ~。っと花魁女が居たなぁ…注いではくれねぇのかい?」

「わっちはもう花魁では無いのでな。おい!この男に酒じゃ!運と強いの持ってこい!」

「へっ…花魁じゃねぇってことは、身請けでもされたのかぁ…」


 公彦は一人合点しつつ、空になったお猪口を振って、そしてふと事を言ってしまう。


「となると…テメェ、幾つだ?若作りってのぁ分かってる。どんだけ年増ババァなんだ?」


 その言葉の直後、ワタシ達の周囲どころか、更にその周囲で酒を飲んでいた者達や、感情が無いはずの抜け殻ですら黙り込むほどに、場の空気が冷え込んだ。


「そうだねぇ…」


 凍り付いた空気の中。栄は抜け殻から運ばれてきた酒瓶を変わらぬ様子でと、全く笑っていない目を公彦の方に向けて、口元を目一杯歪ませてこう言った。


「わっちの酒を全て飲み干せたら、教えてあげない事もないけどねぇ…」

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