其の七:蕎麦食って候

「よう、蕎麦をくれ。その前に茶を…あぁ、あと、そこで黄昏てる男にも茶を一杯」


 風呂から上がったワタシは銭湯の二階へ上ると、ここで働いているに注文を付けた。


「なんか食いもんでも頼んでれば良かったのによ」


 窓際の席に座り能面を貼り付けて外を眺めている男の向かいに腰かける。ワタシが茶化すように言うと、公彦は僅かに首を傾げて見せた。


「仕組みが良く分からねぇからな」

「それもそうか。あそこに頼めるもんが書いてるんだ。ま、好きなもん頼めや」


 そう言った直後、抜け殻の男が2人分の茶を持ってきてワタシ達の前に置いて去って行く。公彦が驚いた顔を見せてワタシの方を見やると、ワタシはニヤリと笑って「飲めよ」と合図を出した。


「遠慮は要らねぇ。管理人である以上、位に上下は無く…出来る贅沢は功績の分。働いた分だけ贅沢出来るが、じゃ贅沢にもなんねぇ」


 卓に置かれた茶を取って一口。程よく苦味の効いた茶の味が口内に広がった。ワタシは閑散とした周りを見て…そして窓の外を眺める。窓の外は中心街の大路に臨んでおり、数多の人々が行き交いする様が見下ろせた。


「…アイツら全部管理人だぜ。あぁ、偶に居る生気の抜けた奴ァ抜け殻だが」


 そう言うと、言った傍から抜け殻が眼下を通り抜けていった。公彦はそれを見止めたのか、ジッと眺めた後に渋い顔を浮かべる。


「位の上下が無いと言っていたが…抜け殻とやらを使って、良い思いをしている訳か」

「嫌味な言い方だな。アイツらも昔は管理人だったんだ。いわば成れの果てって奴よ」


 勘違いを正すと、公彦の表情は更に渋みを増す。そこでワタシの下に盆に載せられた大盛の蕎麦が届いた。ワタシはそれを見下ろし口元を綻ばせると、盆に載った箸を取って蕎麦を掴みあげる。


「色々と説明せにゃならねぇが…食いながらだな。おい、なんか食わねぇのか?管理人、死んでも死ねねぇが、腹は減るんだぜ?」

「…なら、鰻の蒲焼きを」

「おい!蒲焼き1つ!こっちにくれ!」


 想像していた通りの注文を付けると、公彦はバツが悪そうに辺りを見回した。ワタシはそれを見ながら蕎麦を一口啜った後、小さく喉を鳴らして笑う。


「あぁ、分かったぞ。女に奢ってもらうのがそんなに恥か?」

「うるせぇ」

「気にすんなって言ったろ?位の上下は無しだ。ま、歴の上下で似た様なのは出来るがな」


 蕎麦を食べ進めつつ、説明を挟んでいく。公彦は黙ってワタシの話を聞いており、先程の様に変な攻撃性を見せ無くなっていた。


「管理人は平時、殆どの時間をここで過ごすんだ。で、虚空記録帖からが掛かれば、各地に置かれたを辿ってに赴く。あぁ、現世ってなぁ、ワタシ達の言い方でな。決してここがって訳じゃねぇかんな。ワタシ達はちゃんと生きてるんだぜ。死ねないだけでな」


 そこまで言って、蕎麦を一口。この分じゃ、この量の蕎麦を食い切るにはそれなりに時間が掛かるだろう。ワタシは一度に掬う蕎麦の量を僅かに増やして口の中に押し込むと、頬を僅かに膨らませながら味わい尽くす。公彦はその様を見て僅かに引いた様な目をこちらに向けたが、すぐに表情を戻し、何かに気付いたかの様に眉を上げた。


ってなんだ。あれは只の本だろう?」

「…んっ。あぁ、只の本さ。実際に分かる。こればっかりはなってみねぇとな」


 虚空記録帖からの呼び出し…どんな時でも背筋が凍り付くあの感覚は、一度体感すれば嫌でも体に刻み込まれるだろう。ワタシの言葉に、公彦は僅かに頷くと、目で「その先」を促してきた。


「どうして記録帖なんてもんがあんのかは、ワタシも知らねぇ。そういうモンだと思うしかねぇ。あの本は現在過去未来、生きて暮らす者達が引き起こす全ての事柄を知ってる」

「白紙だったがな」

「筆で質問を書き記せば出てくんのさ。あの本の使い方は後で見せてやる。公彦の今までの一挙手一投足。寸分狂わず晒してな」


 ワタシの宣言に、公彦は僅かに眉を潜め口元を歪めた。


「ま、昨日の段階で、お前さんがどんな奴かは知ってるんだが。鰻、好きだったもんなぁ」


 公彦の反応を見て、それをおちょくると、奴はバツが悪そうに窓の外へ目を逸らす。ワタシは砕けた笑みを浮かべると、蕎麦を一口食ってから先を続けた。


「さて、この記録帖のことなんだがな。…あー、江戸やそこら辺に居る連中は知る由もねぇ。将軍だろうが天皇だろうが、知らねぇんだ。知る事も出来ないがな」

「…だろうな」

「誰も彼も行動をするんだ。だが、偶にその決まりを破る奴が居る」


 そう言うと、公彦は頷いた。


「それを取り締まるのがワタシ達の様なってなぁ訳よ」

「決まりを犯した奴全員がこうなるのか」

「いんや。それも記録帖の指示よ。記録を破った奴は、普通…ワタシ達の手で殺される」


 公彦の表情が僅かに曇った。それを見てもワタシは動じる様子も見せず、事も無さげに続けていく。


「虚空記録帖の記録を破るってのぁ大罪なんだ。どう足掻いてもには戻れず、自分はおろか他人にまで影響を与えちまうのさ。そんな奴ァ、生かしちゃおれねぇ。だから、普通は、殺すんだな」

「なら、俺はどうしてそうならなかった?」


 公彦から返ってくる当然の問い。ワタシは蕎麦を食べ、茶を飲んで一つ間を置くと、答えの代わりに肩を竦めて見せた。


「ふざけるなよ?」

「ふざけてなんかいねぇよ。ワタシも知りたいね。全ては虚空記録帖の言う通りなんだ」

「は?」


 思ってもみなかった答えと反応だったのか、公彦の勢いが削がれる。ワタシは表情を一つも変えず、僅かに殺気すら込めた目線を公彦に向けると、答えの続きを告げた。


「記録帖に選ばれた者の元にも管理人が送られる。そこで最後の試練だ。迎えに来た管理人を殺せるか?ってな。その結果が今だ。お前さんは、ちゃんとワタシを殺せた。だからここにいる」


 そう言うと、公彦は真顔のまま黙り込んだ。そこに抜け殻の男が盆を運んできて公彦の前に置いて去って行く。ワタシは盆に載せられた蒲焼きの湯気を見やると、作っていた表情を解いた。


「なんにせよ、お前さんはもう管理人になるしかねぇって事よ。御伽噺の如く、何時かは江戸に帰るんだなんて言うオチはやってこねぇぜ」

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