其の四:連れ帰って候

 目の前を舞い散る砂埃すらじっくり目視出来る程に狭められた世界の中、男を縦に真っ二つにせんと繰り出したワタシの太刀筋は、そんな世界でも揺れて見える程に鋭く繰り出された。


「!!」


 手応えのある一撃。目を見開いてにかかったワタシの手には、硬い頭蓋骨を叩き切る感触が返ってくる事だろう。そう信じて疑わなかった。


 だが、その一撃が決まる間際、目を大きく見開いた男の姿が僅かに揺れる。適当な長屋に追い詰めた男の背中が長屋の壁に当たり、その衝撃でワタシの太刀筋から男の姿が僅かにズレたのだ。


「むぅ…!!」


 斬撃は男を貫かず、長屋の壁に吸い込まれた。


「き、き、貴様ァ…」


 それだけでは終わらず、ワタシの体は何かに貫かれていた。


 長屋の壁に大太刀が刺さったまま、その太刀を深々とワタシの姿勢は、男に切り掛かった姿勢のまま。それを僅かに屈んで躱した男は、ワタシの懐に括りつけられていた脇差を抜いて、ワタシの腹へ突き刺したのである。


「良い位置に良い物が見えたのでな」


 傍目には抱き合う間近の様な格好…力を失い、痛みに顔を歪めたワタシを嘲るように見据えた男が軽い調子でそう告げる。そのまま男に蹴られ飛ばされたワタシは、刀を長屋の壁に残したまま、自らの脇差に貫かれた腹部を押さえたまま立ち尽くすしかなかった。


 止めどなく溢れる血。刺されて一閃、かき乱された内臓…それらが醸し出す痛み。男はワタシの様子を見ても尚表情を変える事は無く、打刀を手に、ゆっくりとワタシとの間を詰めてきた。


「良い格好だ。テメェみてぇなのはな、叩き切られんのがお似合いだ!」


 威勢の良い罵声と共に、男の打刀がワタシの体を切り裂いていく。一つ、二つ…脇差が腹に突き刺さったまま、ワタシは嬲られる様に左右へ揺られた。


「ンっ…グ…ゥ…ぬうぅ!」


 数発の斬撃の後、男の打刀が刺さった脇差のすぐ近くに突き刺さる。男にされるがまま、崩れ落ちる事も出来なくなったワタシは小路のど真ん中まで、刀を抜かれると同時に地に跪いた。


 丁度、男に首を差し出す様な格好だ。ワタシは痛みに目を見開き、刺さったままの脇差を抑えながら、止めどなく流れる血を眺める。その噴き出し口からは、内臓が僅かにはみ出ている様にも見えた。


「ちょっと…ここまでとはなぁ…」


 段々と視線が定まらなくなる中、首筋に生暖かい感触を感じる。ねっとりとした感触…それが血濡れた刀であることはすぐに分かった。刀に付いたワタシの血が、そっと首元を伝っていく。


「さぁ、まだぁ…終わってないぞ?ワタシを……殺しきれてないぜぇ…」


 首筋に生暖かい感触を感じながら、ワタシは傍に立ち尽くす男を煽りたてる。別にここから、もう一度仕切り直したって構わないんだ。そんな風に気が変わる前に…決着を付けて欲しいと思う間に…ワタシが男を間に…その刀を振るって欲しい。


「どうした寡黙同心。首を……落とすのは、初めてか?…やれよ。気が変わらん内に…な」


 威勢とは裏腹に、気持ちとは裏腹に、生気を失い弱々しくなっていくワタシの声色。そう告げた後に、首に感じていた刀の感触がスッと消えた時。瞼がゆっくりと閉じていく。


「!!」


 刀の感触が消え…五も数えぬうちに。ワタシの首は皮一枚を残し、綺麗サッパリ斬り落とされた。


「……」


「……」


「……」


 復活を遂げる前段階…ワタシの意識がへ戻って来た時。真っ先に回復した聴覚が、聞き慣れた声を捉えた。


「ほぅ…初瀬鬼人を相手にして、良くまぁここ迄やったもんさ。ま、ここで一回休みだ」


 それは、しゃがれた中年男の声。そしてその刹那、真夜中に響き渡る骨が砕け散った音。


「お千代さん、今回は長いのしか使ってないから、大分遊んだみたいだね」

「この同心。随分と良い扱いを受けておるな。わっちの時はあの手この手じゃったぞ?」


 更に聞こえてくるのは子供の声に、艶やかな女の声。そこまで聞こえて、ようやくワタシは体の自由を取り戻せた。


初音太夫はつねだゆうの時は、吉原の花魁だってんで大分温くしてやったつもりなんだがなぁ…優しさが伝わらないってなぁ、悲しいねぇ」


 斬撃を全身に受けて服が破れ、首を断ち落されてもこの通り。傷一つ、服の解れ一つ無い姿でワタシは、すぐ視界に入った花魁風の女にそう言い返すと、長屋に刺さったままの大太刀を引き抜き、背中に背負った鞘に収めた。


「でぇ、鶴松つるまつ。同心は?」

「この通りだ」


 刀を収めて、ワタシを来た連中の方に振り返ると、先程まで斬り合っていた相手は意識を失い、体躯の良い中年男に背負われていた。


「迎えは鶴松だけで良いって言ったろぅ?さかえほたるはどうしてここへ?」


 そう言いながら帰路の方へ足を踏み出すと、ワタシの横に人懐っこい容姿をした子供が並んでくる。


「だって珍しいじゃない。お千代さんがで管理人が出来るなんて」


 その言葉に同調するように、花魁の女がワタシの背後に歩み寄り、甘い声と共に肩を揉んできた。


「そうよ?大抵は機嫌を悪くして斬り捨てちまうのに。この同心の何処が良いんだか」

「栄さん、拗ねてるなぁ…かれこれ男に飽きてお千代さん狙いだして何年経つっけ?」

「螢…?」

「おっといけね」


 ワタシの横と後ろで繰り広げられる何時もの会話。ワタシは僅かに口角を上げる。


「栄。毒盛んのは、帰ってからにしな。ここはだ」


 そう言って肩に張り付いた栄の手を払う。月明かりの下でも、この人数ならば心細くもならないだろう。ワタシは皆の方を一度振り返ると、小さくお道化て路の少し先を指さした。


「あの家だったよな?のは」

「そうだよ、お千代さん。この辺りじゃあの家だ」

「すまねぇ、どうも、最近は景色が変わってきて敵わねぇや」


 そう言いながら、指さした長屋の扉の前で立ち止まる。一つ溜息をついてから、長屋の戸にそっと手をかけ…開く前。ワタシは今一度皆の方へと振り返った。


「大した事ねぇ仕事だってのに、随分と賑やかになっちまったな。どうだ?その同心家に置いたら、街に出て飯でも食わねぇか?」

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