其の三:斬り捨てて候

「さぁどうする?丸腰じゃ、お前さんがワタシを殺す事は出来ないぜ」


 大太刀を握る手に力が籠った。男は刀が僅かに音を上げたことに反応し、ひょいと背を向け駆け出す。更に逃げ出す際、路の隅に立っていた辻行灯をワタシとの間に倒して行った。


「時間稼ぎにすらならねぇぞ?」


 それなりに大きな辻行燈、ゆらりと倒れたそれを手にした大太刀で一閃。年季が入った、乾いた木で出来たそれは、綺麗に真っ二つに裂かれ路へ散乱する。さぁ、ここからは鬼ごっこの時間だ。


 逃げる男。追うワタシ。身軽な成人男に対して、重い大太刀を持った女のワタシは分が悪い。少しずつ離されているものの、それでも暗闇の奥に男の後ろ姿を捉えたまま走り続ける。大路を越えて、八丁堀へ繋がる橋を越えて…町家が並ぶ小路へ。


 どうせ家にでも逃げ込むつもりだろう。そう直感したワタシの読みは面白い様に当たった。屋敷の1つに駆け込んだ男は、ドタバタと音を立てながら家の奥へ消えていく。


「ふむ…いい家に住んでんだな。流石は役人」


 蹴破られた扉の前で立ち止まったワタシは、手にした大太刀を握りなおすと手持ち無沙汰に周囲を見回した。


「もう、からは隔絶されてるんだ。どれだけ騒ごうが、テメェの事を気に掛ける奴ァ…居ねぇんだぜ」


 男は大声も上げず、ただただ家の中から出てこない。物音が引っ切り無しに響いている所から察するに…得物を暗中模索…って所だろうか。ワタシは男が戸口から出て来るのを待ち構えている。男は逃げる気も無いだろう。逃げたところで、その先をどうするか?と考えた時、すぐ八方塞がりになることくらい、考えなくとも理解できる筈だ。


「部屋の整理は苦手な奴なんだろうなぁ…」


 呑気に小路のど真ん中に突っ立つワタシ。やがて物音が止み、静寂が辺りを支配し…そして戸の先の暗闇から、ゆらりと人影が現れた。


「いいねぇ。堂々とした男は嫌いじゃない」


 刀は既に鞘から抜かれている。暗闇から、月明かりの下に現れた男の手元には、程よく使い込まれた打刀の刀身が鈍く光っていた。


「お役人ってのぁ、山ん中まで逃げてどうこう出来るような頭はねぇからな」

「悪かったな。だが、テメェは少しばかり人を愚弄し過ぎた。叩き斬るには十分だ」


 初めて会話が成立したことに少し驚く。ワタシは構えを説かぬまま僅かに頬を緩ませると、僅かに後退して男の体が完全に小路に出て来る様に仕向けた。


「ちったぁ話さねぇと何考えてっかも分かんねぇ。鳴かねぇなら煽って鳴かせるまでだ」

「訳の分からねぇ事ばっか喚きやがって。黙って聞いてりゃ散々好き勝手煽りやがる」


 男は刀を正眼に構えると、そこから足を踏み出し一突き切先を飛ばしてくる。


「おっと」


 刀で返すまでも無く、一歩退いて突きを躱し…即座に一歩踏み出すを見せた。


「!!」


 男は僅かに反応を見せると、すぐに足を止めて正眼の構えに戻る。


「……」

「……」


 その直後、ワタシと男の間に僅かな静寂が流れた。互いに、剣の間合いにはとっくに入ってしまっている。3寸も無い僅かな間合い。ワタシと男は互いの目を見て、動きを牽制し合っていた。


 僅かな瞳の動きに反応を見せて、小刻みに構えを調整していく。脇に下ろした大太刀の向きを僅かに変えていく。ワタシが一歩退けば、男が一歩前に出て来る。ワタシが僅かに前にでれば、男は僅かに後退った。


 互いの僅かな動きが、相手の動きを変えていく。その動きを見て、最も形に持っていくために、ワタシも男も策を巡らせる。


「……」

「……」


 互いの息遣いすら感じ取れる間合い。息を合わせるも合わせないも互いの自由。瞬きはなるべく合わせたい所だが…目を見開き微動だにしない男の瞼を見ている限り、先に目を瞑るのはワタシの方になりそうだ。


 それまでには、ワタシの姿勢を整えておきたい所。ワタシは目線と足先、指の動きで男を牽制しつつ…僅かに腕を曲げ腰を引き、姿勢を正していく。


 僅かに左足を前に出して男の姿勢を僅かに歪ませた時。ワタシの瞼は僅かに閉じかけ薄目となった。まだ、男を視認出来る程度の薄目。男は僅かに顎を引いてワタシの目を凝視する。


「………」

「…ッ!」


 目を閉じると同時に勝負。目を閉じる寸前に見えた男の首筋目掛けて一閃…瞬きをする間に放たれた斬撃は男の首筋を斬り裂くことなく打ち返された。


 刀同士がぶつかる音が耳をつんざき、同時にワタシは腕を引く。見開いた目の前には男の放った刀の太刀筋がハッキリと見えた。


 体を切り裂かんと放たれた一撃を身を捩って躱し、仕返しに一撃大太刀を薙ぎ払う。乱雑に放たれた一撃、男は躱さず刀で受け、即座にワタシの体目掛けて切先を飛ばしてきた。


「!!」


 首筋目掛けて飛んできた切先。咄嗟にしゃがみつつ首を捩って躱したものの、僅かにブレた切先が左頬に一筋の切り傷を作って通り過ぎていく。


「……」

「……」


 怯まず再度大太刀を薙ぎ払い、大ぶりな斬撃と突きを交えた攻撃を何度も撃ちこみ男と距離を取った。


「ん…」


 一間程距離を取って再び均衡が訪れる。僅かな間…ワタシの左頬を血が流れ、その血は顎を伝って滴となり、青い着物に零れ落ちて紫色のシミとなった。


 ワタシと男の間に言葉は無い。男は自らの刀の切先に付いた僅かな血を一瞥すると、一度緩んだ構えを直し、一歩ワタシの方へと踏み出した。


 同時に鋭い太刀筋が襲ってくる。それを僅かな動きで後方に躱すと、大太刀を振るって刀を払いのけ、お返しと言わんばかりに刀を薙ぎ払う。


 首筋ではなく、胴を狙った斬撃。男は咄嗟に後ろへ跳ねてそれを躱し、再び間が空いた。ワタシは手に残った男の太刀筋の感触を体に染み込ませると、大太刀を握り直し、男の方へと足を踏み出した。


 やり口は大体わかった。ここらが潮時。ケリを付ける時。ワタシは今までの遠慮を取り払い、男との距離を一気に詰めて行く。


「ケッ!!」


 毒づいた男の目が僅かに開かれた。それすらも遅く感じる時の流れの中、脇に構えた大太刀を真横に切り付ける。甲高い音。それが事も織り込み済みの一撃だ。


 姿勢が崩れ、男が壁際に体を逸らし…刀が真上に弾かれた刹那。ワタシは足を踏み込んで、弾かれる以上の力を以て刀を振るい落した。


「!!」





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