第2話 カワゴエニュータウン



 親切な桑田さんが送ってくれたおかげで、2時間後にはカワゴエニュータウンに到着した。桑田父子に挨拶して別れたナツミは、教えてもらったとおり町役場を訪ねた。


 カワゴエニュータウンは街道沿いに広がる町で、道はレンガで舗装されていた。

 明らかに小江戸川越の再現を試みたようで、黒い壁の蔵造りの家屋が並び妙に懐かしい町並みだ。

 三階建て以上の建物はひとつもなく、街の中央は差し渡し100メートルくらいの円形広場になっていて、役場もその広場の一角にある。



 「あら珍しい、もう転移者なんて来ないとおもってました~」

 窓口の若い女性職員は目を輝かせた。

 「はあ」

 「それじゃさっそく、この用紙にお名前と……元のご住所、それに近親者、お知り合いのお名前をできるだけ記入してくださいます?ええと、川上さん、でしたっけ?ツルガシマの川上さんて有名ですけど――まあ遅くとも明日には迎えのかたが現れますよ」

 「明日ですか……あの~お恥ずかしながら、わたしおカネの持ち合わせがなくて……どこか過ごせる場所はございませんかねえ……」

 「あ、心配いりせんよ。向かいの宿場で新転移者さんのお世話してますから、どうかゆっくりなさって」

 「それはそれは、ご親切に」

 「近親者のかたから連絡があればこちらからお知らせします。何日かかかるようであれば補助金も支給されますので、どうかご心配なく」

 「はい、ありがとう」



 「新規転移者登録」の記入を終えたナツミは、広場を横切って町でひとつだけの旅館に向かった。


 広場も通りも人と屋台があふれかえっていた。


 (異世界、ねえ……)

 ナツミはただただ途方に暮れた。


 たしかに日本とは景色が違う……空の色も、空気も、どことなく違ってる。まだ狐に化かされてる感は拭えないので実感沸かないけれど。


 時間は夕方にさしかかろうとしているところで、買い物籠を下げた人や赤ちゃん連れの若いママを多く見かけた。服装はユニクロ系から異国情緒あふれる彩り豊かな模様のものまでまちまちだ。外国人も多くいて活気に満ちている。


 旅館は昔の日本でもホテルチェーンを展開していた名前の看板を掲げていたけど、木造二階建てで、一階は天井が高くてものすごく広いラウンジだった。ラウンジの向こうは川に面していて、船着き場に何艘かボートが繋がれ、南国リゾートのたたずまいだ。


 役場で支給されたクーポンを入り口の大理石のカウンターで提出すると、部屋の鍵と三枚綴りの食事チケットを渡された。

 「イグドラシルカワゴエにようこそ!慣れるまでゆっくりしてください。お夕飯は6時からです。浴衣はお部屋にご用意しております。シャワーのお湯は10時までになりますのでお気を付けくださいませ。ほかにも分からないことがあればご遠慮なく」

 「どうもありがとう」

 「お部屋に上がる前にラウンジでご一服してくださいね。お茶とお菓子が出ますので」


 あまりひと気のない静かなラウンジで、奥の川に面したテーブルに座った。一枚ガラスの展望ラウンジかと思ったら吹き抜けだった。

 いろいろな建物を見て妙に違和感を感じたけれど、その理由が分かった。ガラスがあまりないのだ。


 宵闇の川は何艘もの船が行き交っている。大きさも様々だった。

 川幅は500メートルくらいだと桑田さんが言っていた。下流では大橋を架ける大事業が始まったという。

 向こう岸では鉄道敷設工事が行われていて、来年の群馬~埼玉~東京間開通を目指しているそうな。


 いまは飛行船と船が長距離輸送を担っている。

 幹線道路もまだじゅうぶん整備されてなくて、そもそも自動車用の燃料がまだ開発中なので遠くに出かけるには船か飛行船しか方法がない……

 それと魔法の絨毯。


 まもなくお茶とケーキが配られて、ナツミはありがたく頂いた。おなかが減っていたのだ。

 「おいしい!」

 見慣れない青い果肉のフルーツケーキに舌鼓を打ちつつ、壁の大型テレビをながめた。

 (テレビ放送あるんだ……異世界なのに)


 「テレビサイタマ彩の国5時からニュースです。

 最初のニュースはトウキョウで開催されている行政交渉会議について。


 『旧代議士を中心とする日本再建派と地方自治推進派の交渉は難航しています。

 再建委員会は消費税率の5パーセント引き下げを提案しましたが、

 各県代表は難色を示しているようです――』


 『県議会連合は中央政府機能の百パーセント復活を歓迎しませんからねえ。認められるのは通貨発行権と国土開発計画の主導権のみ、という方針を変えることはないでしょう』


 『一部では治安維持の警察機構と自衛隊の復活は必要だという意見もありますが――』



 「バカ言ってるよ」

 背後で声がして、ナツミは振り返った。


 声の主は若い外国人……二十代に見える白人男性だった。

 迷彩ズボンとタンクトップ姿。だけど顎と肩は細っこい。

 「どこも同じだけどあいつら、昔に戻したいだけだからねえ。課税率の話しかしやがらねえし、警察も軍隊も必要ねえってのに」喋りながら指をパチパチ鳴らしていた。

 〈終焉の大天使協会〉の魔法で外国人と会話が通じるのは地球で経験済みだけど、ここでも同じらしい。


 「警察ぐらいいりませんかねえ?」

 「必要ないって!世界じゅうの誰も生活困窮してないんだから。強盗も殺人もほとんど発生してない。広すぎて軍隊もいらない。どこの国も何千㎞も渡って攻めてきたりしないよ。俺らレンジャーがいれば治安維持はじゅうぶんだよ」

 「レンジャー……さん?」

 「ああ」男性は勝手に向かいの席に座って手を差し出した。「ソーサリィレンジャーのテッド・ペンスキーだ、よろしく」

 「どうも初めまして」しっかりした握手を交わしながら挨拶した。「レンジャーのペンスキーさん」

 「テッドって呼んでくれ」

 「はい、テッドさん、わたしは川上ナツミでございます」


 ナツミがお辞儀すると、テッドも外国人らしいぎこちないお辞儀で応じた。


 「カワカミサンね、あんた新規さん?来たばっかり?」

 「ハイそうです。まだなにも分かりませんでねえ」

 「じゃ言っとくけどここはマジ天国だよ!食い物には不自由しないし、なんでもうまいし、みんな健康だし」

 「健康?」

 「そうだよ、食べ物の栄養価が地球産より高いんだ。それに、どんな病気も怪我もまじない師が直しちゃうから……あんたも持病あるならお世話になると良いよ。イグドラシルの高等魔道士は自閉症以外はたいがい治療しちゃうんだ。癌でもエイズでも……一節じゃアルツハイマーも治っちゃうってよ」

 「はえ~」

 わたしも治るかしら?と思ったが、そういえば足腰の痛みが無くなっていると思い直した。

 「俺のダチの親父なんかアフガンで片足無くしたんだけど、すっかり元に戻っちまって!それで俺もいっちょ魔導律を習得してみるかって、旅して修業先捜してるんだよ」


 「魔導律……」

 ナツミの古い記憶が揺り動かされた。懐かしい言葉……


「まあまだ魔法の絨毯も使えないけど……なんでも日本には達人級の魔道士がいるらしいんで、弟子にしてもらおうと思って」

 「はるばるいらっしゃったのね?」

 「ああホント、ニューシカゴと5万㎞も離れてるから大変な旅だったよ」

 「あらアメリカってそんなに遠いの?」

 「うん、まあアメリカ合衆国も四つに分裂しちゃったから、おれの故郷はカリフォルニア合衆国だけど」

 「あらまあ」

「信じられないでしょ?ニューロスアンジェルス州は八割有色人種でさ……市民のほぼ全部から愛想尽かされたパワーエリートの旦那衆はワシントンで政治ごっこしてる。残りの2億人は西部開拓時代を満喫してるよ」


 言いながら辺りを見回した。二階の階段から外国人の一団がぞろぞろ降りてくるのを見てサッと立ち上がった。


 「俺行くわ。あんたここに泊まるの?」

 「ええ」

 「それじゃまた会えるかもな。バイ」


 レンジャーのテッドが仲間と去って、ナツミはまた一人になった。テレビでは十万石饅頭のCMのあと、ニュースがつづいていた。


 『昨夜未明、サカド団地が暴走集団の襲撃を受け建物2棟が炎上、けが人が複数出たもようです。襲撃犯はこのところ県内を移動しながら犯行を繰り返しているグループとみられます。サイタマ行政局はレンジャー隊に警戒要請していますが、依然足取りがつかめていないようです』


 『最後は明るい話題です。今年から高校のスポーツ県大会が再開しますが、陸上、テニス、サッカーに加えて野球も加わりました。来年には水泳も加えたいとのことですが――』



 ケーキはあっという間に平らげてしまったが、テーブルの皿にお茶請けがあった。ひとつつまんで食べてみると、柔らかめのたくあんみたいな食感だ……薄い塩味。


 「あーそれ猫ちゃん用ですよ」

 通りすがりのウエイトレスに言われて、ナツミはしばらく噛んで、飲み込んだ。

 「けっこうおいしいんですけど……」

 「イグドラシル産根菜の醤油漬けです。町の奥の森でいくらでも採れるんですけどね」

 「あの……なんで猫の餌がここに?」

 「そりゃみんな相棒を求めてますから!猫ちゃんたちの気を引くのに餌がいるでしょう」


 「はあ」



 いまいち意味が分からない。


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