第一幕 四天王寺樒口寄③

 結婚から一年経った大正十二年、九月はじめの日。台風が留まっていて、残暑をかき消す強風の吹いていた日だった。

 重なった挿絵の仕事がようやく片付き、腹に何か入れたらひと眠りするつもりで昼食を早くさせた。私に付き合って食事を済ませた倭子は、折り悪く野菜がなくなったから買ってくると言って、女中を連れて出て行った。

 寝る前にふと思い出して探し物をしていたとき、小引き出しに私の挿絵の切り抜きが束になって収められているのを見つけた。ああこない内緒でしまって、帰ったら何て言お、それか白状させて恥ずかしがらせたろかな、と落ち着かない気持ちで部屋をうろうろし、倭子の帰りを待っていたとき。

 立っていられないほどの揺れに襲われた。

 天井がめりめりと音を立てる。すなぼこりが畳に落ちてくる。部屋から飛び出そうにも足が動かず、うずくまって揺れが収まるのを待った。ようやく立ち上がれるようになってから家の周りをぐるりと回って見てみると、壁にひびが入り、がわらがいくつか落ちていた。とはいえ、持ち家ではなく借りたものであるし、揺れの割に大したことはなかったと胸をなでおろした。

 倭子がふだん、買い物をしている店は聞いたことがある。女ふたりでは不安だろうと倭子を迎えに歩いていくうち、先ほど覚えた安心がまったくの考え違いだったと思い知った。

 十五分ほど歩いていくと、遠くから騒ぎが聞こえてきた。不審がりながら大通りに出ると、荷物を抱え、子どもを抱いた男女が、そこここの横丁から流れ集まって、すすと泥にまみれた顔、乱れた髪の群衆が押し寄せてきた。

 家族とはぐれたらしい老人が、足袋たびを汚したまま電柱にもたれて座り込んでいる。見慣れた商店がすっかりつぶれ、崩れた屋根が地面に覆いかぶさって、瓦が道の真ん中まで滑り落ちている。誰かが叫んでいる。子どもが泣いている。いぶすような臭いとともに灰が頭上を舞う、じきに高く上がる炎の熱が頰を焼いてくる。

 回り道に回り道を重ねて、倭子がいるはずの通りから離れていくばかりな気がした。一時間かけてたどり着いたころにはすでに客はどこかへ逃げ去って、店主や雇人が崩れ落ちた屋根や硝子ガラスの破片をよけながらうろうろしているばかりだった。

 八百屋はもちろんとして、ついでに寄っていきそうな店という店の人間をつかまえて尋ねてはみたが、そういうふたり連れは覚えていないと邪険に言われるばかりだった。入れ違いになっただけだと願って急いで家に帰っても、倭子も女中もいはしなかった。

 どうしようかと考えあぐねているうちに、びんをほつれさせた女中だけが駆けて帰ってきた。

「まあ」女中は私を見るなり、ほとんど泣きそうな声を出した。「まあ、旦那さん、ご無事でなにより……。いや運のええこっちゃ。ひょっとしたら、思うて、心配で心配で」

「倭子は」

 女中に連れられて、陽の傾きかけた中を、大通りかられたほうへ向かった。話を聞いてみると、東京でできた知り合いに店で出くわし、所用があって寄っている間に地震が来たのだという。

「その家どうなった」

「へぇ、揺れがあったんはちょうどお昼どきでしたさかい、炊事場から客間まで焼けてしまいました」

 首筋があわつのをさすり、足をさらに速めた。

 自然に集まったのか呼びかけたのか、寺が家をなくし動きようもない者を保護していた。短い石段にも、境内や堂の中にも、しき包みを置いてひとを捜している男や、子に乳をやっている女がいる。

 倭子は堂の隅、いちばん暗がりのところで、足を投げ出して座り込んでいた。背の小さい女だから、女中に案内されなければ見逃してしまったかもしれない。

 声をかけると、倭子は身を固まらせて、隠れるように縮こまった。座り方が悪いのを注意されると思ったのかもしれない。そんな場合ではないと誰かの荷物をひとつまたいだところで、倭子の全身が見えた。

 倭子の左足のひざから下、足首に至るまで、くち色のめいせんが黒く焦げ、破れた場所からただれた肉の色が見えた。喉が悲鳴に似た短い音を立てた。倭子に話しかける前に、

「診てもらいましたか」と女中が割り込んだ。

「うん、病院なんかとても行かれへんなんだけど、焼け出されたお医者がいてね、どないしてもあかんひとよりこっち診てやる、いうて」

 親切なひともいるもんやという倭子の声を聞きながら、ゆっくりと膝をその傍らにつく。揺れに襲われたときよりも、潰れた商店を見たときよりも、しびれに似た恐怖が湧きあがってきた。堂の床にみ込まれて、どこか知らない深い、暗い穴に落とされるような。

 焼けた戸が倒れ、倭子の足に当たったのだと、女中が涙をにじませた声で言った。

「左足、利かんようになるかもしれへん」

 埃と灰の臭いがする堂の奥で、倭子がぽつりとつぶやいた。

 怪我人を動かしたくはなかったが、さいしやが詰めかけている中、いつまでも場所を取っているわけにはいかない。倭子を背負い、女中を連れて堂を出た。境内かその外からか、子どもの泣き声が高くあがった。

 肩貸してくれたら充分ですさかいと倭子は言ったが、私は背から降ろそうとはしなかった。おおかわの川べりに出た辺りで、肩をつかむ倭子の手が今さらのように震えだした。

「家は」

「無事や」

 倭子の顔を振り返ろうとしたが、夕陽が目に入ってうまくとらえられなかった。

 もうじき川から離れて、見慣れたかいわいに戻れるというところで、足許からくぐもった水音が聞こえてきた。何か場違いに派手なものが、水面にたゆたっている。

 まだ若い、女の死体だった。身体はほぼ沈んでいるのに、桟橋の折れたくいに襟が引っかかって、沈みきれずにいる。かんざしの抜けかけた日本髪に、泥と灰と腐った木の葉が貼りついている。金のしゆうをしたものらしい赤い振袖の、焦げた裾が扇のように広がっていた。

 私も女中も足を止めて、無言のまま、その女の死体を見ていた。やがて川の流れに押されたのか、身体の重みに耐えかねたのか、襟が破けて杭から離れ、赤い振袖は沈んでいった。

 倭子もその死体を見ていたのは、髪が私の耳をかすめていることから分かっていた。

「……もう、のか。大阪へ、帰のか」

 故郷に帰ろうか。

 倭子は私の首に額を付けて、せやな、とかすれた声で答えた。

 それきり無言の倭子を背負い直して、また私は歩き出した。家に帰るまで、誰も、何も言わなかった。


 すぐにでも東京をちたいところだったが、地震のせいで道が絶たれ、大阪行きの列車に乗るには六時間は歩かなければならなかった。怪我をした倭子をそんなに歩かせるわけにはいかず、東京を出るための片付けも残っていた。結局、預金や借家、仕事の整理に追われて日が延び、帰阪したのは秋も半ばに差しかかったころだった。

 医者が誰も彼も手一杯で充分に診てもらえなかったためか、倭子の傷の治りは遅かった。私としてはまず帰阪したら倭子の父親に診てもらいたかったのだが、倭子自身がそうと言わずとも実家に顔を出すのを渋ったので、大阪駅で降りてから真っ直ぐ義兄の家に向かった。

 義兄の店は平野町からずっと南のしんさいばしに移っており、にぎにぎしい通りにも見劣りしない派手な店構えと、絶えず出入りする客足の多さに気後れしたのを覚えている。

 出迎えた義兄は、東京から逃げ帰ってきた私たち夫婦を異様なほど歓待した。親切心からだと素直には受け取りかねるほどだった。今は店の主人とはいえ、もとは丁稚時代からこき使われてきた義兄のこと、「ぼんぼん」として育った私が苦労をしているところに手を差しべるのは、ある意味で愉快だったのだろう。

「まあ、幸いでごあしたな、命が無事でな、それが何よりでごあります」

 といんぎんな口調で言いながら、いつ倭子の傷を哀れもうかとちらちら視線を投げかけていた。うまく正座のできない倭子は、義兄の目を避けるようにうつむいて、両手をももの上で握りしめていた。

 義兄の態度には正直にいうと、複雑なものがあった。しかし平野町の家がまだある、店の部分を改築するからそこに住むといいと言われたとき、その歯がゆさはどこかへ飛んでしまった。

「店の部分を、わざわざ?」と思わず訊いていた。「あそこは船場のなかでも一等、ええ土地でっせ。店のまま誰かに売り渡したほうがええものを、貸家にするつもりでっか」

 義兄は困ったように頭をいて、

「そらもっともな話でごあります。けんど、わしは六代続いた店の土地を、どこの誰とも知らんもんに売り渡しとうない。どうせ買うのは一代でのし上がった、古いのうれんも持たへん人間やさかい……。それやったら、古瀬の血を引いた壮ぼんに住んでもろたほうが、わしも助かるんです」

 何かがおかしい、とは思った。土地を他人に渡したくないのならば、なぜそもそも平野町から、心斎橋に店を移したのか。だがここで問い詰めるのは良くない、とも分かっていた。なにしろこちらは怪我人を抱え、住む場所にも困っているのだから。

 結局、義兄の申し出を受けるほかなかった。一刻も早く、倭子を落ち着いた場所で養生させてやりたかった。

 ひと月ほど手狭な下宿に留まり、改築が終わったとの知らせを受けて元の実家の前に着いたところで、私は思わず立ち尽くしてしまった。

 上がり藤を染め抜いた暖簾、「屋」と店名を書いた看板、開け放った戸から見える客の賑わい、硝子の陳列棚、店の者の広げて見せる色鮮やかな反物の数々は噓のように消え、ごく地味な戸口がそこにあるだけだ。さらに見上げると、かつての三階部分は潰され、二階の上にはぽかりと空が広がっていた。

 改築したとは聞いていたが、私の幼いころから見慣れていた店が永遠に消えてしまったのだと眼前に突きつけられると、胸が締めつけられた。倭子と女中を振り返らないまま、

「こらまた、えらい変わりようやな。別の家かと思たわ」

 と空元気を出して言うと、倭子が横に並んで私の袖を引いた。

そとは変わっても、わてはここで『おみまぁい』言うたの、よう覚えとります」

 いつもの、まゆを少し下げた微笑みでそうささやく倭子には、ここを仕切り直しの場所としようという静かな気概が漂っていた。

 倭子は傷などなんでもないかのように振る舞ってはいたが、片足はやはり不自由になり、私に気付かれないよう、眉をひそめながらひそかに足をさすることもあった。倭子が父親の世話になるのを遠慮しているのならばと、別の医者に診せても、通り一遍の処置しかしなかった。というよりも、それ以上のことができなかったのかもしれない。

 信心深いほうではないが、倭子が少しでも良くなればと思い、できることは何でもした。古くから薬種問屋の栄える道修町には、医薬の神をまつすくなひこ神社──地元の者はごうされた中国のくすりがみから「しんのうさん」と呼んでいる──がある。秋も深まる十一月、その少彦名神社の例祭で無病息災を願う張り子の虎をもらってきて、寝室の天井にった。黄色くあいきようのある虎の顔に色鮮やかな五葉笹、赤い短冊を見て、

「懐かしいなぁ。実家におったころは、おとうはんがお医者やさかい、でお祭りよりちょっとはよう貰えましたんや。それがうれしゅうて、ゆらゆら首動かしたり、頭でたりしとったら、お母様にえらい叱られましたわ」

 と笑った。

 まだそういう元気が、そのころの倭子にはあった。

 倭子の調子が悪くなってきたのは、十二月に入り、綿を入れた羽織姿が往来を行きかうようになってからだった。

「なんや傷がうずいてよう動かん」

 そう訴える倭子の顔が青ざめているのを見て、これは普通じゃない、と慌てて義父を呼んだ。この際、信頼できるのは義父だけだった。

 車夫の「おみまぁい」が聞こえてから一時間ほどして、診察を終えた義父に呼ばれた。胸の底にざわつきを覚えながら向かい合って座ると、義父が煙草を取り出した。

「最初の処置がうまいことなかったな」

 堂を汚していた土埃と灰か、親切心を出した医者の腕か。理由はいくつか思い浮かんだが、今さらどうしようもなかった。

「それとまぁ、こないなこと言うのもなんやけど、無理に移動させたんが良うなかったんかもしれん」

 ぐっと喉を詰まらせた。ほとんど反射的に、

「せやけど、東京におったとこでどないしょうもないし、あっちもえらい物騒になってもうたし、怪我人にええとこやとはよう言えしません」

 口に出してから、気まずいままに、畳の目ばかり見つめていた。せやろなぁ、と義父が沈んだ声で同意した。

 私も煙草を取り出しかけ、しかししまい、娘に傷を負わせてしまったことをびようと口を開きかけたところで、

「運が悪かったな、こればっかしは……」

 そう言って相手は立ち上がった。

 下げるべき頭を下げ損ね、義父を見送って玄関から戻ってきたところで、奥から、

「まあ、つまさきまで熱うなって……」

 女中のうろたえた声が聞こえてきた。

 それから義父は何度か倭子を診たが、事態が悪くなっていく一方なのは素人目にも分かった。傷が開いてみ、たびたび熱を出した。病人がひとりいると、どうやっても生活が病人を中心に回る。熱が下がっているときのほうがしだいに少なくなり、年暮れのせわしい平野町の中で、私の家にだけいんうつさがこびりついていた。

 十二月の半ば、めずらしく熱が下がり、倭子が女中に火鉢を寄せさせて、

「おみやばっかり熱うて、他のとこ寒うて、なんやよう分からへん」

 そう乾いた唇で言って力なく笑ったのが、私が聞いた倭子の最後の言葉だった。

 日が暮れきって聞いたのはうめき声ばかり、それがうわごとになり、弱々しい息になり、夜の明ける前に倭子は死んだ。

 結婚してから一年と少し。葬式のさなか、読経を聞きながら、倭子が傷を負ってから一度も、痛いと口にしたのを聞いたことがなかったのにふと気が付いた。


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