第8話 大学日本拳法で「コギト・エルゴスム」の先を行く

  「我思う、故に我あり」といい、考える我だけで問題は解決しない。

   相手をぶん殴るオレがいて、そのオレを殴る相手がいる。


日本拳法における、敵を思いっきり(寸止めではなく)ぶん殴る爽快感と、自分がそれと同じくらい思いっきりぶん殴られるという屈辱感。

互いに矛盾する双方向の力(殴る・殴られる)と、そこに発生する正反対の激情(喜びと悲しみ)。 強烈な自意識(自分に対する信頼)と激烈なる他への意識(相手に対する必死の働きかけ)を、「場と間合いとタイミング」でコントロールして乗り越えるのが大学日本拳法(の醍醐味)。

ぶん殴る・ぶん殴られるという毎日の鍛錬の中で強固な自我を構築し、以て双方向性と柔軟性のある、我と他の関係を構築する哲学を(身体で)行なう。

そういう人格形成の場として、(18歳から22歳までという)同じ年齢・同じ体力・同じ精神的成熟度の人間が集まって行なう大学日本拳法の意味と意義が、そこにあるのです。

「コギト・エルゴスム」+アルファ

思惟(理)と思索(利)の大学日本拳法。


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敵(国人)を殺す為の自衛隊の拳法とは違う。金と権力と力で利権を手に入れることを仕事(金儲け)にしている、思いっきり俗っぽい警視庁拳法とは異なる

また、「要領の良さ」という、その場凌ぎの韓流大學日本拳法も、大学日本拳法とは違う。 そこに純粋で深い精神性を見れるのが、大学日本拳法なのです。


2023年11月7日

V.1.1

平栗雅人

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宮本武蔵の思想 V.1.2 @MasatoHiraguri

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