第3話 フランス剣士から生まれたデカルト哲学

デカルト(1596~1650)の「我思う、故に我あり(コギト‐エルゴ‐スム)」とは、17世紀フランスの剣豪たち(「三銃士」の世界)の殺し合いの中から生まれた発想です。

ルイ13世(1601~1643)時代の剣士たちが常とした、生きるか死ぬか、殺すか殺されるか、という自己と他者との絶対的な(敵対)関係が社会的な風潮として一世を風靡したおかげで、デカルトのような哲学者の輩出を見た。

のんびりした農村や平和な都市の生活から「コギト・エルゴスム」なんていう疑義・疑問・命題は生まれてこなかった。 剣による問題解決に心と身体を張って、正々堂々と飛び込む男たちがフランスに多かったが故に、剣士・剣豪としての自覚 → 自我が生まれ、その強い念が普遍的な哲学として醸造された。

そして、そういう剣士たちの心が一般人にまで広がり、そこに「哲学者」が目をつけて自分たちの学問として商売にしたというわけです。


なぜフランスか、といえば、当時のフランス人(やスペイン人)はラテン系で情熱的なノリがあった。日本で言えば体育会系・蛮カラの気風であり、デュマの「三銃士」などを読むと、日本の戦国時代の武士の気風によく似ています。

「三銃士」には、そんな彼らの情熱的な友情・愛情・血の気の多さ・死を恐れぬ勇気・義侠心が、余すところなく描かれています。


それはまた、セルバンテス(1547~1616)作の長編小説「ドン・キホーテ」も同じです。「ドン・キホーテ」の場合、スペインの剣士たちにおける「自己と他の殺し合いをベースにした対人関係意識・感覚」を、もっとユーモラスに描いている。というか、スペイン人のノリ(血性)がフランス人以上にラテンのそれ(お気楽・極楽)であるという風土の所為で、デカルトのようなストイックな哲学は生まれなかったのではないか。


日本では武士、フランスでは剣士による「殺し合い」を通じて生まれ・醸造された「自我」の意識。我を守る → 自我と他の殺し合いという意識。自分という存在を強く意識しなければ、人と戦うことはできない。また、自分と他(自分の仲間と自分たちの敵)という「2」の意識あってこそ、自分(たち)は存在できる。

フランス(三銃士)における「全員は一人の為に、一人は全員の為に。All for one, and One for all.」。この考え方がベースとなり、デカルトのコギト・エルゴスム「我思う、故に我あり」が導かれたのでしょう。


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