第2話 「我れ」の自覚
「三銃士」(デュマの剣豪小説。1844年刊)で描かれた中世フランスにおける剣士たちの世界から、コギト・エルゴスム「我思う、故に我あり」という命題(定立)が導き出されました。
しっかりとした我の(形而上的)存在を自覚しなければ、剣による一対一の戦いなどできない。いい加減な自我の認識しかできない者が殺され、ダルタニアンや三銃士のような「強烈な自我を持つ者」だけが、優れた剣客として生き残った。
強烈な自我・人一倍強い自意識と、同じ在来種フランス人という一体感があったればこそ、「全員は一人の為に、一人は全員の為に「 All for one, and One for all.」という、個と全体の一体感が生まれた。
デカルトの「コギト・エルゴスム」とは、「All for one, and One for all.」という中世フランス剣士たちの精神をデコード(復号)した言葉(精神)なのです。
日本の戦国時代(における武士たちの戦い)から、宮本武蔵による「二天一流という肯定的主張(定立)」が誕生した。フランス剣士と同様、武蔵の場合も、自分が他を殺すという強烈な自我と、自分を殺そうと迫ってくる他の存在を強く認識するところに、二天一流という「2の思想」が生まれた。
私はこの「2の思想」こそが、近代民主主義の源流ではないかと思います。 (寡聞にして)フランスの剣客から「思想」は生まれませんでしたが、のちの世代、同じ在来種フランス人(デカルト)によって哲学の分野で芽を吹いた。
日本の剣客宮本武蔵は、自己と他者との殺し合いを(再現性のある)科学にし、思想にまで高め、道として展開したのです。 武蔵「五輪書」の副題は「自分と敵の2者が一つになる(問題解決する・合意する)ための道」でもいいと、私は思います。
** モハメド・アリは、198*年、ハーバード大学の卒業式でこういう詩を(即興で)謳ったという。「Me,We(オレ、オレたち)」。世界で最も短い詩。
モハメド・アリという男もまた、強烈な自我をベースにした、他者との強烈なファイティング・スピリッツによって、オレたち・私たちという道に覚醒したのです。アメリカの黒人大統領がオバカではなく、モハメド・アリであったなら、アメリカはずっと素晴らしい国になっていたでしょう。**
単なる学者の思惟ではない。現実の斬った張ったという殺し合い(決闘)の中から、近代社会に必要とされる人間の根本概念(王でも貴族でもない平民の私と同じ平民の他人と共存するという一つの形態である民主主義)が生まれた
早い話が、民主主義とは、剣士や武士の殺し合いにおける強烈な「自我と他との関係・意識」が、多くの大衆に根付いていったからこそ、次第に多くの人々に受け入れられたのであって、王様同士(特権階級同士の戦い)の時代からいきなり民主主義が誕生し、広まることはなかった、ということなのです。
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