第2話 連歌の例
「日本古典文学全集」連歌俳諧集 小学館より
<引用開始>
「花で候の巻」という題名の「恋誹諧」 → 「恋をテーマにした連歌」
1.「花で候お名をばえ申舞の袖」という発句から始まり・・・
P.324
65 「若後家の殊勝気もなき寺参り」(わかごけのしゅしょうげもなきてらまいり)殊勝気もなき → 信心もないのに
66 「声をきくよりついほれげきゃう」「惚れる」と「法蓮華経」を言いかけた造語。これによって法華宗の坊主との情事があらわに示される。
67 「心根は無二亦無三ひとしきに」(こころねはむにやくむさんひとしきに)成仏を願う心は、みんなと同じように一筋であるのに、つい(色香に)迷ってしまった。 → 坊主と未亡人の色事について、65~67の3つの歌で会話を楽しんでいる。
そして、次の68では、また(恋に関連した)新たな話題に展開していくのです(平栗)。
・・・100(1の発句に呼応した100番目の挙句で終了)
<引用終わり>
例えば、アメリカには黒人の民族音楽とも言えるジャズがありますが、100年経ってもアメリカ人全員の国民音楽にはなっていない。黒人の血性なくしては、身体がジャズビートで震えてこない。
黒人と白人の血がよく混ざり合うであろう10万年後くらいには、ジャズも「アメリカ人全員の音楽」になっているかもしれませんが。
ジャズを演奏する黒人とそれを聴く聴衆とは別物なのです。
カラオケというのは日本発祥ですが、これは歌手と聴衆が同じ血・同じ感性(血のつながった家族)という在来種・純粋日本人の中で生まれた発想なのです。
日本のNHKが始めた「素人のど自慢大会」を真似した催しが、ここ10年ほどの間に英国や米国で盛んになってきています。歌や演芸の素人がステージに上がり、そのパーフォマンスをプロの歌手たちが採点する、というシステムです。
しかし、欧米の「素人のど自慢大会」はあくまでも演者と観客は別物(別の人種・血性)です。ところが、日本の素人のど自慢大会では、演者も観客も評者も、全員が同じ血の家族。或いは、何百年もの間、一緒に生活してきた同じ村の住人同士のようなもの。
在来種・純粋日本人とは、同じ肌の色、同じ顔つき、同じ言葉を話し、同じ歴史を背負う、家族・親戚同士なのです。
2023年11月7日
V.1.1
平栗雅人
縄文人の証明② 連歌 V.1.1 @MasatoHiraguri
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