#3-3 大久保 忍

大久保 忍おおくぼ しのぶ

28歳。A型。

不動産屋勤務。

独身(彼氏?アリ)。


 今日は彼と逢う日だった。

だけど高校時代の友人の通夜に行くことになり約束を断った。

彼に断りの連絡をすると残念そうにしていた。

「次、いつ逢える?」

と、私が聞くと

『ん~……、まだちょっとわからないな。連絡するよ』

彼はそう答えた。私達は頻繁に逢えない。不倫だから。彼には妻子がいるから。

 私達はいけないとわかりながらも惹かれ合ってしまった。

不適切な関係ではあるが、35歳の彼はとても誠実に私を思ってくれている。『妻とは別れるから』など出来もしないことを軽々しく言って、若い私をつなぎとめようとしない。妻子を捨てる決断はまだできないが、私の事も愛している。

私に向かって『俺を捨ててくれ、そしたらこれ以上キミを傷つけなくて済む』と、泣いていた日もあった。

捨てられるわけなどない、私も彼を愛している。もちろん私だけのものになって欲しいが『早く奥さんと別れて』とは言わない。それを言ったら終わりの始まりだ。彼にも彼の家族にも迷惑をかけないように、マナーを守る愛人に徹した。不倫自体がマナー違反だからせめてもの私のモラルだった。


 しかしやっぱり私も人並みの幸せが欲しい。逢いたい時に逢いたいし、人目を気にせずデートをしたい。

 それに最近仕事にもうんざりしてた。不動産屋に務めたが、賃貸物件を紹介したり案内したりと接客業なので、お客によって最悪な日も多い。全国チェーンの有名店で駅前にあるので、お客はひっきりなしに来て忙しかった。それなのにさほど給料は良くない。宅建でも取ればキャリアアップできるのだが、勉強するヒマも気力もない。

好きな人には家庭があるし、仕事はつまらないし、私の私生活は不満ばかりだった。

 そんな時、通夜で高校時代の友達に再会した。

片思いだった智也は相変わらずイイ男だし、付き合っていた草太は会社を経営してリッチでスマートな男になっていた。どちらでもいいから好きな人に逢えなかった淋しさを埋めてくれないかと思っていた。

 でも結局、この2人は瑛莉華をまた見ている。10年経ってもまた瑛莉華を見ている。瑛莉華の笑顔に骨抜きにされている。

それも仕方ないと思えるほど瑛莉華は品もあってキレイになった。

「瑛莉華、彼氏いる?」

と、私が2人が知りたがっていることを聞いてみた。

「ひみつぅ。言っちゃいけない相手だから」

厚い唇を尖らせてその前に人差し指を立ててかわいらしく不思議な事を言った。

“言っちゃいけない相手”とは、私も一緒だ。私も誰にも言えない。

でもきっと瑛莉華は違う。不倫なんかしない。不倫をしたとしても、相手はすぐ家族を捨てて瑛莉華だけに夢中になるはずだ。それに選び放題の瑛莉華はわざわざ家庭のある男なんかと付き合わない。

かつては私もそれなりにモテた。高校生時代の自信を取り戻したい。不倫も仕事も辞めたい。

 それから、何人もの同級生と再会して立ち話している時に、通夜会場を後にする瑛莉華と智也の後姿を見た。智也はやっぱり瑛莉華を選ぶ。


 草太の案内で高級感のある居酒屋の個室で2人で飲みながら、陽介の奥さんから託されたノートを読むことにした。草太はさすが経営者だけあってイイ店を知っている。喪服のスーツも高そうだし、今の草太は高校生の時より魅力的だった。

 18歳の私達はお互いの失恋の傷を癒すために付き合っていたが、当時の彼もとても優しかった。きっと私は彼の本命ではなかっただろうけど、それでも愛情を注いでくれた。話も合うし、気も合うし、イイ友達でもあった。私はそれはそれで幸せだったんだと思う。今している我慢ばかりの恋愛より、草太と付き合っていた時の方がはるかに幸せだった。草太はもう1度私と付き合ってくれないだろうか、私を抱いてくれないだろうか。

 そんな期待をいだきながら居酒屋に来てみたが、そんなロマンチックな雰囲気はまったくない。私達は陽介のノートに書かれた文章に衝撃を受けていた。不穏な空気さえ流れ始めた。

 ノートの文章は瑛莉華と思われる18歳の女の子と男の卑猥ひわいな行為から始まった。

最初の数ページは瑛莉華とのヘンタイな妄想ばかりでうんざりした。

エロ小説でも書いているのかと思ったが、読み進めるうちに私達について書いていることがわかった。私と思われる女の子も草太や智也らしき男の子も、通夜には来られなかった友人の真帆まほと思われる女の子も登場した。微妙に名前を変えてあるが、私達の学校で起きたこと、放課後や休日に行った場所など、いくつもの事実が散りばめられている。

「これ、私達の事だよね……」

私が言うと

「だな……。どこまで本当だろうな」

草太は渋い顔をして答えた。

 彼の言う通りどこまで本当だかわからないが、初めて知ることがたくさん記されていた。ページが進むにつれてみんなの秘密が暴露されていく。あんなに仲良かったのに、それぞれが秘密を抱えていた。

 私と草太は無言になって飲むのも忘れてそれを最後まで読んだ。

読み終えた草太は何も言わずに、氷の解けたハイボールを飲み干してまた新しいのを注文した。しばらくノートを見つめて沈黙が続いた。

そしてまた新しく来たハイボールを草太は一気に飲んでグラスを置いて言った。

「忍、おまえさぁ───」

「ちょっと待って」

草太が言いたいことはわかる。だけどこのノートに書かれていることはどこまで真実だかわからない。私は彼の言葉を遮って言った。

「私も草太に言いたいことある。でも、本当かどうかわからないこんなノートのせいで、せっかく久しぶりに会ったのに険悪になりたくないんだけど」

草太は大きく息を吐いてソファーの背もたれにもたれて腕を組んだ。イライラしているようで足を小刻みに動かして、身体が少し揺れている。

「だって、陽介が瑛莉華にヘンタイプレイさせてるんだよ?完全にいっちゃってるじゃん、キモいじゃん。こんなノート信じられる?」

「まぁ確かに」

憮然ぶぜんと草太は言った。


 それから少し飲んで落ち着いた私達は居酒屋から出た。

「どっか行こうよ」

私は草太を誘ったが

「いや、今日は無理。まだ混乱してる」

と、あっさり断られた。そして続けて草太は言った。

「まずは明日の葬儀でアイツらにもノート読ませないと」

「見せるの?瑛莉華かわいそくない?」

「でも、瑛莉華が1番のポイントだから。アイツらもノートの存在は知ってるし」

草太は明日、瑛莉華と智也にこのノートを読ませるつもりだ。

今日は仕事を早く切り上げて明日はせっかく有休をとったのに、このノートのせいで最悪な日だ。

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