第51話 白星の光と虹鷹の雨


 虹鷹の聲が頭上より砂の王国へ降り注がれた。昊を見上げれば、群青の上で虹鷹が白の大翼を広げて悠々と旋回し、色鮮やかな長い飾り尾で昊に浮かぶ白星しろほしへ虹の環を掛けている。――あれは雨の予兆だ。この砂の地の主が虹鷹を遣わして雨雲を呼んだのだ。

 

 ラーミウは背に頭陀袋を携え、ガイム河沿いの大通りをひとり歩行いていた。

 

 其処は都で最も大きな市場街である。幾人ものの赤銅の肌に砂色の眼と髪を有する男女おとこおんなが往来し、常に賑やかである。だが華やかさはない。それはひとえに、人人が皆一様に襟の詰まった丈の長い土色の衣を纏っている所為かもしれぬし、建物も路も砂色をしている所為かもしれない。されどそれも致し方のない事である。彼らジャウハラの民は昊に浮かぶ白星が照らし映した砂土すなつちより象られ、虹鷹の雨で生を成す者たち。それ故に砂土すなつちの色をし、街並みを色褪せたものとしてしまうのだ。

 

 無論、今年四十を迎えたラーミウとて例外ではない。


 質素な砂色の着物で腕を除く身體をすっぽり覆い隠し、頭は柔らかな砂色で縁取っている。周囲の者たちの視線を引き付けるとすれば、それは彼の眼と若々しく見える貌造りと――その爛々と輝く対の翡翠である。

 

「うわっ緑珠りょくじゅ様、また街歩きですか?」

 

 聲を鳴らしたのは横を過ぎていた肉屋の男である。他の街の者らと共に、布や板を白や赤、青、緑に染め上げては飾り付けている。彼らは現在いま、建国祭の仕度をしているのだ。その内のひとりがうっかり塗料を溢し、肉屋の男は振り向いて「うわ」と悲鳴を上げる。

 ラーミウは苦笑すると、屈んでその塗料を拭き取るのを手伝った。塗料は混ざり合って紫や黄緑と様々な色になって最早収集が付いていない。ようやく片付けが終うと、ラーミウはすっくと立ち上がって穏やかな聲でよえやく肉屋の男の問いに応えた。

 

「そうですよと言いたいところですが、今日は違いますよ」

 

 宮殿のある南方へ向けて、ラーミウはまた歩行き始めた。建国祭間近で、人の数が増やされており歩行いているのか押されているのかは定かではないが、それでもラーミウは前に進んだ。その途中、ガイム河の辺でふたりの人影を捉え、ラーミウは彼等に走り寄った。

 

「ヤト!」

 

 其処にあるのは十年経過っても変わらぬヤトの姿である。細長い眼をした長身の男で、よくよくみれば女にも若者にも年寄りにも視える不思議な風貌の男だ。旅装束を纏い項で長い砂色を束ねている。ヤトは眉根を寄せると、低く悪態付くように云い放つ。

 

「迎えに来いとは言ってませんよ」

 

「どうせ迎えに来なければ、人混みが厭になって逃げ帰っていたでしょう」

 

 きっぱりとラーミウが返すと、ヤトは更に眉間の皺を増やす。ラーミウは彼の足元でラーミウを見上げているもうひとりの人影へ視線を移した。猫の目のように吊り上がった眼の愛らしいとおほどの娘である。髪は顎あたりで切り揃えて流している。

 

「へえ、この子が新しい守司もりづかさですか?」

 

「――まあ、そんなところですよ」

 

 ヤトはやや気不味そうに返すと、ラーミウは首を傾いだ。だがふと昊に雨雲が掛かり始めているのを視界の端に捉え、ラーミウは我に返ってヤトの腕を引いた。

 

「兎に角、宮殿へ行きましょう。皆、久しぶりに会いたいと言ってましたよ」

「……分かりましたから、手を離して下さい」

 ラーミウは「是々はいはい」と云って手を離すと歩行き始めた。ヤトは喧しくもある人波に苛立ちながらも、仕方無しにラーミウの後について宮殿を目指す。大通りは実に賑やかだ。十年前還砂病かんさびょうの流行で多くの命が落とされたとは思えぬほどに、街は豊かに栄えている。祭りに参加するために地方から訪れた商人や旅人の姿も散見されている。

 ヤトはラーミウの横に並ぶと、低く聲を鳴らす。

「そういえば、青珠せいじゅは交代したんでしたっけ」

はい、一昨年くらいに。でもカリーマ様は健在ですよ。今は本宮でばりばり働いてます」

「恐ろしい女ですね……」

 まったくです、と笑いながらラーミウは同意すると、思い出したように「あ」と聲を上げる。何事かとヤトが貌を引き攣らせていると、ラーミウはにっこりと笑って云った。

「そういえば、アウス様も背が伸びたんですよ。考えてみれば不釣り合いなくらいに手足が大きかったので、成長期の手前だったのでしょうね」

 ラーミウのそれはまるで親が子の成長を祝うような物言いだが、アウスはあれでも背を気にしていたのである。故に、周囲の者も自然と気に留めており、背が伸びれば何故か宮女まで喜んだのだ。

 下らないラーミウの報告に、ヤトは呆れた風に嘆息すると語を返した。

「ずっと十五で止まっていただけですからね。あのもう片割れは可也長駆だったのでしょう?可怪しくはない」

 ヤトが云い終えると、ラーミウたちはつと足を止めた。眼前には昊高く続く長い石壇がある。宮殿へ続く石壇だ。この長い石壇を視れば、ヤトでなくても踵を返したくなるものだ。ラーミウは嘆息を落とすと、一歩一歩、静かに上がってゆく。ヤトも新しい守司もりづかさ夜の民ザラームの手を引きながら続く。ようやく辿り着くと、両人はぜえはあと息も絶え絶えである。

 登りきった場所で待ち構えていた剃髪の男は貌を引き攣らせながらもラーミウたちへ駆け寄った。

「お疲れ」

「……マージド、出迎え有難うございます。ちゃんと捕まえてきましたよ」

 とラーミウは後方のヤトを指差す。マージドは苦笑いをしながら

「御前、どうせ逃げても走って追い掛ける算段つもりだっただろうが」

 と云ってラーミウの足許を見る。動きやすいように、沓は旅に用いる頑強な物を態々履いていたのだ。ラーミウの沓に心付いたヤトは思わず「げ」と苦虫を噛み潰したような聲を鳴らして後退った。

 逃げようかと思案し始めたヤトの腕を捕らえながら、ラーミウはマージドへ尋ねる。

「カリーマ様は?」

「ドゥリーヤ様と共に、白の宮でお待ちだよ。ナジュム殿もいらしてる」

「そうですか。じゃあ、行きましょう」

 ラーミウたちは白塗りの煉瓦造りの建物――本宮へ這入り、白装束の官僚や宮女の間を抜けて行った。無論、ラーミウに気づいた者たちは慌てた様子で簡易式でも礼をした。ラーミウは彼らに構うこと無くすたすたと進み、白い柱廊へ出る。

 その柱廊から垣間見える鏡の泉は今日も水面に燦々と輝く白星の光を弾いている。その水面では白や赤、青、緑の睡蓮の花がゆらゆらと揺られて、まるで昊を飾り付けているようだ。

 ラーミウたちが柱廊の突き当りの虹鷹の紋様の描かれた白い戸へ辿り着くと、マージドが駆け寄りそっとその扉を開けた。室に這入ったラーミウは明るい聲を室内へ鳴らした。

「ただいま戻りました」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る