第33話 混色(参)


 その美しい若者の妖しい微笑は、まさしく夜昊に浮かぶ星のしんとした静けさのある輝きに等しい。薄闇の室の中で、黒闇の左眼が一層深い深淵を作る。若者はくすり、と嗤うと語を加えた。

「まあ呼び名はシハーブのままでいいよ。今更変えるのも抵抗あるでしょ」

 シハーブはからからと嗤うが、ラーミウは黙したまま茫然と彼を見詰めていた。ラーミウは固唾を呑むと、ようやく絞り出すように聲を鳴らした。

……?「繋ぎ」はナジュムではないのですか?」

「私はヤトと同じ、「代理」に過ぎない」

 ラーミウはナジュムの三白の眼を見た。その眼は真っ直ぐにラーミウへ向けられており偽りの類は感じさせない。

 ナジュムは口を噤むとラーミウへそっと手を差し伸べた。ラーミウはずっと床に坐りこんだままであることに心付いた。ラーミウは暫しナジュムの手を見詰めると、ようやく手を取った。ラーミウはよろめきながらも立ち上がると、再びシハーブへ琥珀を向けた。

 かたわらでヤトが小さく舌打ちを鳴らしたが、シハーブは構うこと無く、室内を徐々ゆっくりとした足取りで歩行き始める。窓穴のそばへ行き、その横で立ち止まると、おもむろに口を開いた。

「建国祭が何故四日間なのか、知ってる?」

 突然の問いに、ラーミウは困惑した。様々な学問を身に着けてきたラーミウだが、建国に纏わることは何であれすべて「そういうもの」として教えられてきた。無論、疑問を持つことは赦されず、白鏡がそれを是とするならばとラーミウも従っていた。シハーブは窓穴の外の青鈍を見上げると、間延びした聲で続ける。

「建国っていうんだからさ、普通は一日とかだと思わない?」

「確かに、そうですけど……」

「あれはね。虹鷹の尾の色だよ」

 シハーブの言葉に、ラーミウは貌を顰めた。虹鷹の尾は青、赤、緑の三色だ。虹鷹の尾を辿って建国祭の期日を決めるならば、三日となるはずだ。ラーミウは怖怖おずおずとシハーブへ問う。

「でもそれなら三色では……」

いいや。四色だよ」

「四色?」

「白を作る赤、青、緑。黒を作る赤、青、そして黄」

「黄……?」

 ラーミウは意図せず、己の目元に触れた。鮮やかな黄色おうしょくの宝石が揺らぎ、シハーブの横貌を映す。琥珀の上でシハーブがにやりと妖しく嗤うと、同意した。

「そう。御前の目の色と同じ。その眼はさ、無の砂原ルーフへ干渉を赦された四色目なんだよ。詰まりは、君がいればジャウハラでも均衡バランスを崩したこの地を制御しうるってわけ」

「制御……?」

 シハーブはくるりとラーミウへ向き直ると、やおら前へ出た。妖しさの中に静けさのある笑みを浮かべたまま、緩慢ゆったりと歩行く。

「もともと、この世界はさあ、無の砂原ルーフしかなかったんだよ。すべてが均一で、同一。己も他もない。限りもなく、境界もない。」

 その真玄の眼はすべてを見通し吸い寄せる程に昏い。つと壁際に飾られた白の睡蓮を手に取ると、一枚一枚花弁はなびらを千切り、床に落とす。それをふたつに分け、静かに言葉を続ける。

夜の民ザラームとは無の砂原ルーフに還ることが出来た者。虚ろ狼はその成れの果て。だから、元は同じ存在である夜の民ザラームは虚ろ狼に働きかけることができる」

 シハーブはやおら床に屈み、花弁のうちの一枚のみを拾い上げて窓穴に翳した。

「ジャウハラは無の砂原ルーフの中でも異質でね。たまたま無の砂原ルーフの弾いた光が重なって、照らし映し出して器を作り出したんだ。その器は輪郭を有したことで限りある者になり、光と雨の恵みでその形を保ち何時かは朽ちる――そういう存在。君たち人間も、虹鷹も、凪ネズミもみーんな、ジャウハラだよ。何故か君たちは人間だけをジャウハラって呼ぶけどね」

 シハーブの言葉に、ラーミウは息を呑んだ。虹鷹は昊の御使いと崇められ、凪ネズミは死肉を喰らう獣として忌避されている。あれらと同一と呼ばれて、直ぐに飲み込める筈がない。だがシハーブはラーミウの様子など意に介す素振りを見せることもなく、矢庭に白の花弁を裂いて下にある他の花弁の上に落とした。

「ジャウハラは偶然の産物に過ぎない。だから、ちょっとしたことで形は崩れるし、直ぐに無の砂原ルーフに戻ってしまう」

 ばらばらになった花弁と他の花弁を掻き混ぜて、シハーブは手を止めた。

「それを防ぐために光を司る白鏡と、それを三珠がある」

「生み出す……?」

 砂の王国では三珠は虹鷹の化身であり、白星の化身である白鏡を支える巫子でしかない。あくまで、ジャウハラを象るのは白鏡なのだ。シハーブは「あゝ」と呆れた風に聲を漏らすとすっくと立ち上がる。

「君たちは何故か話を捻じ曲げてでも神をひとつにしたがるよね。白鏡は三珠の色彩が重なって生じる光に過ぎない。だから、三珠が欠ければ白鏡は弱まる」

 ラーミウは琥珀を大きく揺らした。現在いま、正式に三珠と呼ばれる者は青珠のカリーマと赤珠のドゥリーヤのふたりしかいない。

「……緑珠は三十年程前に亡くなったきり、現れていないと。真逆、その所為で……」

「それもあるね。でもそもそも、

 シハーブの言い草に、ラーミウは眉間の皺を増やした。

「片割れ?」

「元々力の足りていない白なんだ。二色の光で弱まっているのに、夜と昼を分かつために力を使えば、そのうちガタが出る」

「でも、君にならこの状況を打破できる」

「……打破?」

 シハーブは手を合わせてぱん、と音を鳴らす。赤銅の中で白い歯を見せて嗤い、喜々とした様相をもった聲を鳴らす。

「そう。君は黒を作り無の砂原ルーフへ干渉することができる。元々、白も緑も黒の一部なんだ。干渉して欠けた色を引き出せば、ほら元通り。めでたしめでたし」

「馬鹿にしてるんですか?」

 揶揄いすらも感じるシハーブの語調に、ラーミウは貌を歪めた。シハーブは口端を上げるのを止めるとあっさりとした聲音で返す。

いいや。でもさ。知りたくはない?」

「何を……?」

「君の知らない事実をさ。サクルが何故「片割れ」で、この世界が輪郭を失い始めたのか。死ぬならさ、知って見極めてからでいいんじゃない?」

 するとヤトが勢いを持って前へ出た。怒気を露わにして、荒げた聲で両人ふたりの会話を遮断さえぎろうとする。

「セイ!余計なことを……!」

「わかりました」

 だがヤトが言い切る寸前にラーミウが返した。琥珀を爛々と燃やし、シハーブを見据えて続ける。

「教えて下さい。いったい、何があったのかを」

 シハーブはにやりと口端を持ち上げると、ひょいとラーミウへ寄り、何時の間にか手に握っていた短剣でその肚を貫いた。

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