第11話 最低な男

 馬を休憩させるため街道の横に馬車を止め遅めの昼食を摂ることにした。

 簡易的な焚火に鍋を置きスープを作っているのはエネマだ。なぜか子供の俺に教わりながら料理の修業をしている。

 ミリングの料理の腕に一縷いちるの望みをかけたのだが、暗殺者は携帯食しか作らないし、味よりも栄養価を重視しているためとても不味いらしい。

 いつか料理の上手な仲間を見つけてやるぞ!


 南へ延びている街道はこの先でシミターギ領とメダヒ・ナリナ領に分岐するらしい。

 暖かなスープに固いパンを浸しながらどちらへ進路をとるか思案しよう。

 ソドネレコの領主は独身で後継者がいなかったらしい。さらに先代の領主は後継者争による一族殺し合いにより血筋が絶えているそうだ。なのでコンダン将軍がこの地を治めるのに反対する者は出ないと予想している。

 残念なことにシミターギ領とメダヒ・ナリナ領は領主しか出陣しなかったため首都に後継者が残っているのだ。

 侵略は戦争に勝つよりも戦後処理のほうが難しい。

 敗残兵の処理、反乱分子の鎮圧、復興、民心の掌握、いずれも人手が必要なのだ。よって、攻め滅ぼすのではなく領主を懐柔したほうが何かと都合が良い。

 さて、両陣営の後継者が俺の口車に乗りやすい人なら良いのだが――。


「ミリング、両陣営の後継者について教えてくれ」

「ボクの情報は高いよ~。そうだな~報酬は主様の体を一晩中好きにして良い権利でどお?」

「いいぞ」

「え? マジで? 今夜は初物パーティーですか!」

「ただし、情報が俺の望むクオリティならな」

「クックック、情報収集能力を嘗めてもらっちゃぁ困るゼ。ボクは領主の尻穴のシワ数まで熟知しているのだ!」

「そんなゴミ情報は不要だ、早くしろ」

「ノリ悪ス。シミターギの新領主は息子のマオチャボ。温厚な性格で反戦主義、出兵に最後まで反対したんだって。領民から慕われる人柄だけど、家臣たちは主戦派が多いから肩身の狭い思いをしているらしいよ。趣味は草花鑑賞なんだってさ、女の子みたいだね」

「弔い合戦しそうな性格ではなさそうだな」

「そだね~。停戦協定を結びたかっているけど反対意見が多数で無理そうだよ~」

 ふむ、反戦主義は高ポイントだが軟弱な領主では統治は難しそうだな。


「メダヒ・ナリナについては」

「領主候補は二人いるよ。姉のイジョーレは剣星の神職を持つ超絶好戦的な性格で、先の合戦にも参加しそうな勢いだったけど周囲の説得で渋々首都の防衛についたらしくてね、口癖は『この世に斬れぬ物なし』だって、怖いよね~。父の仇を取ると息巻いてるみたい。趣味は意外にも料理だって」

「合戦についてはどう伝わっているんだ?」

「主様が皆殺しにするから色んな憶測が飛び交ってるよ。最も有力なのが山の呪い。笑っちゃうよね」

「呪い?」

「戦場痕もなく数万の兵士の遺体が無いのは山に食われたからだ~って騒いでる。魔術師の爆炎で相打ちしたなら焦げ跡が残るはずだもんね。吟遊詩人が声を大にして山の怒りに触れたんだ~って歌ってるよ」

 目論見通りだ。スキル『穴埋め』で地中深くに埋葬したのは犯人を特定させないためだ。もしソドネレコの仕業となれば両陣営が怒り狂いながら攻めてくるだろう。それを避けたかったのだ。山の呪いなんて言い出したのは予想外だが。


「ならイジョーレは父の仇として山を倒すのか?」

「現実主義だから信じていないよ。あくまで敵はシミターギ領だね」

 趣味が料理なのは仲間にするうえで超高ポイントだが、バリバリの戦闘狂なのが懸案事項だな。


「もう一人の候補者は」

「弟のコムドラス。優秀な姉を妬む非才な弟、けれど努力家でかなりの野心家。父の執務を手伝っていた実績もあり次期領主はこちらを押す者が多いよ。趣味は陶器造り、神職が陶芸家なんだって。カリスマの姉、実務の弟。家臣たちの思惑が渦巻いて内乱が勃発しそうな雰囲気がプンプン漂ってるよ」

「内乱は阻止したいな」

「ぅえっ? 主様がキモ優しい。大量虐殺した犯人とは思えない発言にボク驚き」

「俺が優しいワケないだろ損得勘定だ。内乱で衰退したメダヒ・ナリナをシミターギが侵略すると大陸最大の領土になるだろ、それは避けたい」

「ならボクの暗殺術で弟のコムドラスをサクッとやっちゃう?」

 見た目は素朴な少女のミリングが親指で首をかき切るジェスチャーをする。なんて似合わないんだろう、言動は破綻してるのに。

「そうだな――」

 話を聞いていたエネマが慌てて、

「シミターギのマオチャボさんは良い人そうじゃない? 説得すればランティア領の味方になってくれるんじゃないかしら。草花鑑賞が趣味なんて心が綺麗で優雅な証拠よ」

 やはり殺人は嫌いらしい、ミリングの提案を避けたいようだ。

「マオチャボの執務能力は?」

「未知数だね~。蝶よ花よと育てられたから実務経験は皆無なり」

「説得に応じる可能性はあるが、主戦派の家臣をまとめるだけの実力があるだろうか……。軟弱な主を見限って下剋上なんて良くある話だろ」

「良くあるの?」

 首をかしげるエネマ。田舎育ちだから領主のお家騒動なんて感心がないだろうな。

「あまり聞きませんが」

 なぜアーセナルが知らない。オマエは軍人だからその手の話には敏感だろ。

「さすがは主様、領主殺しを画策してるんっすね、ランティア様の命が尽きるのは早そうだ」

 ニシシと笑うミリング。

「えっ?!」

「ミリングの冗談だ狼狽うろたええるなアーセナル」

 アーセナルが心配そうに、

「そうですか? 冗談ですよね? 信用してますよ?」

 どれだけ信頼ないんだ俺……。


「残るは姉のイジョーレか」

 考え込んでいるとアーセナルが、

「父殺しの主犯がキミだとバレるのは危険では? 護衛する身としては避けて欲しいですね。この世に斬れぬ物なしなんて普通の女性なら言いませんよ、物騒過ぎます」

「斬られる覚悟はもうしてる。俺としてはイジョーレを説得したいんだが」

「理由を聞かせてくれますか」

「料理が趣味なんだろ」

「えっ? 何ですって?」

「いやだから美味い飯が食いたいんだよ」

 アーセナルはクチを開いたまま呆然としている。

 ミリングがケラケラ笑っている。

「主様、超変! 自分の命よりも美味しいご飯って、ボクよりイカレてる~」

「もちろんそれだけじゃない。姉を引き抜けば内乱を阻止できるだろ。それに脳筋な姉を嫌う弟は対抗意識もあるだろうから戦を好まないだろう、そうなれば両陣営とも静観の姿勢に落ち着くはずだ」

「断固反対です!! 檻なしで獣を飼う気ですか?」

「獣かどうか、まずは会って話をしてみよう」


 行商人に扮しメダヒ・ナリナ領を進む俺たち一行。エネマが商主でアーセナルが護衛、俺とミリングが兄弟の従業員という設定。

 影に依頼して仕入れてもらったランティア領の特産品である高級織物が荷台に積んである。これをネタに姉のイジョーレに接近する作戦だ。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 遥か遠方の地、ランティア領の行商人が私に会いたいのだと言う。

 父を亡くし憔悴する私を見かねた家臣が気晴らしにと勧めるのだ。心配はかけたくない、ここは気丈にふるまい家臣を安心させてあげよう。

 応接室のドアが開く。メイドに案内され四人が部屋に入って来た。

「お初にお目にかかります、行商人の主をしておりますエネマと申します。本日はお目通りいただき誠にありがとうございます」

 たどたどしさの残る娘ね。私より若いかな。まだ仕事に慣れていないのかもしれない。その程度の器量で領主に面会を求めるなんて余程の良品なのかしら。

「そう固くなるな、気楽にしてくれ」

「はい、お気遣いありがとうございます」

 ソファーに座るよう勧めると緊張しつつ前に座る。

 後ろに立つ男は護衛だろう。優しい顔をしているけれど体はかなり鍛えてあるようね。私としてはこちらの男のほうが気になる。一度手合わせしてみたいものだわ。

 隣の女は……、特に特徴のないどこにでもいる普通の娘ね。

 その隣は幼い男の子。整った顔立ち、切り揃えられた黒髪、ピンと伸びだ背筋、絶やさぬ笑顔、よく教育されているのが見て取れるわ。

 うっ!

 どうしたと言うのかしら、あの子供と目があうと胸が苦しくなる。

「どうかされましたか?」

 エネマさんに気を使わせてしまった。

「いや何でもない」

 視線を外すと楽になる、何なのかしら……。

「そうですか、では早速ですが本日お勧めしたい品がこちらになります」

 後ろに立つ目立たない娘が布に包まれた品をテーブルに置き、布を広げた。

 見事に染められられた綺麗な反物ね。

「へぇ、これは素晴らしい。手に取っても良いだろうか」

「もちろんですとも、どうぞ存分にお確かめください」

 滑らかな肌触り。植物繊維ではない、これは。

「シルクなのか?」

「お目が高い。ランティア産の高級シルクでございます。生産量が少なく領主様や大店の商人しか着ることが叶わない品でございます」

「流石、良い物だなこれは!」

 うっ!

 まただ、あの子供と目があうと胸が苦しくなる。

 利発そうな子供だけれど特に容姿が優れているわけではない、それなのに何なのこの息苦しさは。

 あ、目が合ったことに気づいたみたい、私を見て微笑んだわ。

 うっ!

 胸の鼓動も早くなっている。

「あの……、体調が優れないようですが」

 視線を外すと息苦しさが嘘のように収まる。何だと言うの。

「済まない、政務の疲れが出たようだ。明日また来てくれないだろうか商談の詳しい話を聞きたいわ」

「そうですか、お体ご自愛下さい」

 四人が部屋から出ていく。最後に歩いているのはあの子供だ。

 扉の所で振り返るとお辞儀をして笑顔を向けてくる。

 うっ!

 まただ、何なの、この胸の苦しさは!

 扉が閉まりあの子の顔が見えなくなると胸の苦しみも消え、なぜか物足りなさを感じる。

 これは喪失感?

 出会ったばかりの子供との別れが辛いのか、私は。

 いやいやまさか。単なる体調不良よ。

 ……名前を聞けば良かった。




 寝室のベッドで横になる。寝るにはまだ早いけど今日は妙に疲れたわ。体調が悪いわけではないけれど、あの胸の苦しみが病気ならば大事を取っておいて損はないもの。

 あの子供、利発そうで大人びた視線。まるで私の心を見透かしているようだったわ。

 半袖、半ズボンから見える小さな手足。ぷにぷにしていて柔らかそうだった。

 サラサラの頭髪。頭をなでてあげたら喜ぶかしら。

「はっ!!」

 上半身をおこし両手で火照る顔を押さえる。

 いったい私は何を考えているのかしら。子供は嫌いじゃないけれど、でも特別好きってわけじゃないわ。

 きっとこれはお父様を失った寂しさよ。癒されたいという願望が幼い子供に向けられただけ。

 そうよ、そうに違いないわ。原因さえわかれば冷静に対処できる。私は次期領主なのだから。






 はうっ!!!

 嘘、嘘よ。今日は下半身が疼くの。

 あの子供を見ると股間が痺れるの。

 何、何なの?

 エネマさんが商品を並べて説明をしてるけど耳に入らない。私の注意はあの子に全て向けられている。

 いけないわ目線を逸らさないと。

「――という事でよろしいでしょうか」

「えっ? ごめんなさい、ちょっと考え事をしていて、もう一度説明して下さるかしら」

「あの……もしかすると商品がお気に召さないのでしょうか」

 あっ、あの子が悲しそうな顔をしている。いけないわ買ってあげないと。

「いいえ、そんなことはありません! たいへん気に入っているわ。そうね積み荷の半分頂こうかしら」

「ありがとうございますぅ~」

 あの子が喜んでる! 嬉しい!

「こちらも良い品が手に入り満足しています。どうかしら商談の成功を祝して今晩食事でも」

「たいへん有難いのですが、私どもは行商人、礼儀作法に疎く領主様に不快な思いをさせてしまいます」

「構いません。私も家臣たちから粗野な人と噂されているのに気付いているのです。ですからどうぞ気にしないで下さいな」

「そうですか、ではお言葉に甘えさせていただきたく存じます」

 よしっ!!






 ダイニングテーブルの主賓席は普通なら私が座るべきなのに今は空席。

 なぜって? 来客の隣に座っているから。もちろんあの男の子が隣よ。メイドたちに止められたけどこの館の主は私。好きにさせてもらうわ。

「シェフが腕によりをかけて作った晩餐。遠慮せず楽しんでね」

 前に座っているのはエネマさんと、護衛の男性と、無個性の子。高級食材の料理なんてあまり食べたことがないでしょ、美味しい料理を堪能しててね。

 驚いたのは隣の男の子。食べ盛りの子供なら飛び上がって喜びそうなのに平然としてる。不思議だわ。

「どう、美味しい?」

「ああ美味いよ」

 やっぱり子供。敬語を知らないのね、でもそれがいいわ。

「そういえばお名前を聞いてなかったわ、なんて言うのかしら?」

「俺の名前なんて聞いてどうするんだ」

 俺? 俺って言った? まぁ背伸びしちゃって男の子ね。でも男らしくてカッコいいわ。

 うっ!

 やっぱり目が合うと股間が揺さぶられる感じがする。勘違いじゃないわ、私、この子が気に入ったみたい。

「え~お姉さん教えて欲しいな~」

「気持ち悪いな、普段はそんな喋り方じゃないだろ」

 まぁ生意気!

 あ、もしかすると子供扱いしたのが気に入らないのかしら。この歳でプライドがあるなんて将来性あるわ。

「そうねアナタは男性。年下扱いは好きじゃないわよね、ごめんなさい」

「オマンだ。馬鹿にされていると勘違いした。こちらこそ済まない」

 素直に謝れるなんて心に余裕があるのね、見直したわ。

「仲直りできて嬉しいわ、料理、楽しんでね」

「素晴らしい味付けだ。生まれて初めて美味しい料理に出会えたよ」

 あんっ、胸がキュンてした!

 まるで大人の対応。すごいわ子供じゃないみたい。

「シェフもきっと喜ぶわ。そういえば自己紹介がまだだったわね、私は――」

「知っている。イジョーレだろ。商談をもちかける家の情報くらい事前に調べておくのは礼儀だ」

 英才教育?! エネマさん見た目と違いやるわね、侮っていたわ。

「フフッ、アナタのクチから礼儀だなんて、それ、わざとかしら?」

「よく判ったな。子供だと舐められないために強気の姿勢で通している。もし気に障るのならやめるが」

 強気の男の子、可愛い~。いつもはどんな態度なのかしら気になるわ。

「言葉だけの礼儀なんてただの悪臭よ。相手を尊敬する気持ちは自然と態度に出るわ」

「俺の態度はどうだ。イジョーレを尊敬しているように見えるだろうか」

 異性の視線を気にするなんて、ナイーブな一面もあるのね。

「大人しい草食動物の皮を着た獰猛な肉食獣のようね。アナタの目を見ると鼓動が早まるわ。そうねアナタから感じるのは尊敬の念ではなく捕食かしら」

「クックック、俺はまだ七歳だぞ、いったい何に怯えている」

「アナタに全てを委ねたい、そんな衝動に駆られる自分の心が恐ろしいわ。もしアナタが大人ならこのドレスを脱ぎ棄てているわ」

 あら、視界の片隅で無個性な姉がプルプル震えてるわ。可愛い弟を取られるのが心配なのね。

「ごめんなさい、ちょっと酔ったみたい、いつになくふしだらな言葉が口から零れるわ。それに、お姉さんの視線が怖いから冗談はこのくらいにしましょ」

「そうだな。食事も十分堪能した」

 ナプキンで口の汚れをふき取り、果実酒を一口飲み込む。

「エネマさん部屋を用意させるから今晩は泊っていきなさいよ」

「ありがとうございます、私もちょっと酔ったみたいで宿まで帰れそうにないって思ってたんです。お言葉に甘えさせていただきますね」

「先に席を外させてもらいますね。皆さんはゆっくりとお食事を続けてください」






 湯浴みをして体を綺麗に洗った。

 髪には香油を付け、ピンクのネグリジェに身を包む。

 とっておきの香水を首筋に一滴。

 あの子には個室で寝てもらうようメイドに手配させた。

 扉の先にはあの子がいる。高鳴る鼓動。緊張で喉が渇く。

 静かに、音を立てずに、そっと扉を開く。

 部屋の中は星の明かりでうっすらと見える程度。

 二人で寝ても余裕のあるベッドの輪郭が浮かび上がる。

 ゆっくりと足音を立てないよう忍び寄る。


「俺に用事でもあるのか?」

 心臓が張り裂けそうなほど驚いた。

「起きてたのね」

 彼は体を起こすと、こちらを見ているようだわ。星の光だけでははっきりと表情が読み取れない。もしかして怒っているかしら。

「まあね……。星の光に照らされて光輝くブロンドの髪。向こうの景色が透けて見えるほど薄い服。豊満な胸。引き締まった腰。スラリと伸びた長い手足。成人男性が見たら思わず抱きしめてしまいそうなほど魅力的だ」

「褒めてくれて嬉しいわ」

「その手に握られたナイフさえなければね」

「ねえ、アナタ何者?」

「行商人の一人だが」

「嘘よ。他の者は銀製のカトラリーに驚いて使うのを躊躇ためらったのに、アナタは平然と使いこなしていた。いったいどこで覚えたのかしら?」

「まさかそんな所で怪しまれるなんて予想してなかったよ。ご慧眼、尊敬に値する」

「胡麻化さないで白状なさい」

「秘密を簡単に暴露するほど軽い男じゃないんでね」

「その強気、いつまで持つかしら」

 私は剣星。その気になれば一瞬で間合いを詰められる。けれど、ゆっくりと、ゆっくりと、彼に歩み寄り恐怖を増長させる。

 泣いて許しを請う姿が見たい、狼狽うろたえる姿が見たい、甘える姿が見たい、胸の谷間に顔を埋めたい、服従させたい。

 この子は一生わたしの物だ!


 ベッドに登り、羽毛布団の上から彼に馬乗りになると、軽く頭を押して寝かせ、ナイフを腹の真上に垂直に立てる。

 なぜ声を上げないの? ナイフに怯えないの? 逃げ出さないの? 命乞いをしないの?

 このままだと私、アナタを殺してしまう。

「体重をかけたらナイフが沈み込むわよ」

「イジョーレのような綺麗な女性に刺されるなら男として誇らしい」

 星明りでもこれだけ近づけば表情が見える。余裕のある笑みを浮かべているわ。

「ホント、子供らしくないわね……。私、アナタのこと本気で好きになりかけてたの。でも私は前領主の娘で次期領主でもあるの。疑わしい者を簡単に信じることはできないわ。ねえお願いだから本当のこと話してくれない? 事情を知れば力になれるかもしれない」

「甘いな、俺ならもう殺してる。それに付き合うなら領主の立場くらい捨てる覚悟のある女性を選ぶ」

 気丈な子。死を恐れていないのかしら。特殊な訓練を受けている可能性もあるわね、只者じゃないわ。危険、とても危険な香りがする。

「真実の愛を与えてくれるなら領主の座くらい捨てて見せるわ」

「言葉だけの愛など妄執だ、俺は態度で立証してやろう」

「あらっ、どうやって立証してくれるのかしら?」

「この命、キミに捧げよう」

「プッ、フフフフ。三流芝居の台詞だわ」

 ゆっくりと体を前に倒してゆくとナイフは押され彼の体に埋まってゆく。

 そのまま彼に別れのキスをした。

「さようなら、私の愛した可愛い子」

 涙が止まらない。誰にも気づかれないよう静かに部屋から出ていく。

 夢のような二日間。最初で最後の恋は失恋でした。






 一睡もできなかった。あの子の顔が、声が、忘れられなかった。声を殺して泣いた。涙が止まらなかった。

 起こしに来たメイドが私の顔を見て凄く驚いていた。そんなに酷いかしら。

 メイドは苦労しながら少し濃い目のメイクで誤魔化してくれたわ。

 気持ちを切り替えよう、そろそろメイドの悲鳴が聞こえるはずだ。そう、あの子の死体を見つけて……。



 ダイニングの扉を開くと、

「すみませんお腹すいちゃって、先に朝食頂いてます」

 エネマさんがパンをかじりながら非礼を詫びている。

 なんて呑気な子なの。知り合いが死んだというのに。

 メイドも平然と昨夜と同じ席に私を案内する。


「おはよう、随分と寝坊なんだな」

 彼が上品にスープを飲んでいる。

「えっ?! ちょっと待って! アナタどうして生きてるの?」

「寝ぼけているのか、顔を洗ってこい」

「洗ったわよ! いえ、そうじゃないでしょ! 昨日の夜、アナタのお腹にナイフを刺したでしょ!」

 エネマさんと護衛の男が驚いているけれど今はそれどころじゃないわ。

「朝から殺人の自供なんてするな」

「どうだっていいでしょ! ねえ、ナゼ生きてるの?」

「愛の力だろ、言わせるな恥ずかしい」

 腰から力が抜け、ペタリとその場に座ってしまう。

 ダイニングテーブルの下、他の人からは見えない位置。

 彼は顔を近づけると優しいキスをしてくれた。

「立証、できただろ?」

「はい」

 どうやら、この小悪魔に魅了されてしまったみたい。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 生まれ変わって初めてのキス。これもファーストキスと呼んで良いのだろうか。

 イジョーレは目を蕩けさせ、俺を熱い視線で見つめている。どうやら好感度を上げるのに成功したようだ。

 俺の見た目はごく普通の子供。たった二日で女性に惚れられるほど魅力は高くない。すべてスキルの力によるものだ。

 スキル『穴縮小』により気道を細くし動悸が激しくなるよう調整。視線が交わるタイミングで発動するのは骨が折れた。さらに『穴振動』により女性の大事な穴を振動させ快感を与える。血流が増すことで顔が赤くなり疑似的な興奮状態を演出したのだ。

 カトラリーを使いこなしたのは咄嗟の判断。疑われるように仕向ければイジョーレが接触してくると想定したのだ。まさかナイフを持ち出すとは予想の範疇はんちゅうを超えていたが、無様に騒いでは計画が頓挫しそうなので、あえて気丈に振舞った。

 刺されたときは死を覚悟した。叫び声を出さぬよう必死に耐え、イジョーレが部屋から出るとすぐにスキル『穴復元』で腹に空いた穴を治療したんだ。

 寝室には気配を消したミリングが待機していたが気が付かれなかったようだ。俺が呼ぶまでは何があっても手を出すなと命令しておいた。刺されても逆上しなかったのは流石プロなのだろう。イジョーレが去ったあとなだめるのに苦労した。

 綱渡りの夜だったが、それに見合う成果を得た。イジョーレの心を手に入れたのだ。

 しかしスキルによって好感度を上げたことは墓穴まで持っていこう。バレたら確実に殺されるからな。


「イジョーレ」

「ふぁい?」

 まだ瞳を潤ませロトンとしている。

「俺と一緒にランティア領へ来てくれないか」

「えっ、なぜ?」

「お世話になっている人にアナタを紹介したいんだ」

「そ、それって――」

 俺はイジョーレのクチを指で押さえ言葉を遮った。迂闊に言質を取られたくはない。

「深くは考えなくていい、俺を信じてついてきて欲しいんだ」

「付き合うなら領主の地位くらい手放す女性がいいって言ったわよね、これって私を試しているのかしら」

「いや、領主のままでいてくれ、そのほうが都合がいい」

「都合?」

「こちらの話だ。俺のお願いは聞いてもらえないのだろうか」

 イジョーレの手をぎゅっと握ると、頬を染めて視線をそらした。

 もう一押しか? スキル『穴振動』。

「んっ……」

「お願いだイジョーレ」

 最低の行為だと重々承知している。しかし目的達成のため彼女の助力が必要なのだ。糞男とさげすまれようと俺は鬼畜の道を進む!

「わ、わかったわ。アナタについて行く。でも、ちょっと、ゴメンなさい、もう一度顔を洗ってくるわ」

 顔を真っ赤に染めたまま小走りで部屋から出て行った。

 どうやらやり切った。俺は大きな安堵の溜息をもらした。


 背後に殺気を感じる。

「あ~る~じ~さ~ま~」

「何だ?」

 背中の異物感。どうやらミリングが俺の背にフォークを当てているようだ。

「色仕掛けで味方に引き入れるとは聞いてないゾ」

「子供が色仕掛けって、痛っ」

 フォークの先端が服を貫通し肌に触れた。

「ボクの気持ちは伝わってるよね?」

「ジジイの決めた許嫁に興味はない。連絡係を超えた関係性を築きたいのなら俺をその気にさせてみろ」

 ミリングの手が俺のショートパンツの中にスルリと忍び込み、アレをきゅっと掴んだ。

「ちょっ、おまっ!」

「メンドクサイ。ボクは人の殺し方しか教えられなかった。親密度の上げ方なんてこの方法しか知らない」

 スコスコスコスコスコスコ。

「手を動かすなっ」

 スコスコスコスコスコスコ。

「ボクの何が気に入らない? 顔か? 体か? 性格か? それとも殺人鬼は嫌か?」

 スコスコスコスコスコスコ。

「顔は普通、体も普通、性格は破綻、俺の手も汚れている殺人は気にしてない。優秀な諜報員として凄く助かっている」

 スコスコスコスコスコスコ。

「なら、どうしてボクの気持ちに応えてくれないの?」

 スコスコスコスコスコスコ。

「俺の股間が反応しないからだ」

 スコ、スコ、ス――。

「大きく、ならない、な」

「女性に興味がわかないんだ。あ、だからと言って男性が好きってわけじゃないぞ。ミリングは優秀な子孫を残せと爺に命令され俺に接近したんだろ、でもこんな体だから要求に応えてやれないんだ。済まないな」

 ショートパンツから手が離れると、両腕で俺を抱きしめてくる。

「主様、ボクを舐めてる。嫌いな相手なら殺して命令を無効にする。まだ主様は生きている、この意味わかるでしょ、てか、わかれよ」

「ミリングこそ理解しろ、俺は力づくじゃ落ちない。振り向いて欲しいなら恋愛を勉強するんだな」

「わかった、恋愛なんて殺人と一緒、すぐ覚える。それに安心しろ主様。まだ子供の体だから反応しないだけさ。大人になればきっと立つ、ボクが立たせてみせる、必ずだ!」


 悪いなミリング、スキル『穴縮小』で海綿体への血流を止めたんだ。

 お前は有能、だから手放せない。イジョーレと同じくオマエも利用させてもらう。

 大陸統一が果たせた後ならオマエのこと真剣に考えるよ。ハハッ、まるで受験前の恋愛ごっこだ。


 しかし謎だ、謎すぎる。そこまで真剣に俺に惚れるイベントあったか?

 ジジイの命令はそこまで強制力が強いのか?

 ミリングを解放するにはジジイを始末する必要があるかもしれないな。

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