第9話 テスト勉強
ソドネレコ領の山が再び動き出さないか監視するため小高い丘の上で野宿をした翌朝、簡易的な焚火にはお湯を沸かすための鍋が置かれ、中ではお茶の葉が煮られている。朝食のメニューは固いパンと干し肉とお茶、ようするにいつもと同じやつだ。
エネマはアーセナルのために食事を作りたいらしく料理を覚えようと四苦八苦しているが、まだ人様に提供できるだけの腕前じゃない。今後に期待だ。
「ランティア領に戻りましょう」
護衛のアーセナルが突然言い出した。
「故郷が恋しくなったのか?」
「違いますよ、そろそろ初等部の試験日ですよね」
「あ~、そんなのあったな」
「試験て何?」
ナトリオ領出身のエネマが知らないのも当然だ。アーセナルがランティア領の教育制度についてエネマに教えると。
「私も試験を受けた方が良いかしら?」
「そうだね、魔術師の階級は特務大尉らしいから軍ではエリート中のエリート扱いだ、卒業資格を取っておいて損はないと思うよ。試験にさえ合格すればいいから通学する必要はないし、俺でよければ基礎知識は教えてあげられるよ」
「それじゃあ私も受けるわ」
「俺は別にいらないんだが」
「ダメです! キミは既に幹部なのだから肩書は必要不可欠です」
「ちぇっ、こーいう時だけ兄貴っぽくなるんだからな、わかったよ」
こうして俺たちはランティア領に戻ることになった。
街道をのんびりと馬車で進んでいると、首都にほど近い広場に複数の荷車と装備を着用した兵士が作業している現場が目に入る。
物々しい雰囲気から軍事訓練レベルの出来事でないのが感じ取れる。
「出撃準備だよな?」
「そうですね、まだ物資の調達中らしいですが……。もしかするとロプシチアが再び攻めて来たのかも」
兵士たちの表情に緊張感がない。攻め込まれたのならもっと慌てても良いと思うのだが。
「俺が掘った渓谷に橋がかけられたとは聞いてない。攻城兵器を運ぶ算段がつくまでは迂闊な行動はしないだろ」
「そうだと良いのですが……」
「ねえ、ロプシチアが攻めてきたら軍に入れるって将軍様が言ってたわよね、私どうなるんだろ……」
「約束したしなあ、断るのは難しいかもしれない、覚悟だけはしておいてくれ」
「え~~~~」
こいつら俺の前で裏切り宣言したからな、目を光らせてないと本当に駆け落ちするかもしれない。
ランティア領の首都に到着するとアーセナルの知り合いらしき門番が声をかけてきた。
「しばらく見なかったが、そうか、軍を辞めたって話は本当だったんだな」
アーセナルが行商人の姿に扮しているので勘違いしたようだ。
「辞めてないし! お使いを頼まれただけだよ」
俺の立場は秘密なので護衛の任務ではなくお使いと言ったのか。さすがはアーセナル、これがエネマならペロリと喋ってしまいそうだがな。
「そうか、オマエ、仕事楽しそうじゃなかったし、もしかしてと思ってな、まあ無事ならいいんだ、お帰り」
「ただいま。なあ、兵士たちが集まっていたが何かあったのか?」
「出陣だよ、ソドネレコ領に攻め込むらしい」
「は? 領主様がそんな命令を下すわけないだろ」
「もちろんそうさ。でもな、今実権を握っているのは弟君のヤツワイル様だよ」
「えっ?! イーヒトー様はどうなされたんだ?」
「体調を崩されているらしい。それで領主代理を任されたヤツワイル様が好き放題しているってわけさ」
「具合は?」
「領主様の体調は極秘情報だからな、俺なんかが知れるはずないだろ」
「心配だな……」
「まあ、そんなことより長旅だったんだろ、ゆっくり休んで疲れを取れよ」
「そうだなありがとう」
とりあえずエネマを宿屋へ送り、俺は寮へ、アーセナルは上官のもとへ報告に向かった。
翌日、領主代理に呼ばれた俺たち三人は領主邸へ来ていた。
綺麗なメイドさんに案内され応接室へ入ると、デプッとした恰幅の良い中年男性がソファーに座っていた。
たぶんコイツがヤツワイルだろう。方眉毛を上げながら値踏みするような視線を俺に向けてくる。
その後ろにはテオ将軍が困った顔で立っていた。いつもなら横柄な姿勢で領主の隣に座っているのに、どうしたんだ?
領主代行の前に俺が座ると。
「誰の許しを得て座った」
人に命令するのが大好きそうな威圧的な声だ。
「失礼しました」
礼儀など知らないが、今までは優しい領主様が大目に見ていてくれたのかもしれない、気を付けよう。
ソファーから腰を上げ、一例し、アーセナルたちの隣に立つ。
ヤツワイルは頭を軽く振りながら大袈裟な溜息を洩らした。
「まったく下賤な餓鬼などに舐められおって、だから兄上は――」
ゴホンと将軍が咳払いをし、
「長旅ご苦労。まずは報告を聞こうか」
どうやらコイツの愚痴は長いらしい、空気を読んだ将軍が強引に話を進めてくれたようだ。
腹芸など好みそうもない将軍が気を遣う相手とは、いったいこの領主代行はどんな奴なんだ?
報告は軍人であるアーセナルにお任せだ。
「はい。ヨコーソノ領に有能な軍師がいると聞き向かったのですが、デマだったようで確保までには至りませんでした。それ以外は特に報告できるような成果は上げられておりません」
「そうか、残念だが仕方ない、次に期待する」
「はっ」
「無能がっ! やはり子供には荷が重いのだ。兄上がなぜこんな餓鬼を厚遇するのか理解できぬわ」
どうやらこの豚は俺が気に食わないらしい。アーセナルが報告している間もずっと眉間にシワをよせ俺を睨んでいた。
初めて出会った領主がこの豚だったら俺はランティア領に見切りをつけ早々に出ていただろう。
「いいえ、坊主は子供に見えますが優秀です、魔術師を獲得した実績もあるのです」
「なにっ魔術師!? 聞いておらぬぞ」
テオ将軍がシマッタという表情をしている。
秘密にしておくと領主様と約束したのに、このオジサン迂闊すぎるだろ。
「そこの娘がそうか、そうなのだな」
テオ将軍は黙ったまま頷いた。
豚はエネマを見ると、瞳に欲望の色を滲ませ、興奮気味に、
「名乗ることを許す」と。
気色の悪い視線を向けられたエネマは無意識のうちに後ずさりしていた。まるで酔った中年男性に言い寄られる
「ワシの命が聞けぬのか!」
豚の圧に押され萎縮してしまい応えられそうにない。瞳にはうっすらと涙が滲んでいる。
「名をエネマと申します」
見かねたアーセナルが軍人らしくハキハキと応答した。
エネマの声が聴けなかったのが不服なのか舌打ちをする豚。
「若く見栄えも良い。常々考えておった、わが一族に魔術師の血を加えようとな。支配者たるもの、やはり強くならねばいかん。我が子はこの領地を継ぐのだからな。おいエネマと申したか、そなたはワシの妾とする、良い子を孕めよ」
エネマの顔からは血の気が失せ絶望に満ちた表情をしている。
口答は不敬罪に値する、アーセナルは歯を食いしばって耐えているようだ。
「いやっ……」と、エネマのクチから微かに漏れた声。
もう黙って見てられない。
「お待ちください、エネマには既に婚約者がいます。どうかお考え直しください」
「この餓鬼、誰が発言を許したのだ、黙っていろ」
「俺は補佐官の肩書を頂いており領主様への意見具申を許可されております。それに、彼女は俺がスカウトして来た人材です、その責任がございます」
「
「そこにいるアーセナルです。二人は既に固い絆で結ばれているのです、どうかご再考ください」
「なんだとっ!! 一兵卒が宝である魔術師に手を出したと言うのか!! 許せん! 衛兵、衛兵!! この男の首を撥ねよ!」
四人の衛兵が慌てた様子で部屋に入ってくる。応接室の中で首は撥ねないのだろう、アーセナルの腕を掴み部屋から連れ出そうとする。
事の重大さに気づいたのか、アーセナルは青い顔をしたまま素直に衛兵に連行されていく。
「やめてっ!!」
衛兵の腕にしがみ付くエネマ。それを跳ねのける衛兵。床に倒れこむエネマ。
「やめてって、言ってるでしょ!!!」
手のひらを衛兵に向けた。
「待てエネマ!! それはダメだ、やっちゃダメだ、アーセナルのために我慢しろ!」
開いていた手のひらを震えながら握り絞める。
「ヤツワイル様、もしアーセナルが傷つくようなことがあればエネマはこの屋敷を一瞬で灰塵に帰すでしょう。二人と心中する気なら止めませんが、せめて屋敷の使用人たちが逃げるだけの時間は与えてください」
「ヤツワイル様、ご再考を」と、テオ将軍が頭を下げる。
「くっ……、斬首は取り消す、ソイツを牢にぶち込んでおけ! 女は部屋に軟禁しておけ、ワシの許しが出るまで部屋から出すなよ!」
エネマもおとなしく連れて行かれた。
コイツか? この醜悪な豚が悪いのか? 殺しておくか?
テオ将軍が俺を見ながら首を振っている。どうやら俺の瞳に殺意が込められているのを感じ取り、やめろと伝えたいようだ。
知るか! 我慢の限界なんだよ!
しかしこんな豚でも領主の弟。どうすればいい……。
「はぁ~、だから餓鬼などに任せておくから失敗するのだ。兄上はオマエを気に入り補佐官に任命したらしいな。だがワシは違う、オマエなど必要ない、補佐官から解任する、どこへなりと行くがいい」
「お待ちくださいヤツワイル様、有能な人材です、手放すなど――」
「口答えするな! 兄は甘すぎるのだ、だからこんな餓鬼に舐められる。将軍に舐められる。領民に舐められる。ロプシチアに舐められる。ワシは舐められるのが我慢ならん! 早く出ていけ! その顔、二度と見せるな!」
衛兵に両腕を掴まれ、屋敷の門の外まで引きずられ、まるでゴミでも捨てるかのように放り投げられた。
失敗、なにを失敗した?
エネマを連れてきたのが失敗か?
アーセナルとの関係を暴露したのが失敗か?
将軍を同席させたのが失敗か?
夜の営みを黙認したのが失敗か?
どこで俺は間違えた……。
「あいたっ。痛タタタ」
老人が俺の前で転んだ。膝を打ったのか痛そうにさすっている。
白いあごヒゲにスキンヘッド、長い杖を持つどこにでもいるような老人だ。
俺は衛兵に投げられ地面に突っ伏している。痛いと嘆きたいのは俺のほうだ。
ショックで起き上がる気力もない。
「痛タタタ」
老人はまだ膝をさすっている。
どこかへ行ってくれないかな、静かに落ち込むことすらできない。
「痛タタタ」
そ~ゆ~ことね、オマエはNPCで俺が声をかけるまで同じ行動を繰り返す気だな。
仕方ない起き上がるか。
「大丈夫ですか?」
「おや、死にそうな顔をしておる。アナタのほうが大丈夫そうに見えませんがね」
「黙れじじい。大切な友人を二人同時に失い凹んでるんだよ」
「落ち込んでいるのに、老いたワシに声をかけてくれるなんて、アナタは優しい人だ」
「見え透いた世辞はよせ、俺が声をかけるまで居座るつもりだっただろ」
「クックック、友人は二人ではなく三人と言って欲しかったのぅ」
「はぁ?」
「穴は」
『影』には老人もいるのか。しかし補佐官の任を解かれた俺に情報など不要だ。
「悪いが俺は――」
「どうか領主様をお救い下され。ワシは影の長。主に領内の不穏分子を調査しております。以前よりヤツワイル様の動向が怪しいため内偵を進めておったのですが、最近動きが活発になり、そこへ領主様の体調不良。憶測の域を出ませんがヤツワイル様が関与しているのではいかと疑っております」
説明はいやに活舌がいい、今まではボケ老人の演技だったわけだ。
「後継者争いなどありきたりのゴシップだ。憶測で俺は動かない。毒を盛ったのなら証拠があるはずだ。それに直接手を下すとは考えにくい、協力者がいるはずだ、人に頼み事をするのなら最低でもそのくらいは調べておけ」
「どちらも調査中、しかし明確な証拠が発見できず……」
「証拠がないのは無実の証明だ。オマエが冤罪を演出しているとも考えられる。俺を犯人に仕立て上げるつもりか? 子供だからと侮るなよ」
「滅相もございません、どうか信じて下され」
「初対面のヤツを簡単に信じるほど俺はお人好しじゃない、諦めろ」
「こうしている間にも領主様の体調は悪化の一途をたどっております。せめて領主様だけでも、どうか、どうか~」
「まさか、俺に領主を攫えと言うのか」
「ハハッ」
「影の構成員は多いはずだ、ヤツワイルが黒幕と言い張るのなら総動員でもしてオマエたちが救い出せばいい」
「ここへ参ったのはワシの一存。部隊とは関係ありません」
「一存だと? 今までの話、オマエの私怨でないと証明できるか?」
「それ、は……」
「補佐官の肩書を失った餓鬼など、さぞかし操りやすい駒に見えただろうな、悪いが一人にしてくれないか、今は誰とも話たくない」
うなだれる老人をその場に残し俺は急いで寮へ向かう。荷物が処分される前に回収しなければ無一文になってしまう。
寮に置いてある私物など殆どないので荷物と言っても布袋一つ分だけだ。それを背負い夕暮れの町を
暗い顔をした餓鬼がいる、すれ違うやつらはそんな目で俺を見る。
「まさに『ふりだしにもどる』だな。いや、金は少しあるし、服を着ている、随分マシか……」
保護者のいない子供を泊めてくれる宿などありはしない、さて、今夜はどこで野宿するかな。
ふと、聞いたことのある音色が暗く沈んだ心に波を立てた。
飯屋の窓から零れる灯りが地面を照らす。まるで炎に吸い込まれる蛾のように俺は飯屋の扉を開いていた。
最奥に座る演奏者。フードで顔は見えないが、この音色は彼女に違いない。
知っている人がいる、それだけで心が温かくなる。自分がどれほど心細かったのか今になって思い知った。
空いているテーブルに座る。音楽に魅了されたウエイトレスは注文を取りに来てくれないが構わない、絶望のせいか腹は減っていないのだ。
しばらくして演奏が終わると客たちから優しい拍手が贈られた。
凍てついた心が溶かされたかのように、俺の心と体が軽くなると、食欲が無かったのが嘘のように空腹感が増していた。
ウエイトレスを呼び注文を済ませ、料理を待つ間に演奏者に演奏料を渡しに行く。
「いい曲だった。あなたのおかげで食欲が沸いたよ。ありがとう」
コクリと頷く。
ミイラのように顔には包帯が巻かれている。酷い怪我なのかもしれないが女性に聞いて良い話題ではないだろうし、触れないでおこう。
そう言えば会話は苦手だったな。長居は悪い早々に立ち去ろう。
去ろうとした俺の背に声がかかる。
「ご飯、ご馳走して」
意外な言葉に彼女の顔を二度見してしまった。
「喜んで」
断る理由はない。テーブルに誘いウエイトレスを呼ぶ。
「遠慮なく注文して」
「彼と同じのを」
「好きなのを選んでくれて構わないよ」
「いい」
不愛想だが不機嫌でないのは何となく感じ取れる。
「ヨコーソノ領の飯屋でキミの曲を聞いたことあるんだ。覚えてないよね」
どこかで会ったことない――なんてナンパ師の常套句を使う時が来るとは思ってなかったな。
「忘れない」
「えっ? それは嬉しいな」
リップサービスかもしれないが自然と顔がニヤケてしまう。
「私の神職は歌姫。相手を見て歌詞を思い浮かべると、その人の過去と未来が観えるの」
「は? ……え? ……ああ!」
冗談かと思ったが、前に聞いた歌が俺の行動と良く似た歌詞だったのを思い出した。
「そんなにハッキリとは観えないの。それに未来は確定していないから」
「そうだったね、歌詞では姫に惚れられるらしいけど、あの後、姫に殺されそうになったよ、まあ姫と言うより豚だったけどね」
俺が笑っていると。不思議そうな顔で首をかしげている。
「あの歌詞の姫は私のことよ」
「え?」
「アナタが成長し私の背に追いついたころ、アナタのことが好きになり愛を誓うイメージが思い浮かんだのは事実。けれど今のアナタに魅力を感じない。イメージのアナタはもっと野性的で、自信に満ち溢れていて、欲しい物は必ず手に入れる傲慢さを持ち、でも優しさは忘れない、そんな男性だった」
「それが俺? 別人だろ」
「そうね、今のアナタは死んだ小動物の目をしているもの。もう一度言うけれど未来は確定していない。未来が変わったことは幾度もあるの。だから参考程度に考えてね」
「納得だ。今の俺はゴミ屑さ、だから君の見た未来はもういない……。昨日までは身分不相応な要職についてたんだけどね、今は無職なんだ、情けない俺を笑ってくれよ」
ほぼ初対面の女性に愚痴をこぼすなんて最低だな俺。
「不思議なことを言うのね、子供は誰だって無職よ、要職につく子供のほうが不気味だわ」
目から鱗が剥がれ落ちた。俺は何を落ち込んでいたのだろう、もしかすると肩の荷が下りたと喜ぶべき状態じゃないのか?
もしかすると彼女は天使なのかもしれない、背後から光明が見えるほど輝いている。
「いいわ私も気になるから歌ってみる」
俺にだけ聞こえる音量で、軽やかにアカペラで歌い始める。
『老人は友の救済を懇願する♪
毒に侵されし友は動かしてはならぬ♪
解毒薬は友人の店で眠る♪
優しき友は弟を断罪せず♪
友を殺害した弟は高らかに笑う♪』
「この歌詞が何を意味しているのかわからないわ。けれどアナタにとって重要なのは確か。それは私との恋よりも。……ちょっと残念」
「そうか、俺との恋は消えたのか。……残念? 死ぬ間際の小動物は好きじゃないんだろ」
「歌を聞いてる途中で目に光が戻ったもの。小動物ではなく得物を狙う猛獣のように。その目、とても野性的で魅力的よ」
「自分でもわかるよ、俺、ニヤケてるだろ。友人を泣かせた豚をどうやって調理しようか考え始めてる」
「ゾクゾクするわ、その傲慢さ。とても子供に見えない。やっぱりイメージ通りね」
「君を口説く資格が戻ったようだな」
「あらっ、未来が確定していないと女性を口説くこともできない臆病者なのかしら?」
「脈のある女性なら名前を教えてくれると思うけどね」
夕食を楽しみながら他愛もない話でお互いを深く知っていく。
彼女の名前はヒーメン。次に会うのは俺が大人になってからだ。
昨晩はヒーメンの宿に泊めてもらった。もちろん都条例に抵触するような未成年者への淫行はしていませんとも。してないが目の保養にはなりました。凄く――。
ちなみに、俺は細い体形の女性が好みだ。胸は小粒で腰はキュッと締まっていてお尻は小さく、でも手足にはちゃんと肉が乗っている、そう、まさに、ヒーメンが理想的な体形だったのだ!
さて、昨夜の情景を
「いらっしゃいませ。おや! ご無沙汰しております。あなた様に教えて頂いた新型の流し台と便器が飛ぶように売れておりまして――」
「ごめん、長居する余裕はないんだ」
友人の店と聞いてここしか思い浮かばなかった。学友のマフィンの父親が経営する家具屋だ。
「それはそれは、申し訳ございません、やはり有能な方はお忙しいのですね。して、本日はどのようなご用件で」
「変な質問かもしれないが、この店で薬を扱ってないかな?」
「薬、ですか? 大変申し訳ございません、家具屋なので薬品の類は扱っておりません」
深々と頭を下げられてしまった。非常識な質問をしているのは俺のほうなので気が引ける。
「頭を上げてくれ、失礼を承知でたずねたのは俺だ。それでも頼れるのはこの店だけなんだ、何でもいい、むしろ売り物じゃなくていい、思いついた物を売ってくれないか」
今度は俺が深々と頭を下げた。
「そうは言われましても……。あ!」
「あるのか!」
「はい、以前、娘が酷い便秘に悩まされたことがございまして、珍しい薬を取り寄せたのですが、使う前に快便になりましたので未使用のまま保管してございます」
「それだ! それを言い値で買う、譲ってくれ」
「いえいえ新型便器の件でかなり儲けさせて頂いております。どうかお持ちになってください」
「すまない感謝する」
店主から薬瓶を受け取ると家具屋から出る。
店から少し離れた場所で、
「穴は!!!!」と大声で叫んだ。
道行く人々が驚いた表情で俺を見てくる。だがこのくらいの羞恥など気にしない。
もし影が監視しているのなら接触してくるだろう。
適当に町を歩いていると背後から
「素晴らしい」と小声で囁かれる。
「オマエらの長に会いたい」
背後の気配が消える。
宿に戻り連絡を待つことにした。
ヒーメンは既に他の町へ移動した後だが、俺のために数日間の宿泊代を払ってくれている。
数刻もしないうちに宿屋の扉を叩く音がした。
「開いてるよ」
「失礼します」
影の長である老人が部屋に入って来た。どう見ても普通の老人だ、特殊部隊をまとめ上げるほどの風格は感じられない。
「あのような呼び出し方、肝が冷えます」
「仕方がないだろ他に手がないのだから。さて、オマエには質問がある、まずは答えてもらおう」
「力になって頂けるのでしたら何なりと」
「俺を信用させてくれ」
老人が口を半開きにしている。そりゃそうだろう信用を得るなど簡単ではない。
歌姫の歌詞から領主の弟が犯人なのは明白だ、しかし安易に影を手伝うのには抵抗がある。下手をすれば汚れ仕事を手伝わされることになりかねない。ここは立場を明確にし、借を作らねば今後の付き合いに影響がでるのだ。
「信用とは長い時間を費やして互いに高めあうものです、領主様に残された時間はわずか、そのような余裕はありません」
「無論。だから手っ取り早くオマエの秘密を教えろ。機密性の高い情報ほど価値があるなんて、影の長に説明するのも無駄だろ」
「ワシが嘘を教える可能性はどうされます」
「腹の探り合いで時間を浪費したければ好きにするがいい、それで俺の信頼が得られるのならな」
老人がゴクリと唾を飲み込む。
秘密は諸刃の剣でもある。弱みを握られたと感じるあまり殺し殺される間柄にもなりかねないのだ。だから教える秘密は他愛のない事のはずだ。老人を助けるための口実ならばそれで十分だ。
「わかりました、ワシの神職をお教えします」
え? ちょっと重いな。だが教えられるレベルの神職なのだろう。
「いいだろう、影の長の神職、さぞや特殊なのだろう、楽しみだ」
「ワシの神職は裁判官。相手の嘘が見抜けます」
嘘発見器なんてチートじゃん! 俺、いままでコイツに嘘言ってないよな……。
「ほぅ、どう見える」
「言葉を発するときに一緒に出る息が、真実なら無色透明ですが嘘なら黒い煙となってワシだけに見えます」
「それは面白い試してやろう、俺は死んだことがある」
「そんなご冗談をぉぉ?!」
老人がカッと目を見開いている。
「う、嘘ではない? いったいどういうことで?」
仮に老人の神職が嘘ならば驚いたりしないだろう、死んだ人間などいるはずがないのだから。
「秘密だ。オマエの神職の対価として俺の秘密を暴露した、これで対等、信頼が築けたな」
「いえいえいえいえ! アナタに対して疑念を抱きましたがぁ!?」
「長なのに度量が狭いな、受け入れろ。……おい、その神職で愚弟の嘘を見抜けるだろ」
「領主様を殺そうとしてますか、と尋ねますか?」
「難しいな、いいだろう俺が聞いてやる、毒を盛ったな、と」
「ハッハッハ、不敬罪で即刻処刑されますぞ」
「今更だ。もう一つ質問だ、なぜイーヒトーに固執する。影は領主直属の部隊だろ、領主が交代しても主がすげ変わるだけだ」
「ワシは前領主様の頃より仕え、幼いイーヒトー様をずっと見守ってまいりました。ワシのような者にも優しく、アナタを気遣い手厚く助けるよう指示を出されたのもイーヒトー様です。あの方こそ領主に相応しい。あの方以外には考えられませぬ」
「その優しさが弟には甘いと思われているようだが」
「否定できませぬ。しかしその甘さを補うために将軍や側近が周囲を固めご助力しているのでございます。もちろんアナタ様もそのうちの一人だと、そう考えております」
「買い被だ」
「ワシは人を見る目があると自負しております」
「そうかよ」
「改めてお願申し上げます。どうか領主様をお救い下され」
「ふぅ……わかったよ。これは貸だ」
「心得ました。して、いつ救出されるのでしょう」
「いや動かすと危険らしい、だから解毒薬を用意した」
「それはなんと!! 感謝致します」
「渡す物が毒である可能性を疑わないのか」
「アナタ様の息は無色透明でございます」
「そうかよ。まあいい、解毒薬は飲ませられるか?」
「造作もございません、必ずや成し遂げて御覧に入れます」
薬の知識など俺にはない。家具屋で買った下剤が解毒に効くとは思えないが歌の力に俺は賭けた。その結果どうやら賭けに勝ったようだ。
領主様は酷い下痢になったらしく体内の水分を殆ど排出したらしい。それが功を奏したのか下痢が回復するにつて衰弱していた体も元に戻ったそうだ。
面会が許され俺とアーセナル、エネマは領主の休む寝室に通された。
大きなベッドに寝たまま上半身を起こしている。まだ頬はこけているが顔色は悪くない。栄養を取れば回復するだろう。
「心配をかけたな」
「心配? してませんよ。領主様が倒れたら他の主を探すだけです」
「ハッハッハ、話は聞いている、礼を言う」
「何のことか知りませんが回復したのなら
アーセナルやメイドたちがいる、迂闊に影の存在は話せない。
わかっていると言いたげに領主はゆっくりと頷いた。
「そなたたちも苦労をかけた」
アーセナルとエネマは土下座をすると、
「申し訳ございません、大切な魔術師に手を出してしまいました。いかような処分も覚悟はできております」
「露出度の高い服で誘惑したのは私です。どうか彼を処罰しないでください」
「え~っ、それを言い始めると服をプレゼントしたの俺だし、俺が悪いことになるじゃないか」
「ハッハッハ。そもそも私は勧誘に意見するつもりはないのだ。もちろん魔術師だからといって強制的に軍へ入れるつもりもない。愛し合う二人を引き離すことも、な」
「そ、それじゃあ」
「ああ、婚約おめでとう」
二人は涙を流しながら互いの手を強く握っている。
「ところで領主様。体調不良の件、お聞きになっているのでしょう? どう対処するおつもりですか」
「不甲斐ない私が原因。責められるべきは私なのだ。いつの日か彼に認めてもらえるような領主になる、今はそうとしか言えぬ」
「罪には問わぬ、と」
「うむ……。
「優しさは領主様の美徳。その人柄に惹かれ慕う者たちがいる。もし罵る輩が現れたら俺が蹴り飛ばしてやりますよ」
「そうか。頼んだ」
暖かな昼下がり、若い娘に手を引かれ歩いてくる老人がいる。微笑ましい散歩風景のはずだが、あいつは影の長だ。用が無いのに姿を見せるはずはない。
「なんだ?」
「そう警戒せんでくだされ。アナタ様には恩と借りがございます、それを返しに参りました。こいつはワシの孫娘でミリングと申します。領主様ではなくアナタ様に仕えさせてくだされ」
どこにでもいる町娘。歳は十五くらいだろうか。道に咲くタンポポのような素朴な感じのする子だ。
「初めまして。ボクはミリング、神職は暗殺者。主様の命令ならお爺ちゃんだって殺すよ」
「とまあ、見た目に反して壊れた性格ゆえ手を焼いておりますが、腕には自信がございます。諜報活動から暗殺まで裏の仕事なら右に出る者はいないでしょう。連絡係として常にお傍で仕えさせて頂ければ幸いです」
「そいつを俺に預けてオマエらに何の得がある」
「アナタ様の成すことは領主様の益になると信じておりますが、今後、領主様の耳に入れたくない事も出てくるでしょう、そのための孫でございます」
「それは領主に対する背信だろ」
「過程でなく結果。あの方が心穏やかに健やかに生きていけるのなら、罪はワシが背負います」
「俺のやろうとしている事を知った上で心穏やかだと?」
「もちろんでございます。敵の軍勢に脅かされる前に全てをアナタ様が一掃して下さるのでしょう」
「常勝とは限らない、今回はあの愚弟に仲間を奪われ無職にされたんだぞ」
「ホッホッホ、復職を果たし、領主様からの信頼は深まり、仲間も戻られた。結果を見れば上々ではございませぬか。さらにワシに気に入られ孫の婿に選ばれた。これ以上の成果は――」
「ちょっと待て! 孫の婿?」
「主様、ボクの穴は素晴らしいぞ、いつでもかかって来いや!」
「ホッホッホ、ひ孫の顔を見るのが楽しみですわい」
あれだけ酷い扱いをしたのに、なぜか老人に好かれてしまった。まあ、有能な人材が増えるのは嬉しいことだ。
領主邸の割と近くに愚弟の住む豚小屋が建っている。
愚弟のくせに豪華で。
愚弟のくせに広く。
愚弟のくせに掃除が行き届いている。
そう、俺は豚野郎に仕返しに来たのだ、真昼間に正面玄関から堂々とね。
「誰だノックもせず部屋に入って来たのは。なんだオマエか」
一人掛けの趣味の悪い高級ソファーにでっぷりと腰を下ろしていた。
前足を小刻みに揺らしているのはストレス反応だろう、イライラしているのが見て取れる。
仕返しに来たのだ、たっぷりと神経を逆なでしてやろう。
「お久しぶりですね~、ヤツワイル様~」
半笑いで話しかけてしまった。いかんいかん顔が緩んでいる。
「オマエを読んだ覚えはない、出ていけ」
「あたりまえじゃないですか~、用があるのは俺のほうですよ~」
「なんだその不遜な態度は、ワシを誰だと思っている!」
「ケツ穴の小さい豚だろ」
「なんだとっ!! 衛兵! 衛兵!!!」
誰も部屋に入ってこない。
「おい衛兵、誰かいないのか!!」
「いませんよ、邪魔なので全員他の部署に異動させました」
領主様から委任状を頂いている。アーセナルがそれを見せ、豚小屋にいた衛兵や使用人たちを退去させたのだ。
「まさか、ワシを殺しに来たのか?」
「殺す? なぜ? 意味がワカラナ~イ。身に覚えでもあるのかな~?」
「あるわけなかろう!」
「デスヨネ~、例えば領主様を暗殺しようとしたり、してませんよね~」
「このワシが兄上の暗殺? するわけがなかろう」
「嘘です」と、見えないが、どこからともなく老人の声が聞こえた。
「誰だ!」
「さぁ~知りません。さて、領主補佐官である俺様は小物の相手など長々としてられない、そろそろ本題に入るぞ」
ふざけた態度はこまでだ。
「小物? このワシを小物じゃと?」
「イーヒトー様の神職は統治者。それに引き換え弟のオマエは商人。そりゃ領主の家に生まれた者としては嫉妬に狂うのは理解できる、同情もする。しかし兄を助けるどころか暗殺を企てるとは、小物と言わずなんと言う」
「餓鬼に何がわかる! ワシは生まれてからずっと――」
「あー聞かない聞きたくない。過去の回想ほどつまらない話はないんだ。どーせ親や周囲の者に愛されなかったとか、期待されなかったってオチだろ。そんなの知らねーよ。たとえ納得できる理由があるにせよ、領主様を暗殺しようとした事実は消えない。だが領主様はオマエを処分しないと決めてしまった」
「あたりまえだ、ワシが暗殺を企てた証拠などどこにもありはしない、無実の罪でワシを貶めようなどと卑劣な真似をする」
「あ、証拠とかいらないんで、俺がオマエを犯人と断定した、それだけで十分だ」
「戯言をぬかすな!!」
「冗談だと本気で思っているなら脳にカビでも生えてるんじゃないか? あの人がオマエを許しても俺は許さない。友人二人を悲しませた罪、それだけは絶対に許さない」
「なんだ、結局はワシを殺しにきたのではないか、下賤な賊め!」
「いや、オマエを殺せば領主様を悲しませるだろう。だから生殺しにする。常に監視を付け、この屋敷から出たら殺す、誰かと連絡を取ろうとしたら殺す、そうだな、いつでも自死できるようこの二階の窓だけは開けて良いことにしよう、優しいだろ?」
そう言いながら俺は窓を開けてやった。
「ふっ、ふざけるな!!」
豚が俺に殴りかかろうとする。しかし、寸前で窓から飛来した矢が豚の足元に刺さった。
「ひいっ!!」
驚いた豚はその場に情けなく尻もちをついてしまう。
「死罪が妥当なのに領主様の慈悲で生かされている現状を理解しろ」
「お、覚えておけ、オマエには必ず復讐してやる。あいつより先に殺してやる!!」
「返り討ちにしてやるよ、ハッハッハ」
豚小屋からの帰り道。ミリングと俺は手を繋ぎながら歩いている。きっと仲の良い姉弟に見えるだろう。
「主様、どうして憎まれ役を演じたのさ」
「アイツが俺を恨んでいる間は領主様は安全だろ。俺には凄腕の用心棒がいるから安心だしな」
「ソレってボクのこと?」
「ああ期待してる」
ミリングは飛び上がって喜んでいる。イカレた娘だが役には立ちそうだ。
そうそう、ランティア領に戻ったのは試験を受けるためだったが、抜かりなく合格しているので問題ない。
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