第8話 動かざること山の如し

「お花、お花はいりませんか~、綺麗なお花はいりませんか~、香りの良いお花はいりませんか~」

 俺と同い年くらいの花売りの少女が、右手には籠、左手には数本束ねた花を持ち通行人に声をかけていた。

 花の蜜よりも甘いろとけるような声は、中年男性の心を刺激し、ロリコン性癖を開花させるほどの魅力を秘めている。

 少女のクリクリッとした目と視線が交わると、こちらへトトトと小走りに近づいてきた。買う気が無いのなら目を合わせてはいけない、そんなルールがあるのをすっかり忘れていた。

「ゴメン、買うつもりはないんだ、へへ」

 はにかむなんて俺らしくないし、なんだか言葉を交わすのも照れ臭い。

「穴は」

 少女は顔を近づけて小声で囁いた。

「は?」

「穴は」

「素晴らしい」

「ふぅ……、人違いじゃないかって心配したじゃない」

 笑顔のまま表情を崩さず不機嫌そうな声で話している。この子はプロだ。花の妖精かな、と勝手に抱いた幻想はあっけなく崩れた。

「まさかキミのような子が影だな――」

 クチに花を押し付けられ言葉を遮られた。

「やめてよ、誰か聞いてるかわからないでしょ!」

 笑顔のまま怒りを含んだ声で諭されると怖さが倍増する。

「そうだね気を付けるよ」

「命令に該当する人はまだ見つかってないわ。そもそも無理難題なのよ、有能だけど在官していない人を探せ、なんて。領主様はいったいどうしちゃったのかしら……」

「ソレ、俺の依頼なんだ。苦労を掛けてゴメン」

「へぇ~~~。領主様を顎で使うなんて、アンタ見た目とちがってやり手なのかしら」

「自慢じゃないが、キミと歳は近そうだけど中身は凄いのかもしれないぜ」

 同世代の子にいいところを見せたいというアホらしい欲求が顔を出したのかもしれない。ドヤ顔を披露すると、少女は残念な人を見るような表情をした。女性に自慢話をすると嫌われるという噂は本当らしいな。

「あらっ人を見る目はないみたいね。そうそう、別件だけどソドネレコ領の山が動いたわ」

「山? 有名人の二つ名なのか?」

「知らないの? ソドネレコ領で山と言えば動く山のことよ。自然現象なのか、生物なのか、その正体は誰も知らない。動く周期も不規則で、どこへ進むのか予測不可能なのよ。そして今回は進行方向にソドネレコ領の首都があるの、だから領民が慌てて避難してるってわけ」

「へ、へぇ~知らなかった」

 理解したフリをしたが、この少女は何を言っているんだ? 山? 動く? 意味不明だ。

「情報は以上よ、じゃまたね。あ、ちなみにこう見えて私は二十歳だから、ナメンナヨ」

 合法ロリのお姉さんはウインクするとその場から去っていく。

 マジ笑顔が怖かった。


「花、買わないのね、もしかして歳の近い女の子と話しがしたかったのかしら」

 エネマがニヤニヤと笑っている。俺と少女との会話は聞こえてなかったらしい。

「俺に少女趣味はないんだよ」

「そうよね~、アナタは私にプロポーズするくらい年上が好きだものね~」

「敗者の傷口に塩を塗り込むような真似はしないでくれ」

 始めて出会ったときは虫も殺せないくらい大人しかったのにアーセナルと両想いになれてから調子づいている。彼氏ができると態度が大きくなるという噂は本当らしい。

「お姉さんが可愛い子を探してあげますからね~」

 俺の頭を無造作に撫でまわすので、その手を払いのける。

 性欲の枯れた俺に異性との交流なんて不必要、決して負け惜しみじゃない!


「なあアーセナル、ソドネレコ領の動く山って知ってるか」

「もちろんですともっ!! 不思議な話は大好物です!!」

 そうだコイツはオカルト話が好きだった。興奮して声が大きくなっている。こんな姿、初めて見たかもしれない。

「花売りに聞いたんだけどその山が動いたんだってさ」

「行きましょう! すぐ行きましょう!! さあ早く!!!」

 アーセナルが目を輝かせている。

 何もせず情報を待つのにも飽きてきたところだ。エネマも不満を漏らしていたし真面目なアーセナルがいつになく乗り気だ。

「しゃーない、その山ってやつを見に行くか」

 アーセナルがまるで子供のように飛び上がって喜んでいる。立場が逆じゃないか?






 ランティア領の南西に位置するソドネレコ領は荒野が多く農作物が育て難い土壌らしく、主な特産品は石炭や鉄鉱石でランティア領にも多く輸入している。

 領土を繋ぐ街道には関所らしき建物が建っているが、行商人に扮した俺たちは簡単なチェックで通ることができた。

 首都に近づくにつれ馬車とすれ違う頻度が多くなる。初めは金持ちの所有する高級な馬車だ。続いて荷物を積めるだけ詰め込んだ商人たちの荷馬車。最後には馬車に乗れない一般人たちが荷物を背負い子供の手を引きながら歩いていた。みんな不安と疲れで目が死んでいる。

「ここまで酷いとは」

「都民総出の避難ですからね。治安もかなり悪化しているはずです、危険ですから離れないで下さいね」

 幹線道路なので野党との遭遇は殆どないが、護衛を連れていない行商人は狙われやすい。さらに困窮している避難民が何をしでかすか予測できないのだ。

 馬車の手綱を握るアーセナルの声に緊張感が含まれている。一人で子供と女性を守るのは厳しいかもしれない。

「ああ護衛頼むよ、俺も警戒しておくからそんなに肩肘張るなよな」

「ええ、気を抜くときはしっかり抜くので大丈夫です」

 子供のようにはしゃいでいたアーセナルも災害難民の現状を目の当たりにして気分が相当落ち込んでいるようだ。

「今晩の宿を探すのにも苦労しそうね~」

 そう言いつつ、なぜか頬を赤らめるエネマ。理由は言うまでもないだろう。

 アーセナルは護衛なので俺と離れるわけにはいかないし、エネマを一人で寝かせるのも不用心。なので宿屋では一部屋借りて宿泊しているのだが、交際を始めたばかりの若い二人が沸き上がる性欲に抗えるわけがない。俺が寝静まるのを待ってから毎晩励んでいた。もちろん狸寝入りしつつ薄目&聞き耳を立てているのは秘密だ。

 エネマは村を出てから食が太くなり体の肉付きも良くなっている。タフなアーセナルの相手も問題ないようだ。

「そうだな……。首都には入らず先に山を見に行こう」






 二日後に気がついた。俺たちはソドネレコ領に入ってから常にその山を見ていたのだ。

 神秘的でも、幻想的でもなく、平凡な日常風景。それゆえに思考が追い付かない。

 地面を這う音と振動でようやくソレが探している山だと認識できたのだ。

「アレか?」

「あたぶんアレですね」

「うそぉアレがそうなの?」

 奇妙な話だが俺たちはごくごく普通の山を見て驚いている。

 ソレは山としか言いようがない。山肌には木が生い茂り、手足や頭など生物らしき構成パーツは無く、どうやって移動しているのかわからない。

 日本列島の下ではプレートが年間8センチの速度で動いているらしい。動く山が生物ならば、地球も生物なのではないか、そんなくだらない事を考えながら目の前の山を見ていた。

「アレは生き物だと思うか?」

「えっ?! 山ですし違うと思いますが」

「動いでいるんだものアレは生き物でしょ」

「だよなあ、意見が割れるよなあ。俺もどっちなのか悩んでいるんだ」

「悩む必要なんてありませんよ、あるがままを受け入れる、それが神秘!!」

 あ、ダメだ。いつもは頼りになる兄貴なのに完全に童心に帰っている。

「あの山を放置するとソドネレコ領を通過し、最悪はランティア領まで進むだろ、ならここで破壊してもいいかと思ってさ」

「破壊するなんてとんでもない!! 山神様に祟られますよ」

「山神? ソレ、アーセナルの創作だろ」

「さ、さぁ~~~~」

 なるほど、こうやってオカルト話は増えていくのか。

「俺もさ、無暗に生き物を殺すのは気が引けるんだよね」

 そもそも俺がアレを壊していいものだろうか。ソドネレコ領の観光地と言えなくもないし、アーセナルの戯言を信じたわけじゃないが神罰が下るのは嫌だし。

 う~~ん……悩んでいても良い答えは出そうにない。


「真面目に答えるなら、アレがランティア領まで進み、領民に被害が及ぶのなら領主様は破壊を命令すると思います」

「必然だし俺も命令を受けるだろう」

「軍事的観点から進言するなら、ここはあえて手を出さずソドネレコ領が滅びるのを待つのが得策かと」

「アーセナル酷っ!! 荷物を背負って歩いてた人たち見たでしょ、何とも思わないの?」

 エネマの罵倒に表情を崩さず、

「可哀そうだとは思うけれど俺は軍人だ。他領の被害よりも自領の繁栄を優先するのがあたりまえなんだ」

「意味わっかんないっ! どこに住んでいたかなんて、苦しんでいる人の前では関係ないじゃない!」

 あ、これ、めんどくさいやつ~。

 感傷論や感情論は論理をすっとばして結論ありきで語るから説得や説明が通じないんだ。『可哀そう』でどうにかなるのなら、軍人も、警察も、法律も、全ていらないんだよ。

 けれど女の子の意見としては正しいと思う。全人類が論理的で合理的な思考をしていては色あせて味気のない世界になる、だから多様性が大事なのだ。

 しかしエネマは普通では困る、俺の切り札なのだから。

 仕方ないここは逆乗っかりでいくか……。


「そうだそうだ~! アーセナルは酷いぞ~! 犠牲者の気持ちは考慮しないのか~! 冷血人間~!」

 デモ参加者のように腕を上げながら苦情を叫んだ。

「だよね! アーセナルって冷たいところあるわよね! 捕まった私を平気で見殺しにするって言ってたし」

 まだ根に持っていたのか、けっこう執念深いな。

「あの難民たちはランティア領に入り田畑の作物を奪うだろう、けれど難民の空腹が満たされるなら生産者が悲鳴をあげるくらいいいだろ~!」

「え?」

「誰を助けるか決めるのはエネマの感情に左右されるべきだ! それは贔屓ひいきと言えるだろう。だがそれの何が悪い! 目の前の惨劇こそが最優先事項でなにが悪い!!」

「ちょっと待って……、それって私の了見が狭いって言ってない?」

「ないない、難民を助けないアーセナルに苦情をぶつけただけさ」

「そ、そう? ならいいけど」

「難民は特権階級なんだ! どんな犠牲を払ってでも助けなければいけない人々なんだ! アーセナルはそれを理解していない!!」

「待ちなさいよ! やっぱり変だわ、私はそんなつもりで言ってないもの」

「ごめ~ん、俺が勘違いしたみたいだ。エネマの思い、もう一度話してくれないかな」と、てへぺろしてみる。


 エネマはアーセナルに視線を向けると、むっとした表情のまま、

「私はただ困っている人を助けたいと思っただけよ」

「助けられるのなら俺だって助けたいよ」

「うそ。滅ぼすって言ったじゃない」

「確かに言い過ぎた。有事の際はソドネレコ領よりもランティア領を優先するべきだと言いたかったんだ」

「私だって故郷を優先したい気持ちはわかるわ。でもね、故郷を守るために誰かの苦しみを見過ごしていいとは思えないの。……ねえ、魔術師の力が必要なのは苦しむ人たちを増やすためなの?」

 エネマの目に涙が溢れている。

 その問いに答えられず苦悶の表情を浮かべるアーセナル。


 軍人ならは訓練や教練により領主や領土に対する忠誠や献身を育むせんのうするのだが、一般人のエネマには未知の感情なのだろう、だが決戦の前に覚悟を決めてもらう必要がある。今がその時か……。

「俺は詐欺師のように綺麗な嘘でエネマの涙を止めようとは思わない。目に見える不幸で歩みを止めたりはしない。遠い未来に起こるであろう悲劇を回避するためなら心を鬼にする覚悟はある。もし納得できないのなら俺に責任を押し付けるといい。脅迫されたから仕方なく手を貸したと思えばいい。恨むなら俺を恨めばいい」

「私、軍人じゃないし、そんなふうに考えられないよっ」

 だろうな。拳銃を渡して俺が責任を持つから人を殺せと言っているようなものだ、すぐ納得できるやつのほうがイカレてる。

「ならば、エネマが命令を聞かず歯向かうのならアーセナルを処刑する」

「えっ?!」

「俺がアーセナルの上官で、領主に対しても舐めた口がきける身分だと知っているだろ。それに、領主様のためなら命を投げ出す覚悟がアーセナルにはあるだろう。死刑は本気だ」

「そ、そんな……」

「エネマは愛する人を守るため、俺に脅迫されて仕方なく力を貸すんだ」

 涙目のエネマがアーセナルを見つめる。

「エネマ、力を貸してくれ。こいつは憎まれ役を買ってでも目的を果たしたいんだ。俺も一緒に憎んでくれていい、キミの思いを悪用する酷い奴だからね」

「悪用だなんて……。目を治してくれて、狭い村から連れ出してくれた。そんな人たちを恨むだなんて、できるわけないじゃない……。いいわ、力を貸す。そのかわり私を騙し続けて。心で、体で、アナタに縛り付けて、恐怖で、罪悪感で、逃げ出さないよう、捕まえて、離さないで、お願いよ……」

「約束する。冥府に落ちるのなら俺も一緒だ。怖い夢を見ないよう夜はいつも一緒に寝よう。震える体を温め続けよう」

「あぁアーセナル」

 俺の目の前で熱いキスを交わしている。

「んっ、んっっ」

 ……長いな。まだやってる。

「んっっ、んんっ」

 ……まだか。

「んんっ、んっんっ」

「もういいだろう! そろそろ離れてくれないかなぁ!!」

 アーセナルは鼻息荒いし、エネマはトロンと溶けた表情で足には力が入っていないようだ。

「す、すみませんつい」

「なにが、つい、だ。まあいいや続きは夜にしてくれ。とりあえず首都へ向かおう」

 妊娠したら仕事に差し支えるな。スキル『穴縮小』でアーセナルのパイプを閉じておくか。

 二人ともスマン! 恨むなら俺を恨んでくれ。






 山から離れ首都へ到着した。

 賊の侵入を守るはずの城塞の門は開かれたままで、いつもなら検閲しているであろう兵士の姿はどこにも見当たらない。

 首都の街並みも普段とは違い、店は閉まり、人の姿もまばらで、廃墟のように寒々としている。

 人相の悪い者たちが袋を担いで走っている。おそらく火事場泥棒だろうが俺たちに関係ないので無視だ。

 治安が悪化している。長居するのは危険だろう。


 領主邸の場所は人に聞かずともすぐにわかった。首都の中央に小高い丘がありそこはさらに城塞に守られている。

 城塞の中に入るが、ここにも人はいない。

 不用心極まれり、誰にも止められず領主邸に到着してしまった。


「領主様に面会を求む、誰かいないか?」

 アーセナルが扉を叩きながら大声で叫んでも返事はない。

「面会を求む! 誰かいないのか!!」

 やはり返事はない。

「人の気配がありません、もう逃げたのかもしれませんね」

「領主が? 町を捨てて? あり得ないだろ」

 ドアが開き中から老人が出てきた。おそらく庭師だろう作業エプロンに土汚れが付いている。

「忙しいのだ、何か用事か?」

「領主様との面会を希望する。山の対処方法を知っていると伝えて頂けないだろうか」

 アーセナルの足元から頭のてっぺんまでいぶかしげに値踏みした老人は、

「待っていろ」と言うと奥へ消える。

「不愛想な使用人ですね」

「おおかた執事たちは逃げた後なんだろ」




 暫くして戻ってきた老人に謁見の間に案内された。

 贅を尽くしたような煌びやかな部屋。奥に鎮座する豪華な玉座には、くたびれた肥満中年男が座っている。

 目の下には酷いクマ、無精髭は伸び、髪もボサボサだ。領主としての威厳など微塵も感じられない。盗賊が悪ふざけで玉座に尻を乗せているようにしか見えない。

 正式な使者として謁見するのならば膝をついて挨拶しただろうが、そんな気はおきなかったのでアーセナルが前に立ち、俺とエネマはその後ろに立っている。


「山をどうにかできるそうだな。本当か?」

 圧のない声。まるで壊れて空気の抜ける楽器よのうにスッカスッカしている。

「はい、嘘偽りなく」と、アーセナルが答える。俺のほうが上官だと説明するのも面倒なので代弁させているのだ。

「そうか! ならば早う対処せい!」

 領主邸の雰囲気、主の姿と態度、それらを加味しアーセナルの影に隠れなくてもいいだろうと判断した俺はアーセナルよりも一歩前に進み出た。

「その前に二、三質問させて下さい」

「無作法な子供だな、おい黙らせろ」

「すみません、話を聞いて頂けないでしょうか」と、アーセナルが頭を下げている。

「ええい、こうしておる間にも被害は増えておるというのに」

 イライラしているのだろうかかとを床に小刻み叩き付け貧乏ゆすりしている。

「ならばなおのこと話を聞かれてはいかがでしょうか」

「チッ、いいだろう、申してみよ」

 アーセナル、ナイスフォローだ。

「門番や守衛の姿を見かけませんでしたがどちらへ?」

「あいつら町を捨てて逃げたのじゃ! 山を止めよと命令したのに、将軍め、領主であるこのワシに反論したのじゃ!」

「どのような命令を下されたのでしょう」

「命令? 脳が筋肉でできた無能どもに高度な戦略など理解できぬ。体を張り山を止めるしかできぬわ。戦士、闘志、兵士、どれもこれも屑神職ばかりだ」

「なるほど、将軍が反論した理由が理解できませんね」

「であろう。やつめ不敬罪で投獄したはずなのにいつの間にか脱獄し、あまつさえ部下を連れ、町の住民を扇動し、尻尾を巻いて逃げ出したのじゃ!!」

 領主が退避勧告を出したのではなく将軍によるクーデターか、さもありなん。

「領主様はその間なにをされていたのですか? 先陣に立ち兵士を鼓舞するのがお役目でしょう」

「馬鹿を申すな、ワシは町を守る責任がある、この場を離れるわけにはいかんのじゃ」

「町を守る? 領民を守るの言い間違いですか?」

「領民など雑草と同じよ。抜いても抜いても無限に生えてくる。そんな者たちを守る必要がどこにある」

 有能な領主なら仲間に引き入れようと考えていたが、やはりコイツはダメだ。

「状況は掴めました。成功報酬の話をしましょう」

「はぁ~~~? がめつい奴じゃなあ。まだ成果も上げぬうちに報酬だと、図々しいにも程があるわ」

「あっそ、交渉決裂だ、ではこれにて失礼」

「ま、待て! そう急くな。本当に対処できるのだろうな」

「クドイ」

「うぐっ、いいだろう、望みを叶えてやる、なんなりと申せ」

「その玉座を」

「はぁ?」

「あなたは主の器ではない。その場から降りて頂く。領民には今まで以上の厚遇を約束しよう、憂いなく退陣するがいい」

 領主は顔を紅潮させ立ち上がると、

「ふっ、ふざけるなぁぁ! この地は先祖代々わが一族が治めてきたのじゃ! 褒美として差し出せる物ではないわ!!」

「民あっての領地。既に価値は失われたと気づけよ無能が」

「領主あっての民じゃ、ワシさえ生きておれば領地は安泰。山さえどうにかなれば民などすぐに戻ってくるわ」

 興奮のし過ぎで肩を上下させて荒々しく呼吸している。

 おそらく将軍にも似たような態度で接したのだろう、反論だけで許した将軍の気持ちが理解できない、なぜ殺さなかったのか理由を問いたいな。

「謁見の間に護衛が一人もいない状況で、なぜ民が戻ってくると勘違いできる、あまりにも哀れだ。幻想を抱いたまま町と共に滅ぶがいい」

 不敬罪で処刑になるほど酷いことを言っているのだが、俺を捕まえる衛兵がいないのだ、無力な中年男などアーセナルに守られた俺には怖くないぜ。

「出ていけクソガキ!!!」

 声にならない罵声が背後から聞こえるが空しいだけだ。




 領主邸の玄関から外に出ると先ほどの老人が庭を手入れしていた。

「アナタは逃げないのですか?」

 アーセナルが声をかけでも振り向かずに土いじりを続けている。

「ワシは庭師、庭を手入れするのが仕事なんじゃ」

「危ないわ一緒に逃げましょ」

 エネマが心配そうに声をかけるが。

「ほっておいてくれ、ワシの居場所はここだけなんじゃ」

 台風の日に危険と言われようと海や田畑を見に行く老人と同じだ。死に場所くらい自分で選ばせてやればいい。

「アーセナル、エネマ、行くぞ」






 ここは小高い丘の上。遠くにはソドネレコ領の首都と移動する山が見える。地鳴りの音はまるで怪獣の唸り声だ。

「首都が滅ぶのを、ここで見物するの?」

「エネマは反対か?」

「いいえ、あんな領主がいる町、滅んでも仕方がないかな」

「それは俺に脅されて言わされた言葉?」

「本心よ。あなたたちと旅をする前、領主様は神様みたいな人だって思ってた。でも違った。私にはどんな領主様が良いかなんてわからない、でもここの領主は違うと思った、それだけ」

「同感だ。俺にだって正解はわからない、けれどあいつは気に食わない」

「ぷぷっ、気に食わないだけで滅ぶなんて可哀そう」

「可哀そう、か……」

 領主のことなんてどうでもいいが、帰る場所が無くなるのは可哀そうだ。


 スキル『穴堀り』。

 首都を囲む城壁より少し大きめのサイズで穴を掘る。

 いきなり深く掘ると建物がグシャリと潰れるので1ミリずつ連続で掘っていく。

 まるで舞台装置の奈落のように町が地中へゆっくりと沈んでいく。

「えっ、アレ、キミが何かしてるの?」

「そうだ町の下を掘っている」

 山は首都に対して五倍以上の大きさだ、穴に落ちる心配はない。

 多少の岩は落下するだろうが全壊するよりマシだろう。

「へぇ~、案外優しいのね。あんな領主でも助けるなんて」

「助けたのは領民の戻る町だ。山が通過したら元に戻すよ」

「でもさ~、町の人が戻ってもあの領主じゃ不幸になるよね」

「俺たちには関係のない話だろ」

「そうだけど、そうなんだけど~、モヤモヤするぅ~」

 頭を抱えて悶絶している。面白い子だ。

「困っている人を助けたい、けど、どうすれば良いかわからない、ってとこか」

「はぁ~さすが嫌味な軍師だね。私の心を読むなんて」

「誰が嫌味だ! それにエネマの心を読んだわけじゃない、俺の心境だよ」

「へぇ~キミでもわからないことあるんだね」

「俺なんて――」

 首都の上に山が完全に覆いかぶさったところで地響きが止んだ。

「止まった、の?」

「どうだろう、休憩かもしれない。様子見だな」




 一晩野宿してみたが山が動きそうな気配はない。

「休眠期に入ると数年から数十年は動かないそうですよ」

 と、オカルトマニアのアーセナルが教えてくれた。

「なら近づいても平気だな。町へ行くか」

「誰も残っていないでしょうし、行っても無駄では?」

「持ち出せなかった荷物を取りに戻る人がいるかもしれない。中は暗いだろうからランプか松明がいるな」

「用意してないですね、近くの町へ買いに行きますか」

「光が欲しいの? なら私がいるじゃない!」

 エネマがドヤ顔している。

「忘れてたよ魔術師だったな。約束もしたし、力を貸してもらおうか」

「まっかせて!」

 人を害さなければ魔術師の力は簡単に貸してくれるようで安心した。




 馬車で行き来できるように長く緩やかなスロープを、地下に埋まったソドネレコの首都に向けて一気に掘る。

 トンネルのように上は半円、下は水平に、馬車がすれ違えるほどの幅で造っておく。


 エネマの魔術を初めて見せてもらった。呪文のような詠唱はなく代わりに精神統一の時間が必要で、光を灯すくらいなら一瞬で、火球を飛ばすのなら数十秒は必要らしい。村の井戸に水を入れるくらいしか使ってこなかったのでスキルの熟練度は低いそうだ。

 二年間も穴を掘り続けた俺は規格外の馬鹿なのかもしれないな。

 エネマを中心に十メートルほどが光に包まれ、暗闇でも問題なく進める。


 スロープの先に城壁が見える。暗闇に浮かび上がるゲートは、まるで魔王城の入り口だ。

「お化けが出そうでちょっと怖いわ……」

「まるでゲームのダンジョンだな」

「ダンジョン?」

「動物たちの巣穴って意味だ」

「へぇ~」

 俺の知る範囲でこの地にダンジョンはない。魔術師はいるのにモンスターのいない不思議な世界だ。

「落石で壊れた家が所々にありますね、倒壊に注意しましょう」

 念のためスキル『穴探知』で、人間らしき穴がないか確認するが、それらしき形は確認できなかった。

「ねぇアレ見て」と、エネマが町の中央を指さす。

 ぼんやりと赤い光が揺らめいている。

「火事じゃないかしら」

「アーセナル急いで向かってくれ」

 馬車はぐんぐんと加速し、町の中央まで突き進む。



 業火に焼かれていたのは領主邸だった。

 少し手前で馬車を降り城壁の中へ進むと、領主が両手に松明を持ち燃えている領主邸を眺めながら高笑いをしている。

「ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!!!!」

 アーセナルが前に進もうとした俺を止めた。

「アイツ気が触れてます。危険ですから出ないでください」

 その声で領主が気づき振り向いた。

「うひゃ? オマエらかぁ~、笑いに来たのか、このワシを」

「オマエなど用はない。好きなだけ火遊びしてろ」

「図々しいのが糞餓鬼の持ち味じゃろ、遠慮するな、ホレ松明を貸してやる、町中に火を放つのじゃ」

 片方の松明をこちらに投げてきた。飛び跳ねた火の粉が足に当たる。

「熱っ! 危ないだろうが!」

「この程度で熱いなどと腑抜けが。今からさらに、さらに! さらにっ!! さらにぃぃぃ!!! 火力を上げてあの忌々しい山を炙るのじゃ!!!」

 町はオマエの所有物じゃない――と言いたいが、それは俺の価値観で、君主制では領主が神だ。

 この町をどうしようとアイツの自由。俺はクチを出せる立場にない。ないが!

「断る。俺はこの町の民じゃないんでね、命令に従う筋合いはない」

「役立たずめが!! 手伝わぬのなら我が領地から即刻退去せい!」

「領主邸など燃え尽きてしまえばいい、だが民家まで燃やすとなれば別だ、放火魔を見過ごせないくらいの正義感は持ち合わせている」

「カカッ、愚か! 度し難い愚か! 言葉の通じぬ獣との会話はこうも気分を害するものなのか。最高権力者であるこのワシを、いったい誰か裁くと言うのだ」

「俺様だ」

「餓鬼が図に乗るな」


 領主が腰の剣を抜き切っ先を俺に向けると、それに呼応したアーセナルも剣を抜き一歩前へ進んだ。

「なあ、アーセナル。剣の腕前はどのくらいなんだ?」

「同僚の中では中の下くらいですが、何か?」

 そりゃ一般兵なんだしそのくらいか。

「危ないじゃない!!」

 エネマが目を見開いて驚いている。

「俺は軍人で護衛は任務だ。危険に怯んでいられるか!」


 この状況は好機だ。アーセナルを守るためエネマが魔術を人に向けて使えるのか試せる。

 覚悟が決まったと言うが、いざ本番で役に立たない可能性もある。計画を進めるうえで調べておいて損はないだろう。

 いつもの冷静なアーセナルなら領主くらい俺が一瞬で絞め殺せると気づいただろう、しかし燃え盛る炎を前に高揚しているのか、周囲に気を配る余裕はないようだ。

 俺は息を殺し三人がどう対処するのか見守ることにした。


「バカッ! アナタが傷つくのを見ていられるわけないじゃない! 私が代わりに――」

「ダメだ! キミが手を汚すことはない! 俺が――」

「私を騙し続けるって約束したじゃない! 心を鬼にしなさいよ!」

 お互い、相手が話し終える前に食い気味で反論している。もう少し冷静になってくれないかな。

「あれは話を合わせただけで、本心じゃないんだ!」

 え?

「やっぱり、アナタは優しいもの、私が人を殺すのなんて黙ってられないわよね」

 ええっ??

「もしキミが望まぬ魔術を強制されそうになったら俺が遠い地へ連れ去ろう」

 はぁ???

「嬉しいわアーセナル、一緒に逃げましょう」

 しまった! 裏目に出た。


「うぐっ!!」

 領主が呻き声をあげる。

 二人の茶番劇に気を取られ領主を見ていなかった。

 気が付いた時には領主の胸から剣が生えていた。いや正確には、庭師の老人が背後から刺した剣が体を貫通してたのだ。

「な、なんだこれは、ブハッ」

 口から大量の血が噴き出した。見るからに致命傷、もう助からないだろう。

「ワシの大事な花壇を燃やした罪、その命で償え」

「お、おまえは、誰、だ――」

 バキッバキッっと崩壊音と共に燃え盛る領主邸が崩れ落ちる。

 火の粉と熱風が舞い上がる。

 危険と判断したアーセナルは俺を小脇にかかえエネマの手を取り領主邸から退避する。




 首都から脱出した俺たちは昨晩野宿した高台に戻っていた。

 領主の亡骸は放置したままだし、火事も消さず、庭師の老人がその後どうなったか調べていない。俺にとってそれらは気にする価値すらない些事だからだ。それよりも、気まずい、非常に気まずい、二人が俺と目を合わせてくれない。興奮していたとは言え、俺を裏切ると宣言したのだ。


「ん゛ん゛、あ~、初めて火事を見たなぁ~、ちょっと興奮しちゃったなぁ~」

 わざとらしいか? 子供らしさを演出したのだが。

「そ、そうなんですか~、ハハハ……」

 アーセナルのほうがわざとらしい!

 気まずい沈黙が続く……。


「やめやめ! 俺は気を使うのが苦手なんだ。おい! 腹を割って話そう! アーセナルはエネマに魔術を使って欲しくない、そうだな?」

「いや魔術はいいんです、ただ、人殺しはさせたくない」

「わかった。エネマも人殺しはしたくない、そうだな?」

「いいえ、覚悟は決めたもの、殺すのに抵抗はないわ」

「え?」と、エネマの発言にアーセナルが驚いた。

「その……、人殺しの奥さんは嫌って言われそうで……」

 コイツ、脳みそお花畑か? いや、これが噂に聞く恋愛脳ってやつか!

「なるほど。なあアーセナル。領主様のため、民を守るために敵を殺した仲間の手は汚れているか? 不名誉か? 恥ずべき行いか? 軽蔑するか? 俺は誇らしく思う。それが愛する妻の功績なら尚更だ。軍人としてそうは思えないか?」

「俺は……」

 うつむいたまま真剣な表情で悩んでいる。真面目な性格だからなぁ簡単には割り切れないか。

「エネマ、潔癖症の夫は苦労するぞ。盗賊に襲われ犯されたとしよう、潔癖症の夫は汚れた妻はもう抱けないと夜の行為を断るだろう」

「ま、待ってください! その例えはおかしい! 俺はそのくらいでエネマを嫌いになんてならない」

「どうかなぁ~? 俺なら妻がどんな罪を背負ったとしても愛する自信があるけどな」

「そ、それは……」

 百の言葉、千の言葉を重ねてもアーセナルは納得しないだろう、それは理性ではなく心が拒絶しているからだ。

 譲れない思いは誰にでもある。愛する相手に綺麗でいて欲しいと望むのはあたりまえだ。それが名誉ある殺戮行為であったとしても。

「二人の考えは理解した。殺傷系の魔術は使わせないと約束しよう。ただしエネマが必要だと感じたら使ってくれ。その結果、アーセナルに嫌われたら俺と結婚しよう」

「それは嫌!」

「即答かよ! 少しは悩めよ!!」

「逃げ道を用意してくれてありがとう、でもね、それで安心したくないわ。嫌われたくないけど、もう一度好きになってもらえるよう努力する、それが妻に与えられた特権であり責務だもの」

「女性にここまで言わせるなんて、アーセナルは罪な男だな」

「ハハッ……」

 困惑の混ざった作り笑顔だ。


 夫や恋人を戦地へ送る女性はどんな心境なのか。

 妻や恋人を戦地へ送る男は何を思うのか。

 大陸統一を目指す俺が言えた義理じゃないが、戦争などこの世から消え失せろ!

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