第7話 運命の姫君

 ヨコーソノの領主が俺に服従を誓った後、領主と二人だけで個室へと移動した。

 来客用なのだろう、応接室はそれなりに良い品が揃えられておりソファーの座り心地は悪くない。


 領主は荒々しくソファーへ腰を下ろすと深いため息をついた。

「まさかこんな餓鬼に服従する羽目になるとはな。おっと、餓鬼呼ばわりは失礼かね、わが主殿」

「餓鬼で構いませんよ」

 まだ心の底から納得できていないのだろう眉間には深いしわがよったままだ。

「それでは示しがつかぬ、そうだな、貴様と呼ばせてもらおうか」

 現代では貴様は侮辱に値する呼び方だが古来は敬語だったらしい。この世界ではまだ敬語なのだが、慣れないせいか少し複雑な気分になる。

「先ほど同行者に強い口調で待機を命令していたが、もしや、あの二人は従者で貴様は高貴な家の者なのか?」

 二人きりになるのは危険だとアーセナルに止められたのだが、これから聞かれたくない話をする予定なので待機を命令したのだ。

「悪いな、俺は超秘密主義なんだ、そう易々と機密を漏らすとは思わないで頂こうか」

 ここは不敵に笑っておく、そうすればコイツは勝手に深読みするだろう。軍師などチョロイ生き物なのだ。

「ふむ……。武器を持たぬ子供が大人と二人きり、簡単にねじ伏せられ命を落とす恐れもある、それなのに従者は単独行動を容認した、ならば従者よりも貴様は強いということだ。兵士たちを行動不能にした不思議な力、あれは貴様の神職と見て間違いはないだろう」

「おい、思考が口から洩れているぞ、推測は頭の中でするものだろ」

「クックックッ、俺の神職は軍師。口に出して考察することで思考力が強化され深い洞察力を得ることができるのだよ。そして重要機密である神職をなぜ教えたのか、俺の思惑に貴様は困惑している、違うか?」

「いや不正解だ、こいつよくしゃべるな~と驚いていただけだ」

「くっ、ハッハッハッハ! 貴様と知恵比べをするのは無駄と見える、どうやら軍師と対峙する術を熟知しているようだな」

「買いかぶり過ぎだ。俺は会話が不得手だから黙って聞いていただけだ」

「獣が爪を隠すように、手の内は晒さないというわけか、用心深い奴だ。それで、俺だけに明かす話とは何だ」

「今後についてだ。時が来るまで政治は今のままで構わない。敗北宣言も領主退任も公表しないでくれ」

 領主がニヤリと笑う。

「クックック、実に、実に面白い。やはり貴様は領地が欲しいわけでも、名声が欲しいわけでもないのだな。我が領地など思惑のほんの一部、たんなる通過点に過ぎないと……。塞き止めた大水を一気に放流するかのどごく、その衝撃をもって何かを破壊したい、と……。何かとは……。なるほど統一か。複数の領地を秘密裏に手中に収め統合し巨大な大河となす、小さな領地は剛流に飲み込まれるかの如く、抗うことさえ許されず吸収されるだろう」

 重い沈黙が続く。

 俺が肯定するのを待っているのだろうか。

「恐ろしい餓鬼だ。相打ち覚悟でも殺しておくほうが世のためかもしれぬな。……おい、反論ぐらいしたらどうだ」

「よくしゃべる奴だ。俺は肯定も否定もしない。憶測は勝手だが命令には従ってもらう」

 元領主の顔は怒りで赤くなりこめかみには青筋が浮かんでいる。

「その野望、いったいどれほどの民を犠牲にする! どれほどの罪なき者が涙を流す! どれほどの大地が鮮血で染まる!」

 押し殺しているが、その声には殺意が含まれていた。

「己が妄想で暴走するな。仮に、アナタが警戒するほどの強力な神職を俺が使えたとして、なぜアナタは、兵士は、民は、今なお無事に生きていると思う? ヒント1、面倒だから。ヒント2、疲れるから。ヒント3、金にならないから。ヒント4、つまらないから。ヒント5、民間人に被害を出したくないから。軍師は与えられた情報から正解を導くのに長けているかもしれないが、少ない情報では力を発揮できないだろ。俺を判断するのは早計だと思うけどな」

 どうだ? 誤魔化せたか???

 いきなり大陸統一の作戦を当てるとは、やはりコイツは要注意人物だ。

 打ち明けて合意を得られれば頼もしい仲間となるだろう、だが、否定されると最悪の敵になる。まさに諸刃の剣! そんな呪いの剣なんで俺は抜きたくない! 触らぬ神に何とやらだ!

「おい、まさか誤魔化せたかもしれないと思っていないか」

 げっ! 読まれた!

「まあ、確かに情報が少ないな……。いいだろう様子見してやる。今晩じっくりと語い貴様の腹の内、暴いてやるわ」

「そ、それがいい」

「たぁだぁ~し!! これだけは釘を刺しておく、もし無垢なる民の血が流れるようならば貴様の存在を流布させ、追い詰め、必ずや息の根を止めてやる、重々覚悟しろよ」

「こ、怖いよぉ~~~」

「今更子供を演じても無駄だぞ」

 顔は笑っているが目はマジだった……。






 俺たちはヨコーソノ領に数日ほど滞在していた。

 もちろん領主邸ではなく宿屋に宿泊している。

 領主の邸宅に宿泊するよう勧められたが俺たちの関係はまだ秘密にしておきたいので丁重に断った。

 それに、アイツと話をしていると心の奥底までつまびらかにされそうで恐ろしいのだ。

 うん、交流はなるべく避けた方が良いだろう。できれば二度と会いたくない。


 さて、稀有な才能の持ち主ほどそうそう見つからないもので、『影』からの情報を待つ日々が続いている。

 飯屋で遅めの夕食を済ませた俺たちは果実酒など飲みながら時の流れにまったりと身を任せていた。

「ねぇ、いつまでこの町にいるつもりなの? 退屈なんですけど~」

 アルコール度数の低い果実酒ではそれほど酔えないらしく、少し顔を赤らめて気分の良くなっているエネマが聞いてきた。

「移動先を決めるための情報が不足してるんだよ、だからもう暫く滞在かな」

「情報って、アナタなにもしてないじゃない。……あ、また秘密なんでしょ、ど~せ私は信頼されてませんよ~」

 根に持つタイプだなあ、仕方ない。

「この前、一緒に捕まった人がいただろ、あの人は正体を隠して町に潜んでいるんだ、もし情報が洩れるとあの人を危険に晒すことになる。この会話も誰に聞かれているかわからない。だから軽々しく秘密を教えるのを避けてるんだ。わかるだろ?」

「秘密って、もう領主にバレてるじゃない、今更でしょ」

「警戒対象はヨコーソノだけじゃない。エネマの後ろの男、そいつはロプシチアのスパイだ」

 エネマは目を見開くと、ガタリと椅子を鳴らしながら咄嗟に後ろを振り向いた。すると、後ろの客もエネマが急に振り向むものだから驚きのあまり果実酒を口から吹き出してしまう。

「冗談だがな」

 エネマは恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしながら後ろの男に謝った。

「この子わぁ~、なんてこと言うのよ、もぉ~」

「俺が見破れるほどスパイは甘くない、だから迂闊に情報は洩らせないんだよ」

「ハイハイわかりました、もう聞きません~」

 手を汚すのも、罪の意識にさいなまれるのも俺だけでいいんだ。




 混雑のピークは過ぎ、食堂の賑わいが落ち着いたころ、背中に大きな箱を背負った客が店内に入ってきた。

 コートのフードを深く被り顔はよく見えないが、線の細い体のラインをしている、たぶん女性だろう。

 店主と話を終えると、近くにあった椅子を店の隅に運ぶ。

 箱を開くとアコースティックギターのような楽器が入っていた。もしかすると吟遊詩人なのかもしれない。

 店主に話しかけたのは演奏の許可を取っていたのだろう。

 椅子に浅く腰掛け楽器をかまえる。細くて長い指が弦をつま弾くと、柔らかい音色がゆったりとしたテンポで奏でられる。

 会話していた客たちも目を閉じ耳を傾け音楽に酔いしれている。音の粒と果実酒の香りがブレンドされアロマテラピーのように疲れた心を癒してくれる。


 演奏が終わると店にいた全ての客から優しい拍手が送られる。派手な拍手や口笛で鼓舞するような無粋な客はいなかった。安酒を出す食堂がまるで高級バーにでもなったかのような錯覚を覚える。

 駅前の路上ライブを前世で何度か見たことがある。けれどこの人のように客を酔いしれさせるほどの腕前には出会ったことがない。

 演者の足元に置かれた箱に客たちがお金を入れていく。

「素敵な音だったなぁ~……。ねぇ私もお金入れてきたいわ」

 目を輝かせるエネマ。田舎育ちなので楽器で演奏をする人を見たのは初めてなのだ。子供のようにアーセナルの腕を揺すりおねだりしている。

「いいですかね?」

 資金を管理しているのはアーセナルだが裁量権は俺にある。

「いいよ、俺も気に入った」

 アーセナルからコインを受け取ったエネマは飛ぶようにして演者のもとへ向かう。


「とても素敵な音でした」

 箱にコインを入れると演者は軽くお辞儀をする。

「あの、歌も聞いてみたいんですけど……」

 飯屋にいる客を流れるように眺める演者。ふと、俺と目があった気がする。

 まるでミイラのように顔を包帯で巻いていたが不思議と嫌悪感は抱かなかった。

 演者はコクリと頷くと、再び演奏を始める。

 凛とした透き通るような女性の声だ。


『雷鳴に貫かれた男は二度と戻らぬ旅に出る♪

 水の巨人は試練の扉を開き、男の背を力強く押す♪

 大地の裂け目に亡者が溢れ、引きずり込もうと腕を伸ばす♪

 男の前に道はなく、男の後に道が生まれ♪

 英雄でさえ男の前で膝を折る♪

 心を奪われた姫は、永遠の愛を誓うだろう♪

 苦難の旅はまだ序章、終わりの見えぬ長い夢♪』


 歌いなれていない、恐らく即興。歌詞にあわせて楽器を弾いたのが素人でもわかる。

 気になるのは彼女の視線だ。気のせいかもしれないが俺を見ているようだ。



 余韻を残しながら演奏が終わった。

 熟練度の違いだろう先の演奏と比べると拍手の音は半分ほどだ。

「ありがとう、綺麗な歌声だね」

 コクリと頷く演者。どうやら会話は苦手らしい。空気を読んだエネマが戻ってくる。

 あの歌詞、まるで俺におきた出来事のような……、いや自意識過剰か。どこにでもありそうな英雄譚だし。



 二曲ほど演奏すると深々お辞儀をして飯屋から出て行った。

「はぁ~癒されるぅ~。初めて聞いたけどとてもいいわ。あの道具なんて言うのかしら」

「道具? ああ楽器ね、あれはティンポ。遥か遠方の楽器だから珍しい物だよ」

「ティンポ欲しい! 買って! ねぇ~え~ティンポかっ~てぇ~~~」

 エネマは目を光らせながら説明してくれたアーセナルの腕にしがみつき色気で懐柔を試みている。

「領主様から頂いた路銀で楽器を購入するなんてダメだよ。それに、このあたりじゃ売ってないからね」

「アーセナルのケチ!」

 頬を膨らませてプンスカしている。

「そろそろ宿に戻りましょう」



 飯屋を出た俺たちはゆっくりと宿屋へ向かう。

 すっかり日の暮れた夜の町だけど、酒場からの賑やかな談笑で静寂とは無縁なのだ。

 俺の前を歩くアーセナルとエネマ。腕を絡めて恋人同士のように見えるがアーセナルは彼女のプロポーズに応えていないようだ。

 理由はあえて聞いていない。フラれた俺に気を使っているのなら、彼とどう接していいかわからなくなるからだ。

 年齢の近い二人は俺よりもお似合いだと思う。恋愛感情はなかったけれどプロポーズしたのは俺が先だった。その小さなプライドが邪魔をして二人を心から祝福できないでいた。

 なんだか恋人同士の会話を盗み聞きしているようで気が引ける。少し距離を開けて歩こう。


 一瞬だった。

 路地から伸びた腕が俺のクチを濡れた布で塞ぐ。

 急激な眠気。驚く間もなく深い眠りに落ちてゆく。






 むせ返るような花の香で目が覚めた。

「うっ――」

「おはよう新入り君」

 キラッキラした美少年が俺の顔を覗き込んでいる。

 体を起こし周囲を見回すと他にも同い年くらいの美少年が四人いた。ベッドが六台あるので、たぶん彼らの部屋なのだろう。

 高級そうな家具、フカフカのベッド、掃除の行き届いた綺麗な部屋。枕元に置いてあるアロマポットからは甘い花の香が漂っている。

「ここはどこだ?」

「ファピード様のお屋敷さ」

 この美少年は誰でも知っていて当然のような雰囲気で答えた。もしかするとこの地の名士かもしれないが住人でもない俺が知るわけがない。

「誰だそいつ」

「えっ知らないの? ヨコーソノで三本の指に入るほどの豪商だよ」

 なるほど、人さらいに売られたか、もしくはファピードが人身売買のボスってところか。となると『間違えて売られたのだから元の場所に戻せ』と訴えても、盗品と知らずに買った者に罪はないとしらを切られるだけだし、人身売買のボスならば鼻で笑われるだけだ。どちらにせよ捕まるお前が悪いと言われかねない。

 そう、いつの間にか俺は懐かしい服に着替えさせられていた。寒村で着ていた貫頭衣。しかし材質が違う。シルクのような光沢と肌触りの良い高級素材だ。腰に巻いてある紐などは金糸のラメが入っておりこれだけでも相当の価値があるだろう。

「珍しい服に驚いているようだね。すぐに可愛がっていただけるように工夫された服なんだ、凄いだろ」

 なぜ得意気なのか理解できない。俺には着慣れた服だ。

「君たちも攫われてきたのか?」

「奴隷として売られた子が半分、残りが攫われた子かな」

 悲壮な表情をしている子はいない。虐待はされていないようだ。

 窓に近づき外の様子を確認する。手入れされた広い庭には人の気配はない。

「部屋の外に見張りがいるのか?」

「見張り?」

 不思議そうに聞き返してくる。どうやら質問の意図がわからないようだ。

「親の元へ帰りたいとは思わないのか?」

「ここは天国だよ! どうして帰りたいなんて考えるのさ、ファピード様のお屋敷で働けるなんてとても名誉なことなんだよ!」

 冗談で言っている様子はない。どういうことだ?

 一人で逃げ出すのは簡単だか少し様子を見よう。






 ダイニングルームの壁際に立たされ彩りを添える役目、要するに俺たちは生け花だ。美少年たちは笑顔を絶やさず、さも栄誉ある仕事のようにダイニングテーブルで食事をしている主人を尊敬の眼差しで見つめていた。

 でっぷりと太った中年女性がナイフとフォークを上品に使い朝食を摂っている。真っ赤な唇は肉の油でテラテラと輝いていた。金に物を言わせ、美少年をはべらせるコイツが気持ち悪い、吐き気がするほど気持ちが悪い。俺の中でコイツは豚と呼ぶことにする。

 テーブルの上に並ぶ豪華な食事は、朝食には似つかわしくないほどの量だった。後で知ることだが、この豚は食べ残しを美少年に与えることで悦に浸るやつなのだ。それを聞いた俺は虫唾が走るほど気分が悪くなったので朝食には手を出さなかった。


 豚がナプキンでクチを拭いた。どうやら食事の終わりを告げる合図らしい。三人の男性が素早く近寄り、一人は椅子を引き、残りの二人が脇を支えて立たせている。でっぷりとした腹肉が波を打っている、まさか自立できないのか?

 この屋敷にいる女性は豚だけのようで、給仕もメイドではなく執事姿の男性が行っていた。まるでホストクラブのように美青年ばかりだ。おそらく成長した美少年が続けて働いているのだろう。こんな気色の悪い職場に居続ける意味が俺にはわからない。


 豚は並ぶ美少年たちの前をゆっくりと舐めるように歩く。まるで美術館に飾られた絵画を鑑賞するかのように楽しんでいた。美少年たちも豚と目が合うのを楽しみにしているようで気持ちが悪い。

 美少年たちの最後に並ぶ俺の前で豚は遅い歩みを止めた。

「新入りだね。アタシの機嫌を損ねなきゃ良い暮らしをさせてやるよ」

 声帯にまで脂肪がついているかのようなダミ声が耳障りだ。

 豚は人差し指を伸ばすとクイッと跳ね上げるような仕草をした。

 意味が分からない、挑発でもしてるのかブヒ? その気ならその腹にボディーブローでも入れてやるが。

 執事姿の男性が駆け寄ると豚の横で立膝になる。

「もし分けございません、まだ礼儀を教えておりません」

 豚は容赦なく男を蹴り飛ばした。短い豚の足だが体重が乗れば威力は数段上がるだろう、倒れた男は痛みを我慢しつつまた立膝になる。

「愚図は嫌いだよ」

「ははっ」

「見本を見せておやり」

 隣に立つ美少年に同じ仕草をすると、美少年は貫頭衣のすそを両手でつまみ引き上げた。もちろん下には何もはいていない。

 恥じらう様子も、屈辱で唇を噛みしめる様子もなく、喜びが溢れんばかりの笑顔を咲かせている。

 理解できない。命令する豚の気持ちも、喜ぶ美少年の気持ちも、俺の生きてきた世界には無い感情だ。

「さあオマエの番だよ」

 そうか、この豚は俺のアレが見たいのか。寒村暮らしで貫頭衣には慣れている、別にアレを出すくらい恥ずかしくも屈辱でもない。おそらく豚は初物が好きなんだろう、俺が頬を染めながらアレを見せれば興奮するに違いない。ならば無表情のまま見せてやろう、好きなだけ俺様の大砲を鑑賞するがいい。

「へぇ……、顔に似合わず凶悪なモノ持ってるじゃないか。でも、まあ、悪くはないよ。小さなつぼみを愛でるのも一興。大輪の花を愛でるのも一興。だたし、男の賞味期限は毛が生え揃うまでだけれどね」

 ベロっと舌なめずりする豚。カエルに目を付けられた昆虫の気分だ。いつあの舌が俺に伸びて来るのか気が気じゃない。

「姫様、お約束のお時間です」と、蹴られた男ではない別の執事姿の男性が声をかけた。

 姫? この豚、執事に姫と呼ばせているのか。

 ふと昨夜食堂で聞いた歌を思い出す。たしか姫に好かれるとか……冗談じゃない!

「おまえたち良い子にしてるんだよ」

 豚が前足で俺の頬を優しくなでた。

 ゾワッと背筋に悪寒が走り、腕にはびっしりと鳥肌が立った。

 重たい体をのっしのっしと揺らしながら部屋から出て行く豚。相撲取りでも豚より機敏に動くぞ。


 俺は深い溜息をついた。

「なあいつもあんな事をやらされているのか?」と隣にいる美少年に声をかけた。

「ちがうよ。キミがいたらか特別だね。朝は忙しいんだ。そのぶん夜はお酒をついだり、ベッドで愛してもらったりするけどね」

「嫌じゃないのか?」

「ファピード様からご寵愛を頂けるなんて光栄なことだよ。それに美味しい食べ物と暖かな寝床が頂けるんだ、とても文句なんて言えないよ」

「でもさ、こんな光景を親が見たら泣くぜ?」

「逆だよ逆。『もっとご奉仕しなさい、ファピード様に気に入られれば将来安泰なんですからね』って親の手紙に書いてあったもの」

 頭がキリキリと痛む。俺の常識が通用するのは前世だけで、こちらの世界では非常識かもしれない。それは理解しているが心が拒絶するのだ。

 正義感をひけらかし、この子らを助け出したとしても面倒を見るアテがない。ここならば町の外にいた難民のように食べる物を心配することはないのだ。

 助けてやると言いたいのに声に出せず、まるで喉の奥に苦い物が詰まる感じがして気分が悪い。大陸統一を目指す俺が子供を救うのに悩むなんて論外だ。これから数えきれないほどの命が消える、それに比べれば五人の子供など誤差だ。

 見て見ぬふりをするのも優しさ。そうさ、俺は世直しがしたい水戸黄門ではないのだから。


「どうやら俺にはこの場の空気が肌に合わないみたいだ。君たちの邪魔をしちゃ悪いから屋敷から出ていくよ。おまえら元気でな」

 がしっと手首を掴まれた。

「ダメだよ! 僕たちが怒られるじゃないか!」

「そうだよ、同じ部屋なんだから別行動なんて認められないよ」

「食事抜きは嫌だよ! 出ていくなんて言わないで」

 他の子供たちも賛同して俺を責めてくる。

 あ、こいつら自分の心配しやがった。

 罪悪感や正義感が俺の心から急速に抜け落ちた。

 助けなくていいや! 本人が納得してるなら他人が口出しするのも野暮だ。

 しかし、あの豚に見られっぱなしはしゃくだな……。そうだ、あの豚の目の前で消えるとするか。






 朝と同じようにダイニングルームの壁際に立たされ豚の昼食を眺める苦行に強いられている。

「おまえたち、今晩は取引先の殿方が遊びにいらっしゃるから、早めに身を清めておくこと、いいね」

「はい、姫様」

 美少年たちが声をそろえて一斉に返事をした。

 あの豚、殿方って言ったか? まさか同性愛ロリショタ好きのオヤジが来るのか?!

 背中を這いずる悪寒を我慢するのに精一杯で返事をする余裕がなく、さらに嫌悪感たっぷりの表情を豚に見られたようだ。

 執事姿の男たちに補助され椅子から腰を上げると、のっしのっしと俺のほうに近づいてくる。


「もの言いたげな顔だね」

 口を開きたくない、というか、開くと嘔吐してしまいそうだ。

 朝と同じように指を跳ね上げる仕草で命令してきた。おそらく服従心を試しているのだろう。だが、今回は無視だ。

「おいオマエ! 姫様の命令が聞けないのか!」

 朝蹴られた執事姿の男が慌てた様子で俺の近くへ駆け寄ってくる。

「礼儀は教えたんだろうね」

「ははっ、抜かりなく」

「二度の失態は許せないねぇ」

 豚は力強く男を蹴り飛ばすが、片足ではバランスが取れないのだろう、よたよたと後ろへさがった所へ椅子から立たせた男たちに背中を支えられる。

 蹴られた男は生まれたばかりの小鹿のように蹲りながらプルプルと震えていた。


 俺は大袈裟に深い溜息をつくと。

「オバサン、命令を無視したのは俺の意思。その人を怒るのは筋違いだ」

 ギロッと怒りを滲ませた目で豚が睨んでくる。

「この私をオバサンと呼ぶなんて、いい度胸じゃないか、えぇっ!」

「お気に召しませんか、なら豚でどうでしょう、アナタにピッタリの名前だ」

 眉間に青筋が浮かび上がり、厚化粧をしていても激怒して顔が赤くなったのが見て取れる。

「わ、私は優しいのさ、教育の行き届いていない子供が暴言を吐いても暴力をふるったことなんてないんだよ」

「醜悪な豚が美少年たちを愛でるだけで暴力なんだ、気づけよ」

 ギリリと歯軋りの音がする。

「あ~そうかい、そうかい。今晩、嫌がるオマエを虐めて楽しむ予定だったけど仕方ないねぇ。初物はじっくり、ねっとり、甘い蜜を塗ってから味わいたかったけれど、はぁ~残念だよ」

 女は手を目の前に移動させピースサインの形にすると、指の間から俺を見た。

 一瞬、目が光ったように見えたが何だ?

「私の神職は教師なのさ。代々続く商家なのに何の因果かねぇ。でも、この力のおかげで商売を拡大してきたのも事実。十歳以下の子供を意のままに操ることができるのさ。将を射んとする者はまず馬を射よと言うだろ、商談相手の子供が私を懇意にしろと親にねだるだけで嘘のように商談が上手くいくのさ。はぁ……、洗脳してしまった子供に説明しても無駄だったわ。人形となった子は面白みに欠けるのがネックなのよね~」

「へぇ~そんなスキルが存在するんだ、怖っ」

「えっ?! オマエなぜ喋れるんだい?」

「さあな、どうやら俺には効かないみたいだな、そのスキル」

「まさか! オマエ十歳以上なのかい? あっ! 確かに股間のモノは年相応じゃなかったね、よくもこの私を騙したね!!」

「騙すもなにも、俺は七歳児だが? まあ、股間のサイズは大人顔負けだがな」

「ふざけるんじゃないよ! まあいい、スキルは効かなくとも力づくで言うことを聞かせるだけさね」

「その力、相手を見なければ発動しないんじゃない?」

「ああそうだよ。けれど今更知ったところでオマエに何ができるのさ。この私を豚呼ばわりした罪、その体にたっぷりと教え込んでやるからね」

 妄想を膨らませているのだろう、グヘグヘと気味の悪い笑い声を吐いている。


 少し嫌味を言ってから屋敷を脱出するつもりだったが、俺にスキルを向け意のままに操ろうとした代償は払ってもらう。

「潰れろ」

「えっ? なんで急に暗くなっ――まぶた、私のまぶたが無いよ! 目が、目がぁぁぁぁぁぁ!!」


 スキル『穴消去』。

 穴を埋めるのではなく消去する。事象改変されそもそも穴が存在しなかったことになる。

 目という穴を消去したので女にはまぶたも眼球も存在しない、のっぺりとした顔になった。おそらく頭蓋骨の穴すら塞がっているだろう。

 これでスキルを発動することができなくなったはずだ。二度と被害者を出さないためにはこのくらいの荒療治が必要だ。


「姫様!!」

 床を転げまわる豚を執事姿の男たちが心配そうに取り囲む。目を潰しただけでは洗脳は解けないのだろうか。

「嫌、いやぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 壁際の美少年たちが泣きながら体を震わせている。

「どうして、どうして僕は、あんな気持ちの悪いことを」

 まるで悪夢にうなされるように頭をかかえてうずくまっている。

 どうやら十歳以下の子供は洗脳が解けたようだ。だが執事たちはもうこの世界に順応しているようでスキルによる洗脳ではなく、あの豚を心から崇拝しているようだ。

「気持ちわるっ! こんな服、着せやがって!」

 美少年たちが貫頭衣を脱ぎ捨てた。

 澄んだ瞳の美少年はもういない、今は怒りに燃える狼のように豚を蹴っている。

「クソ豚がぁ! いままで散々好き勝手しやがって!!」

「やめるんだオマエたち」

「うるさい! 邪魔するな!!」

 執事姿の男たちの静止を振りほどきながら美少年たちは豚に制裁を与えていた。



 気の済んだ美少年が俺に近寄ると、

「キミがやってくれたのか?」と聞いてきた。

「さあ、天罰じゃない?」

「そうか、知られたくない力なんだな、わかった。でも例は言わせてくれ、ありがとう」


 その後、あの屋敷がどうなったか俺は知らない。高そうな服を拝借し着替えた後、すぐに脱出したからだ。

 まさか他人を洗脳できる神職があるとは……。もしかすると魔術師よりも利用価値が高いのかもしれない。






 宿屋に戻るとアーセナルが心配そうにしていた。無断外泊したのだから当然だ。

 事の顛末を簡潔に説明すると。

「良かった! 無事で本当に良かった! 護衛としての任務が疎かになっていた。キミは大人っぽいから子供だということを忘れてしまったゆえの過失だ。許してほしい」

 立膝になり頭を下げている。

「頭を上げてくれ。今までだって十分守ってくれていたさ。今回は俺の油断が招いた事故だ。だから気に病むのはやめてくれ」

「いいえ、領主様に身命を賭して任務を全うすると誓った手前、失敗は許されないのです」

 気にするなと何度言ってもアーセナルが折れてくれない。しばらく無意味な押し問答が続いた。

「あ~あ、めんどくさっ!!」

「へ?」

「平行線じゃん。アーセナルが守りたいのは自分のプライドだろ。領主だってイチイチ気にしないっての。結果として俺は無事、それ以上に何の成果が必要だ? 叱って欲しいなら俺が叱る。けなしてほしいなら俺が貶す。許してほしいなら俺が許す。どうして欲しいか言ってみろ」

 しばらくの沈黙の後、重々しく口を開くと、

「……罰を与えてくれ」

「はぁ~、それでアーセナルの溜飲が下がるのならいいだろう。そうだな……では、俺の命令を何でも一つ絶対に従うこと」

「わかった! どんな試練だろうと必ず全うしてみせる!」

「命令だ、エネマをどう思っているのか本心を答えてもらおう」

「なん、だとっ?!」

「任務に尽力するのは良いけどさ、エネマとの時間を邪魔するのは正直言って心苦しいんだよ」

「その件だが正式に断ろうと」

「えっ?」と、背後で聞いていたエネマが驚いている。

「アーセナルはエネマが嫌いなのか?」

「エネマに求婚したのはキミが先だ。護衛の俺が出しゃばる話じゃない」

「俺のことはどうでもいい、本心を吐けと命令したはずだ、逃げては罰にならないぞ」

 アーセナルはゴクリと唾を飲み込むと覚悟を決めた顔で、

「嫌いじゃない、むしろ好きだ」

「俺の顔を見ながら言われてもなぁ~」

 アーセナルは立ち上がるとエネマの前に進む。

「エネマ、好きだ、俺と結婚してくれ」

「アーセナル……」

 エネマがポッと頬を染め、メス顔になっている。

 その顔が俺の心をイラっとさせた。

「ちょ~っと待った!」

 エネマの前に進み手を差し伸べる。

「エネマさん俺も好きです、立場はアーセナルより上だし、給金も高いし、幹部候補で将来有望だし、股間のアレは巨大だし、負けているのは顔立ちぐらいだ。まだ子供だけどよろしくお願いします!!」

 アーセナルも俺を真似て手を差し伸べる。

 エネマはその手を交互に見ながら考え込んでいたが。

「よ、よろしくお願いします」

 握った手は、アーセナルのほうだった。


 悔しい、吐くほど悔しい。男としてアーセナルに負けた。やはり容姿と年齢の壁は越えられないのか……。

「アーセナルを選んだ理由を聞いてもいいか?」

「だって、キミって性格悪いもの」

 膝から崩れ落ち、床に突っ伏し、涙が小さな池を作る。

「俺が……性格……悪い……うそぉ……」

「自覚なかったのね、ゴメン、ホントのこと言って」

「辛辣ぅ~」

「まだ若いんだし、出会いのチャンスはいくらでもあるわ」

 よろけながら立ち上がると。

「そうだよな、まだ諦めるには早い」

「そうよ! そんな性格でも好きになってくれる変人は一人ぐらいいると思――むぐっ」

 アーセナルが慌ててエネマのクチを塞いだ。

「ありがとうエネマ、綺麗サッパリ振ってくれて、心は深く傷ついたけど気分は悪くない。むしろ自分の欠点が知れて良かったよ。そうだ、結婚祝いを贈ろう」

「ありがとう。これは服? えっ、ちょっ、これ一枚!?」

「これを着てアーセナルを悩殺してくれ。いつでも可愛がってもらえるようにね」


 プレゼントしたのは豚屋敷で着ていた高級素材の貫頭衣だ。

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