首切り山田浅右衛門season2「破邪の剣」
海石榴
第1話 桜花に血飛沫、日本堤
大川(隅田川)の墨堤桜が薄紅色の幔幕を張ったように爛漫と咲き誇っていた。
その春たけなわの大川を猪牙舟、屋根船でやってきた飄客が、山谷堀の桟橋で下船し、右手に浅草田圃を見ながら、日本堤の土手道を三ノ輪方向に向かってぞろぞろと歩く。
吉原の昼見世を当て込んだ遊び人たちである。
遊客がそぞろに歩く、その日本堤の土手道を四つ手の女駕籠が一挺、雲助に
花見遊山の帰りであろうか。駕籠の屋根の上には、桜花の枝が飾られ、たわわに揺れていた。時折、はらはらと花びらがこぼれ、風に舞う。
駕籠の脇には、長身痩躯の浪人風の男が、落とし差しにした太刀の柄に右腕を所在なげに委ね、歩を前へと進める。着流しにした黒絹小袖の背には、不気味な髑髏が染め抜かれていた。
前から来た商家の手代風の男が、あわてて道をゆずった。
浪人者の双眸は、春の眩しい輝きとは無縁の昏さであった。
虚無の光を宿した眸子が、一丁先で風に揺れる一本の柳の樹影を映した。それは、言わずと知れた吉原の目印「見返り柳」である。
そこを左に折れ、衣紋坂を下り、そのまま五十軒道をゆけば吉原遊郭の鉄鋲いかめしい大門がそびえる。
男が隠れ営む妓楼、童子切屋もその大門の中にある。
突如、見返り柳の影から一人の男が現れた。初老の恰幅のいい武士であった。
その武士に次いで、郎党らしき者がわらわらと現れ、浪人者の行く手に、立ち塞がった。頭数はざっと七人。
その黒々とした武士の群れに、浪人者は構わず平然と近づいていく。まったくの無表情で、気にする気配は一切ない。
駕籠舁きの雲助が前方から漂う不穏な空気を察して、男に訴える。
「首切りの旦那、向こうは何やら剣呑ですぜ。あっしらは、申し訳ありやせんが、ここでご無礼いたしやす」
男は眉ひとつ動かさず、無言で駕籠舁きに山吹色に光るものを投げ与えた。
土手道の泥土の上にチャリンと転がる小判一枚。
雲助二人があわてて肩から駕籠をおろし、小判に飛びついた。
直後、駕籠の垂れを開けて、つぶし島田に豊かな黒髪を結った女がゆっくりと現れ
た。凄艶な美女である。
嫣然と頬笑んで女がささやく。
「旦那様、花見酒の酔いを醒ます、まことに無粋な輩が……」
「うむ」
男が手で退がっておれと女に命じた。
転瞬、目前の武士たちが腰のものを一斉に鞘走らせ、無言で男を取り巻いた。
男が冷笑を浴びせる。
「ふん。おのれら、わしを山田浅右衛門と知ってのことか」
「きええええぃーっ」
目の前の若い武士が、問答無用とばかりに裂帛の気合声を発し、斬りつけてきたが、「うっ」という呻きを漏らして日本堤の下に転がり落ちた。
抜く手も見せぬ超絶の剣技であった。抜即斬、抜刀術の手練れであろう。
抜き身の刀をぶらりと提げて、浪人者が地を這うような低い声を出す。
「今のは峰打ちじゃ。次は左耳を斬る」
その瞬間、
「ほざくな!」
という怒号とともに斬りつけてきた武士の左耳が飛んだ。瞬後、耳をおさえた手が血にまみれ、左の頬が朱に染まった。
男の見事な太刀捌きに、初老の武士が呆気にとられたが、すぐ我に返り郎党を叱咤した。
「ええいっ。相手は一人ぞ。囲み打ちにせよ。全員で同時に斬りかかるのじゃ」
同士討ち覚悟の捨て身戦法である。
武士たちの背後で事の成り行きを見守っていた女が笑って告げた。
「ほほ。おやめなされ。さすれば、やむを得ぬ仕儀と相なりましょうぞ」
その女の忠告にもかかわらず、激昂した武士の群れが、
「くらえっ!」
「かあっ!」
「とおーっ」
と、一斉に刀を振り上げ、絶叫とともに日本堤の泥土を蹴った。
土埃が舞った刹那、宙に血飛沫が立ちのぼり、日輪の光の中、血の虹がかかった。
女が整った朱唇を袖で隠し、
「あらま。きれいな虹」
と愉しげに笑った。
日本堤に血生臭い風が吹いた。
空の上からは「ピーヒョロロ」と、鳶の鳴き声。
――つづく
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