第2話 現実はそう甘くはない

「俺の専属のボーカルになってくれ!」


「……は? ふざけてます?」


 俺が考えに考え抜いた渾身の台詞がたったの一言で打ち砕かれてしまった。俺は慌てて否定の言葉を言う。


「い、いやいや。俺はいたって真面目だ、ふざけていない。琴夏の歌声に惚れてここに呼び出したんだ」


「歌声に惚れたって……。いつどこで聴いたんですか? 私、学校の中で一度も歌ったことないんですけど。もしかして先輩、ストーカーですか。いきなり、下の名前で呼ぶのも気持ち悪いし」


「ぐふっ!」


 渾身の一撃が滑った挙句、強烈なカウンターが返ってきた。人生で初めてストーカー呼ばわりされたぞ。全くの冤罪だが、女子に面と向かって言われると相当くるものがあるな。


 今日初めて琴……藤波と喋ったが、彼女について少し分かった気がする。彼女はまさに『綺麗な薔薇ばらにはとげがある』という言葉を擬人化したような人間だ。そう思うと青い髪も相まって青薔薇のように見えてきた。


 呼び出した側のくせに相手に軽く失礼なことを思った俺は、今さっき負った心の傷が癒えたので藤波の歌声を聴いた経緯を話す。


「いや、学校で聴いた訳じゃない。たまたまカラオケ行った時に、隣の部屋から人の心の奥にある魂を揺さぶる人類の神秘のような美しい歌声が聴こえてきて、誰か確認したら藤波だったってだけだ。だから俺に事件性など一ミリも無い、人畜無害男だ」


「よく分からない喩えについてはめんどくさいので何も言いませんが、先輩がカラオケで聴いたことは分かりました。……で、先輩に一つ質問なんですが」


「質問?」


 犯人を問い詰める探偵みたいな雰囲気で質問をする藤波に俺は思わず一歩後退りした。まあ実際は、俺が犯人みたいな反応をしただけで藤波の様子はさっきと何一つとして変わっていないのだが。


「どうやって私だと確認したんですか。もしかして、私が部屋から出てくるまで待ち伏……ストーキングしたんじゃないんですか?」


「待て待て待て! 確かに部屋から出てこないかなあって少し待ってみたりはしたけど、その行為をストーキングを表現しないでほしい。その、あわよくば俺を変態に仕立て上げようみたいな精神をやめてくれ」


「別に、ストーキングと言っただけで先輩をストーカー扱いしようとしただけで変態とは一言も言っていないですよ。自分が変態って自覚してるんじゃないですか、ヘンタイ先輩」


「一応俺、先輩だよ。それに、藤波は今日俺のこと知ったよな……」


「私何か失礼なことしましたか? ちゃんと敬語で話してるつもりですけど。初対面なのにいきなり馬鹿なことを言ったヘンタイ先輩の気に障ることをしたなら謝ります」


「ちょ、それ続く感じ……」


 俺は先輩に対し失礼なことを連発する藤波を止めることをこの瞬間諦めることにした。確かに出会って数十秒くらいで専属のボーカルになってくれなんて突拍子も無いこと言う俺も大概だしな。

 それに本題はここじゃない。俺が変態か変態じゃないかなんて些細なことだ。今は、彼女が俺の曲のボーカルになってくれるかどうかが最重要事項だ。


「俺が変態ということは甘んじて受け入れよう。閑話休題だ、話を戻させてくれ」


 さっきまでノリと勢いでやっていたから、今になって緊張が押し寄せてきた。手も足も震えて声も上ずりそうになる。もう後には引けない。ここまできたなら当たって砕けろだ。


「藤波、俺の曲のボーカルになってくれ。お前の歌声なら大勢の魂を震わせ、そして救うことができる。多分じゃなくて絶対だ。絶対にできる。だから、俺のボーカルになってくれ!」


 俺は全力の言葉を投げ切った。後は、藤波の返事を待つだけ。

 まだ、藤波の返事は返ってこない。一秒一秒が遅く重く感じる。藤波の表情に変化は何もない。けど、その瞳には俺の言葉の返事を真剣に考えてくれる彼女の優しさが見えた気がした。

 もう何十秒経ったか分からなくなった時、藤波は大きな溜め息を吐き口を開く。


「これが下手な告白なら断るだけで楽だったのに、こんな馬鹿なこと言われるなんて思わなかった。……ヘンタイ先輩、何かないですか?」


「何かって?」


「自分で創った曲とかないんですか。馬鹿真面目にボーカルになってくれって言われてしまったので少しは考えてあげようと思ったんです。だから、私の気が変わる前に何か出してください」


 そう言い、右手をひょいひょいと動かす藤波に俺は急いでポケットの中にあるスマホを操作し渡した。

 スマホには音楽配信サービスで『corolla』というアーティストが表示されている。


「これは?」


「実は俺、4年前くらいから音楽活動始めてて、だからこれ聴いてもらえれば俺がどんな曲創ってるかわかると思う」


「ふーん」


 そこからはしばらく沈黙の時間が続いた。イヤホンをつけ俺の歌を聴く藤波とその様子をドキドキしながら見る俺。


 その間も藤波の表情に変化は無く、ふと俺は彼女はいつもどんな風に過ごしているのだろうかと思った。元々あまり感情を表に出さない性格なのか、話してる相手が俺だからなのか。考えても仕方のないことだが気まずいときに、些細なことでも気になってしまうというのは自然の摂理だろう。許してほしい。


「ふー」


 藤波のことについてあれこれ考えていたら、一曲聴き終わったのか彼女はイヤホンを外し、軽く息を吐いた。


「どうだった?」


 沈黙が思っている以上に居心地が悪かったのかもしれない、思わず俺は矢継ぎ早に曲の感想を訊いていた。答えを急かすように見えたのか、藤波は少し嫌そうな顔をした。


「ほぼ知らない人を自信満々にボーカルになれと言うだけあって曲の完成度はかなり高いと思います。好きな人はとことんハマりそうな中毒性のある悪くない曲だと思います」


「じゃあ……」


「ただ——」


 藤波の感想を聞いて抱いた俺の期待はすぐにその本人のその一言で消え去った。


「ただ、空っぽでした」


「え」


「この曲には中毒性はあっても、思いとか気持ちとかそんなのが何一つとして感じませんでした。喩えるなら、器だけ立派に装飾したけど肝心の中身を全て忘れたようなそんな虚しさがあるように思いました。曲を作った本人を前に失礼なことを言いますが、この曲は不特定多数の誰かに聴いてもらえれば良いという再生数しか見てない下心だけの曲に感じました」


「……」


 何も言い返せなかった。だって、彼女の言葉は全部本物だったからだ。

 藤波の言葉は濁りが無く澄み切っていて、俺の心を綺麗に突き刺した。でも、曲を否定された怒りも悔しさは不思議と無く、ただ俺は藤波に感心した。

 藤波はたった一回聴いただけで全てを見抜いた。藤波は本物だ。


「失礼なこと言うだけ言って申し訳ないんですけど、私はあなたのボーカルにはなりません。では」


「ああ」


 藤波の背中が遠ざかっていく。


 俺は見事に当たって粉々に砕け散ってしまった。しかし、砕け散ったのはそれだけで俺の心はガラスのようにやわじゃない。そう、まだ終わった訳じゃない。


 もし俺がラブコメの主人公なら物語が始まってそうそうヒロインに振られた可哀想な奴かもしれないが、俺はおきあがりこぼしの如く前向きな男だと自負している。

 なら、最後は成功を掴み取っているはずだ。


「次は絶対に成功させてやる!」


 さあ、天宮汐音あまみやしおと立ち止まってる暇は無いぞ。

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