第22話 素敵な子
いらっしゃいませ、とトールは言った。
店内に入ってきたのは、いかにも「有能」というイメージを形にしたような女性だった。化粧を施した顔は年齢を判りにくくさせているが、全体的な雰囲気からして三十代後半から四十というところだろう。きちっとしたベージュのスーツは、年齢に相応しいだけのブランド品、肩の上で切り揃えられたダークブラウンの髪も手入れがよく行き届いていると見えた。
「何かお探しで」
「――おかーさんっ」
呼ぶと同時に、デイジーはぱっと椅子から飛び降りた。
「ミズ・サンダース」
そういうことになるな、とトールは理解した。
「あなた、〈トール〉ね。すぐに判ったわ」
抱きついたデイジーの頭を撫でながら、女は笑みを浮かべた。
「はい。はじめまして、ミズ」
「『サラ』でいいわ」
「はい、サラ」
いまのは「指示」だ。彼はすぐに、目前の女性に対して使う呼称を切り替えた。
「すぐマスターを呼びます」
トールは通信機に向かおうとしたが、サラは手を振った。
「ああ、いいのいいの。近くを通っただけだから。娘を迎えにきがてら、あなたの顔を見ておこうと思っただけ」
「は? 僕の、ですか?」
「ええ。カルヴィンが面白いことを言っていたから、ね」
「カルヴィン……ギャラガー氏ですか」
「そうよ」
サラはデイジーの手を取った。
「彼が、何を?」
「『リンツは君の言う通りの男だった』」
「え?」
「『リンツロイドは非常に興味深い。まだ見ていないなら見ておくべきだ』とも」
「……あの、それはつまり」
考えながらトールは言った。
「低いヴァージョンで動いてることが興味深いんでしょうか」
〈カットオフ〉工房主が知り、なおかつ「リンツロイド」と呼ぶのは〈トール〉のことだ。そう判定して彼はそっと尋ねた。
「それも皆無じゃないけれど。それだけじゃないわ」
〈レッド・パープル〉のロイド・クリエイターは、きれいに口紅の引かれた唇を少し上げた。
「私には、ね」
「え?」
「はい、デイジー。トールにご挨拶」
「うん、お母さん」
少女は彼女の「母」から離れると、とことことトールに近寄った。
「トール」
「うあ」
いきなり抱きつかれて、彼は焦った。
「三日間、ありがと。楽しかったよ」
「あ、うん。僕こそ」
楽しかったよと彼は返した。
「夢の泉があるのかは、お父さんのところでも判らなかったね」
「ああ……うん」
三兄弟の意見は総じて「ない」なのであるが、デイジーは納得しなかったようだった。もとより、「ない」ことの証明は難しい。
「ずいぶん、こだわってるね」
彼は少し笑った。
「もしかしたらデイジーは、泉の精霊に何か願いごとがあるの?」
ふと思いついてトールは尋ねた。妙な質問だな、と自分でも思った。
リンツェロイドが「願う」なんて。
「願いごと」
デイジーは繰り返した。
「――内緒」
それからにこっと笑って、少女は答えた。
「そういうのは、内緒にすることなの」
「あ、そう」
トールは何だか、拍子抜けした。
「夢の泉? 歌ったの?」
サラは娘に尋ねた。
「うん。何回も」
「そう、よかったわね」
「サラのお気に入りだとか」
トールが口を挟めば、サラは彼を見た。
「ええ、そうよ。でもフィルも好きじゃないかしら」
「フィル」というのはマスターのことだったな、とトールはデータを確認した。
「どうかな。少なくとも、タイトルを聞いてもとっさに思い出せなかったみたいですけど」
「あら」
サラは片眉を上げた。
「そう」
意外そうに言うと、彼女はトールをじっと見た。どうして見つめられるのか判らず、トールはもぞもぞした。
「――フィルには」
そこで彼女は笑みを浮かべた。
「あとで、通信で連絡するわ。仕事の邪魔をすると怒るでしょうし」
「マスターは怒ったりしませんよ」
「そう? しばらく会わない内に、ずいぶん丸くなったのね」
彼女はそんなことを言った。
「すぐに呼びますから、どうぞそこに」
「いいのいいの」
サラは繰り返した。
「それとも、勝手にデイジーを返したらあなたが怒られるかしら?」
「あなたがミズ・サラ・サンダースであることはデイジーの反応から明らかですし、申し上げました通り、マスターは怒りません」
問題はありませんとトールは言った。
「じゃあまたね」
少女は彼を離れ、母のもとに戻った。
「うん……あ、サラ!」
「何かしら?」
「問題の件は、片づいたんですか。その、妙な男がどうとかっていう」
「それはあなたの知るべきことかしら、トール?」
「あ……すみません」
彼は謝罪した。確かに、出過ぎている。サラから言ってくるのならばともかく、そうではない。直接だろうと通信だろうと、マスター同士が話せばいいことだ。
「ですが……」
しかし、彼は顔を上げて続けた。
「デイジーが〈クレイフィザ〉に預けられたのはそのことが原因でしたから。もしも片づいていないのであれば、〈クレイフィザ〉と当店の店主にはまだ責任があります」
トールの言葉にサラは目をしばたたいて、それから笑った。
「本当。面白いわ、あなた」
「どういう意味でしょうか」
「広い自由度と抑制の共存。フィルは本当、素敵な子を作ったわね」
「は? あの」
「当座、デイジーの危険はなくなったの。問題の男は捕まったから」
だから迎えにきたのよ、とデイジーの「母」はさらりと話題を戻した。
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