第19話 嘘だった訳だね
「――きっと」
「あなたに」
「会えますか」
デイジーが歌い終えたとき、彼の瞳は潤んでいた。
「……マスター」
トールはそっと呟いた。
「歌の選択が、卑怯です」
「そう? デイジーの得意なものにしただけだよ」
「嘘ばっかり」
「ミスタ」
店主は男を見た。
「答えなくてけっこうです。ただ、聞いていただきたい。もしもあなたがこの歌に心を動かされたのであれば」
男は涙を流しながら、黙っていた。
「それは『デイジーだから』『エミーだから』ということではありません。彼女らは上手に歌いますが、それはただのプログラムだ。そこから何かを感じ取るのはあくまでも聞き手……人間なんですよ」
男はやはり、黙っていた。
「ミズ・マックスはエミーの歌声を好いた。あまり合理的な言い方ではありませんが『波長が合った』とか『相性がよかった』とでも言うのでしょうね。歌を求め、エミーのそれに聞き入った彼女は、エミーそのものを好いた。もちろん、リンツェロイドは
彼は続けた。
「人間の求めるものを与えるのが彼らの仕事だ。それが家事労働であれ、歌であれ……慰めであれ」
男は目を真っ赤にして、うつむいた。
「彼女が最後までエミーの話をしていた、それがあなたの目には『呪い』と映りましたか? 本当に? いいえ、ミスタ。あなたはやり場のない哀しみをどこかにぶつけたかった。そのお気持ちは、痛いほど判ります。ですがそれは」
彼女の望みだったでしょうか、などと店主は神妙な顔で語った。
(……マスターときたら)
トールはこっそりと思った。
(もっともらしいことを言ってるようだけど)
(何の答えにも、解決にもなっていないと思います)
指摘を口にするのは、避けた。
いつだったかライオットが言っていた「理性的な感情論」。マスターの得意とするところだ。人はこれに、何故だか納得させられてしまうらしい。
もしかしたらあとで冷静になって、何か変だなと思うのかもしれなかったが。
「アカシ。彼を放して」
店主は命じた。「二男」はうなずいて従った。侵入者はのろのろと立ち上がり、覆面を外して、顔を拭った。それは確かに、昨日〈クレイフィザ〉を訪れた若者だった。
「どうして、泣いてるの?」
デイジーは目をしばたたいた。
「どこか痛いの? 病院、行く?」
「……デイジー。こっちに」
トールは呼んだ。おとなしくなったようではあるが、エミーを壊すと息巻いていたことを忘れる訳にはいかない。少女は男とトールを見比べるようにしてから、素直にトールの近くに寄った。
「済まないが、トール。ライオットを追いかけて、一緒に警察をごまかしてくれるかな。立て付けの悪い窓を無理矢理閉めようとしたら割れてしまったとか何とか言って」
「そんな無茶苦茶な」
少年は顔をしかめた。
「とにかく、勘違いや間違いだったと言ってくれ」
「判りました」
「デイジーはさっきの部屋に戻って。私が呼ぶまで、そこにいるように」
「うん」
「さて、ではミスタ。もう少しお話を……」
店主が男に語りかけるのを続けるのを背後に聞きながら、トールは店頭へと向かった。
マスターのことは少し心配だが、命じられては彼にはどうしようもない。スタンガンも取り上げたことだし、あの様子からすればおそらく大丈夫だろうと判断するしかなかった。
「あー、トール。こっちこっち」
だが目的地にたどり着く前に、ライオットが違う場所から彼を呼んだ。
「ライオット? 何してるんです、そんなところで」
咎めるような口調で彼は言った。
「マスターの指示は……」
「だって。してないもん。通報」
「は?」
「してないの。だから警察なんかこないよ」
「……え」
トールは目をぱちくりとさせた。
「俺は、通報しますかって訊いたんだ。でもマスターは、とりあえず様子を見に行こうって」
「あ、呆れますね」
たまたま押さえられたからよかったようなものの、もし巧くいかなければどうなったか。
「デイジーの通報機能は音声で稼働可能になってるから、全員が手いっぱいになっても、どうにか対応できるだろうって」
ライオットは肩をすくめた。
「ま、嘘だった訳だね。あの人は判ってた訳だ、もちろん。うちには、警護ロイドがいるってこと」
「アカシのことですか」
「もしかしたら、俺も」
彼はひらひらと手を振った。
「予期せぬ強い衝撃を受けて俺らが『落ち』たりしたら、サブシステムが働くじゃん? フル機能は使えないけど、マスターに状況を伝えて修理を依頼することくらいはできる」
「アカシはそのシステムまでやられたのかと思いました」
「俺も思った。でもそうじゃなかった。軽く作られてるサブじゃない、ほかのシステムが起動したんだよ、あれ。それで時間、かかったんだ」
ライオットは両腕を組む。
「でも、成程ね。実は不思議だったんだよね。俺らのパーツが妙に頑丈なこと」
肩をすくめてハード担当は言った。
「丈夫なのは悪いことじゃないし、一般流通品よりも高級なパーツくれてんだから文句ないけどさ」
成程ね、と彼は繰り返した。
「このためだったのか。やっぱ俺にもありそうだなあ、あのシステム」
「三原則から離れた、警護機能」
トールは呟いた。思いも寄らなかった。
「僕にも……あるんでしょうか」
自身の機能をスキャンしてみても見当たらないだろう。マスターが隠していれば。
それは何だか、とても奇妙な感じがした。自分の知らないシステムが、自分のなかにあるかもしれないだなんて。
「トールには、ないんじゃない」
さらりとライオットは言った。
「そうですね。スペックが足りなさそうです」
「いーや。そうじゃなくてさ」
彼は肩をすくめた。
「マスター、トールに危ないことさせないでしょ」
「何です、それ」
「何って、そのまんま」
「ヴァージョンが低いからということですよね」
「そういうことじゃないってば」
「意味が判りません、ライオット」
トールは困惑した。判らないならいいよ、と投げやりにライオットは返した。
「言っとくけどさ。トールのパーツは、俺らみたいに頑丈じゃないよ。だから無茶しないこと」
彼は指を一本立てて、命じるように言った。もちろん〈ライオット〉の命令を聞く義務は〈トール〉にはないが。
「でも、俺らのパーツより高価なんだよねー」
「廉価になる前でしたから」
何だか「散財した」と言われているような気がして――そうだとしても、「した」のはマスターであるが――トールは言い訳した。
「違う違う。ダイレクト社でも使うよーなパーツはいまだに値下がってないでしょ」
「え」
トールは目をしばたたく。
「そ、そんな高価なパーツなんですか、僕の」
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