第16話 いったいどうして
続けてデイジーはリクエストをかけ、エミーは歌った。童謡も、二十年前の流行歌も、最新のヒット曲も。
もっとも「最新」と言ってもエミーの最新なので、数ヶ月ほどずれている。だがデイジーはそれに文句など言わず、教えようかと言った。アカシが呼ばれ、エミーの楽曲メモリが更新された。
「ああ、嬉しい! じゃあ次、あれ!」
「まだ歌わせるのか」
アカシは顔をしかめた。
「少し休ませてやれよ」
「別に〈エミー〉は疲れませんよ、アカシ」
「んなことは判ってるさ。ただ、過剰なアクセスはメンテの時期を早めるだろ。こいつのマスター連がすごい使い方をしてくれたおかげで、俺ぁ苦労したんだ」
しかめ面で〈クレイフィザ〉のソフト担当者は言った。
「なあんだ、自分がさぼりたいから言ってるのかあ」
「あんだとライオット。てめえ」
「お客さんの前で喧嘩しないでくださいね」
にっこりとトールはたしなめた。「弟」たちは両手を上げて降参した。
「じゃあ、あと一曲だけ」
渋々といった感じでデイジーは指を一本立てた。
「それならいいでしょ?」
「一曲だけだぞ」
「だから、そう言ってるってば」
「何にするの?――あ、判った」
ライオットはにやりとした。
「空の池」
「夢の泉っ」
「そうだっけ?」
彼はとぼけた。もちろん、ライオットはきちんと記憶しているはずだ。〈クレイフィザ〉のリンツェロイドはつまらない冗談を言うこともできるのである。
「エミー。アン・ハントの『夢の泉』がいい」
その要望にエミーはこくりとうなずき、データをセットした。
「――世界の」
「世界の果てに」
同時にデイジーも歌い出す。男どもは、ほうっと声を出した。
それはなかなか、見事なペアであった。
世界の果てに、果ての向こうに、果ての彼方にあるという「夢の泉」を探して旅をする、歌の主人公。それが彼か彼女か判らないが、作詞者もいまの歌い手も女性――体――であるから、仮に彼女としよう、とトールは思った。
彼女は本当に、旅をしたのだろうか?
架空の歌に「本当」も何もないのだが、聞きながらトールは「想像」をした。
もしかしたら彼女は旅などしていなくて、ただ、「あなた」の戻らない「庭」のある家で夢を見ているだけなのではないだろうか。「約束の花」が咲く日をひたすら待って。それが咲いたら、「あなた」が戻ってくると――。
「……トール?」
アカシがのぞき込んだ。
「どうした? 変な顔して」
「あ……いえ、別に、何も」
「トールちゃん、泣きそうだよ。確かにきれいだったけど。そんなに感動した?」
「僕に、涙を流す機能はないんですけど」
目をしばたたいて彼は言った。
「確かに、感涙に相応しい歌声ではありましたね。エミー、デイジー、とてもよかったですよ」
「だめ」
デイジーが言った。
「は?」
トールは口を開けた。
「何、その『感涙に相応しい歌声』って」
「何……と言われても」
困惑してトールは言葉を探した。
「相応しいと、思ったんだけれど」
その繰り返しにデイジーが何か言おうとしたときだった。
ジリジリジリ――と、突如、大きな音が室内、いや〈クレイフィザ〉内を襲った。
「け」
「警報っ」
古典的なその音色に、リンツェロイドたちは声を揃えて叫んだ。
「アカシ! 裏口。ライオットはマスターのところへ。僕は店頭に行きます。エミーとデイジーはここに!」
「了解」
「はいよ」
「う、うん」
彼らは「兄」の素早い指示に従い、それぞれの場所に走り、或いはとどまった。
トールがショールームに走り込もうとした瞬間である。アカシの声が背後から響いてきた。
「――てめっ、何だ、ここで何してる!」
「アカシ」
彼は足をとめた。ショールームに人の気配はなく、裏口に侵入者。彼はすぐさま状況をそう判断したものの、踵を返すか、通報するかで迷った。
〈トール〉の緊急通報機能は、オフになっている。トールが警察を呼びたければ、普通の人間と同じように通信を使わなくてはならない。
通信機器を取って、回線につないで、口頭で状況を――。
(必要なら)
(マスターがやるか、ライオットに指示する)
トールはそう気づいて、裏口に走った。
だが、行ってどうするのか。
トールはもとより、アカシもライオットも人に危害を加えることはできない。もし夜中に泥棒でも入ったのなら大声や物音で追い払うこともできるが、昼間からの侵入者が「住人に見つかった」だけで逃げていくとは思えない。
しかしそれでも、アカシを放っておけない。彼は走った。
それにしても、いったいどうしてこんな昼間から。
いったい、誰が。
もしや、と彼は思った。
(デイジーを追う男が、〈クレイフィザ〉を嗅ぎつけて)
それ以上考える前に、トールは角を曲がった。
「ア、アカシ!」
そこで彼は悲鳴を上げる。彼の弟は、腹を抱えるような体勢で廊下に倒れ――ぴくりともしなかった。
そのすぐそばには、見るからに怪しい、覆面をした人物が立っていた。その手には、四角い黒い箱のようなものが握られている。その先端に一瞬、青白いものが光った。
(スタンガン)
トールはその箱をそう認識した。
(人間以上に、僕らにやばい)
アカシはあれを食らったのか。もし重要な機能がショートすれば、それは「死」に非常に近いものを意味する。
もちろん彼らは、部品とデータさえあれば「生き返る」。
だが。
「だ、誰だ!」
トールはあまり合理的ではない問いかけをした。
「何の真似だ、すぐに出て行ってもら……」
その言葉は当然と言うのか、侵入者に無視された。男はスタンガンを片手にゆらりとトールに向かってくる。
「ここは通さない!」
両手を広げて少年は叫んだ。
この先にはエミーとデイジーが。
彼のマスターが。
「――ちょっと、何なの! 通報は済んだ、すぐに警察くるよ。捕まりたくなかったら、さっさと出て行きな!」
鋭く、背後から声がした。
「ライ……マスターはっ」
振り返らずに彼は問うた。
「こっち行けって言うから」
あっさりとライオットが答える。
「駄目じゃないですか、そこに従っちゃ!」
トールは焦った。
「何のためにマスターのとこに行ってもらったと」
「私が命じたんだよ」
続く声に、彼はぎくりとする。
「マスター! 危ないです、下がって」
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