第13話 悪い癖が出るといけません
そうして、一日が過ぎていった。
デイジーはすっかりトールに懐いて、何をするにも彼のあとをついてきた。アカシやライオットはにやにやと、店主はにっこりと、それを見ていた。
「弟」たちはともかく「父親」まで他人事のような態度でいるのはどうなのか。とトールは思ったが、トールを信じて任せてくれたのだとでも思うしかない。もとより彼としては、簡単な接客やコーヒーを淹れること以外で彼のマスターの役に立てるのであれば、嬉しく思うのだが。
「ねえねえトール」
デイジーがやってきて二日目の昼過ぎ。いつも通り静かな店内で、少女ロイドはじっとトールを見た。
「何?」
「エミーの歌が聴きたい」
「……えーと」
言われそうな気はしていた。
「彼女は起動してないから。起動には、マスターの許可が」
「じゃあ、頼んでくる」
「だからっ、待ったっ」
トールは前日に続いてデイジーの袖口を捕まえようとした。しかし最新型リンツェロイドは彼の動きのパターンを把握したとでも見え、わずかなところでそれをかわした。
「ちょっとっ。僕の言うこと、聞くんじゃなかったのっ」
少年ロイドが悲鳴のような声を上げたときには、少女ロイドはポニーテールを揺らして、奥への扉をくぐっていた。
本当の少年と少女なら、思い切り走れば彼は彼女に追いつくだろう。だが生憎、実際に彼らに「性別」はなく、あるのは「性能」だ。最新型に旧型は追いつかない。
「――マスター、すみませんっ」
彼は通信で主人を呼んだ。
『どうしたの』
少し驚いたような声で返事がある。
「あの、デイジーがそっちに」
『うん? 君の子守歌に飽きたって?』
「僕は子守りロイドでもシンギングロイドでもありません」
『歌唱機能、欲しいかい?』
「要りません。これ以上オプションつけると重くなるんでやめてください」
『大丈夫。その辺は調整するから』
「要りませんってば。マスターが僕の子守歌を聴きたいと言うのであれば、つけたらいいですけど」
『はは、それならエミーに頼もうか。永眠できるかもしれないけど』
「笑えない冗談はやめてくださいっ」
『おとーさんっ』
デイジーが到着したようだった。
『エミーの』
そこまで聞いたところでトールは通信を切って、店主の部屋に向かうことにした。
急いで彼が主人の仕事部屋を訪れれば、なかなかどきっとする光景が見られた。
少女が男の膝に乗り、ほとんど抱きつくようにしていたのである。
これが本当の、かつ妙齢の女性であれば、トールは「すみませんでした」と踵を返すところだ。
「……下りてくれるかな、デイジー」
にっこりと笑みを浮かべて、店主は言った。
「エミーの歌、聴かせてくれるなら下りる」
「私の指示に従う、というプログラムはどうなったんだい?」
「だって聴きたいんだもの」
「あー、えーと、僕はどうしましょうか、マスター」
とりあえずトールは自分がきたことを知らせることも兼ねて尋ねた。
「君の意見を聞きたいね」
店主はデイジーを仕方なさそうに抱きとめつつ、顔を傾けてトールに視線を寄越した。
「エミーのことですか? 僕は、起動には反対です。また、マスターの悪い癖が出るといけませんから」
「また彼女を思う存分歌わせてやりたいと思う、というのが悪い癖かな?」
「一度目は、いいですよ。二度目もまあ、僕はとめましたけど、マスターは無視したでしょ。その結果が三度の出戻りと、訴訟騒動の一歩手前でしたね」
「ミズ・マックスが病床から『エミーは悪くない』とせつせつと話してくれたおかげでご家族も訴訟をやめたんだから、よかったじゃないか」
「結果でしょ、それは! 次に同じことが起きたら、協会だって黙ってませんよ!」
トールは噛みつくように言った。
「確かに。短期間で三回、所有者を変更してるからね。次の申請の時点で、リンツェロイドとして問題があるんじゃないかと再審査が入るだろう。もちろんそこに問題はないが、ほかに問題が」
「問題だと自覚してるならどうして直さないんですか」
「もったいないじゃないか。あんなに上手に歌うのに」
「――マスター」
「おや。どうしてそんな目をするんだい、トール」
「言いたいことはいろいろありますが、いまいちばん重要だと思うのは」
彼は視線をわずかに下げた。
「デイジーがますます、エミーに興味を持ってるということですね」
「おや」
彼のマスターも同じようにデイジーを見た。
「エミーに『夢の泉』歌ってもらう」
デイジーは主張した。
「いいでしょ、お父さん」
「『夢の泉』と言うのは?」
店主はデイジーを通り越してトールに尋ねた。
「十二年前に発表されたアン・ハントの歌謡曲です。発表からブレイクまでに一年のタイムラグがあることや、ヒット後にアーティストが自殺したことなどで当時はよく話題に上ったらしいです」
彼はデイジーから聞いた話と、その後に情報として整理したことをまとめた。
「……ああ、そう言えば聞いたことがあるな」
記憶を呼び起こして店主はうなずいた。
「ブレイクと言っても最初は『無名』から『知る人ぞ知る』になった程度だったはずだ。そして歌手が亡くなり、歌詞が当人の自死を暗示していただとか言われたことがきっかけになって、急にあちこちで聞かれるようになったんだったかな」
順番が逆だよと店主は指摘した。
「事実はどうあれ、そのように噂されたそうです」
何も店主の言葉に反論する訳ではないが、店主の記憶とネットワーク上の「噂」のどちらが正しいかは彼には判らない。
「お父さん、あたし、歌う?」
「またあとでね」
店主はやんわりと断った。
「じゃあエミーと歌う」
「デイジー」
こほん、とトールは咳払いをした。
「まずはそこから下りて。マスターに迷惑かけないように」
「えー」
渋々という様子で、彼女は床に降り立った。
「有難う、トール。私より君の方がお父さんみたいだね」
「『マスターの娘』の何十倍も不自然だと思いますけど」
「それもそうだ」
にこやかに主人は笑んだ。
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