第11話 た、高いから

 それからしばらくは〈クレイフィザ〉らしからぬ繁盛だった。


 と言っても、一、二度ばかり客が重なっただけ、それも数分ほどだが、トールは対応に追われた。


 もっとも彼がやるのは、話を聞いて相談に乗ったり、メンテナンスや修理依頼の書類を用意してもらうくらいだ。ライオットやアカシのように、実際の作業に携わる訳でもない。


 ただ、現状の工房の仕事状況を把握し、数が重なればメンテナンスを待ってもらうとか余所を紹介するとか、そうした調整が必要だ。幸か不幸か、〈クレイフィザ〉がそこまでの事態になることは、まずないのだが。


 デイジーはおとなしくしていた。それはまるで「親戚の子供が遊びにきた」という風情であった。常連ではない客ばかりだったから、店主の娘とでも思われた可能性は十二分にあるだろう。訊かれてもいないのに訂正する訳にもいかず、トールは黙っていたが。


「ふう」


 珍しい連客が一段落すると、彼はロイドらしくなく、疲れたような声を出した。もちろん「こういうときは少し疲れた様子を見せるものだ」という判断によるが。


「トール。お疲れさまー」


 にっこりとデイジーが言った。


「え」


「ん?」


「あ、いや。ちょっと驚いたから」


「何が?」


「その、マスター以外から言われたことないから」


 彼のマスターはいつもきちんと彼をねぎらう。そんな必要ないのに、とロイド自身が思うくらいだ。


 だがほかからは言われない。不思議な感じがした。


「有難う」


 少し違うだろうかと迷ったが、彼はそう返した。ロイドがロイドをねぎらうのも、それに礼を言うのもどこか奇妙だ。しかしほかに言葉が見つからない。


 彼の礼に、デイジーはにっこりした。


(何だか、不思議だな)


 〈トール〉は曖昧なことを思った。


(ロイド同士がねぎらったり、礼を言ったり)


 これは何だろう。彼は適切な言葉を探した。


(――うん、これだ)


 彼は「思った」。


(「くすぐったい」)


「ねえ、デイジー」


「んー?」


「あ、いらっしゃいませ」


 次の客である。トールはデイジーから入り口に目を向けた。


 それはどうやら初めての客と見え、落ち着かない様子で店内をきょろきょろと眺めていた。


 こういうときは、あまり余計なことは言わない方がいい。ただの時間つぶしかもしれないし、ちょっと興味があるという程度で購入という段階にはほど遠い客かもしれない。


 彼らがお喋りをしたいと言うのであれば、ある程度は付き合うのもいい――そのちょっとした縁が販売に結びつくかもしれない――が、従業員と目を合わせないようにカタログやサンプルを見ている客のことは、基本的にそっとしておいた方がいいのである。


 トールは来店への挨拶だけをすると、あとは机の上を片づけるふりなどしていた。


「――あの」


 それから少しして、客が口を開いた。


「何でしょう?」


 にこっと笑みを浮かべてトールは尋ねた。


「し……試用期間とかって、ないんでしょうか」


「はい?」


「その……た、高いから」


 たまに、ある。こういう問い合わせ。工房によっては、応じることもある。新規顧客を掴める場合もあるからだ。だが普通は、「そうしたことはやっておりません」で終わる。〈クレイフィザ〉も同様だ。


「申し訳ありませんが」


 トールは言葉の通りに申し訳ない表情を作った。


「で、ですよね」


 それは二十歳過ぎくらいの若者だった。身なりはいいとは言えず、態度もおどおどしている。見た目で判断するのも失礼ながら、リンツェロイドどころかニューエイジロイドでも購入が厳しいのではないかと思わせた。


「――やっているところもありますよ」


 つい、トールは言っていた。


「保証金や手数料はそれなりにかかりますが、買うことになればその分は割り引かれるのが一般的です。この都市内にも何軒か」


「で……ですよね」


 いささか引きつった笑顔で、若者は意味のない同意を返した。


「すみませんでした」


「え? もういいんですか」


 この流れなら普通「その店を教えてほしい」ときそうなものなのだが。


「エミーを貸したらいいんじゃない?」


 そこでデイジーが口を挟んだ。


「いるんでしょ?」


「あ……いや、その」


 トールは困惑した。


「彼女はちょっと問題があって」


「えー? トーク機能ないってこと? つけたらいいんじゃない? レベル低いのでも」


「待って待って。無理だから」


 そう言わざるを得ない。客の若者が足をとめ、期待するような顔つきになってこちらを見ていたからだ。


 何しろ〈エミー〉は、歌でマスターたちを虜にし過ぎて、ひとりをあの世に、ふたりを病院に送っている「歌の死天使」なのである。


 さすがにマスターもエミーを店頭に出すことはやめたのだ。〈リズ〉のようにごく普通のリンツェロイドならともかく――彼女もひとり目のマスターからは、家族の抗議で帰ってきたが――エミーを試用など絶対にさせられない。


「うちでは、やっていないんです。何でしたら、そういうプランのある店をご紹介しますが」


「あ、いえ」


 若者は手を振った。


「いいです」


 彼はまた言った。


「そうですか」


 トールは店のリストアップ作業に停止をかけた。試用したいのではないのだろうのか、と疑問に思いはしたが、何でも人間の心の動きは複雑で、自分でも何をしたいか判らないときがあるとか。


 彼には、それはない。


 迷うことはある。どちらがよりよいか。どうすれば、より、マスターのためになるかと。


 考え直したり、やると言ってやめるということもある。新たなデータに基づいて、変更がベターと判断したなら、だ。


 若者が試用などと言い出してから、彼がそれを撤回したくなる新しい情報はあっただろうか。


 強いて言うならば「試用にも金がかかる」だろうが、トールが言わなかったとしてもそれくらいは当たり前だ。仮に〈クレイフィザ〉で行っていても同様のはずである。そもそも試用料金も払えないようなら、気の毒ながらリンツェロイドの購入は見送った方がいいだろう。


「ご相談には乗りますから、お気軽に」


「あ、はい」


 もごもごと客は言うと、〈クレイフィザ〉を出て行った。再来店の望みは薄そうだな、とトールは判断した。

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