第5話 三原則

 鼻歌など、歌っている。


 デイジー嬢は、ご機嫌だ。


 一方でトールは、決して不機嫌ではないが、かすかに眉をひそめていた。


 従業員仲間たちをして「心配性」と言われるトールには、いろいろ気にかかることがあったのだ。


 ひとつ。常連客がデイジーについて尋ねたら、何と答えればよいのか。


 ひとつ。彼女が〈クレイフィザ〉の、つまりマスターの作品だと思われたらどうするのか。


 ひとつ。デイジーは見た目よりも言動が子供っぽいが、本当に接客ができるのか。


 ひとつ。――もし、問題の男がここを嗅ぎつけたら。


 リンツェロイドには、いわゆるロボット工学三原則が組み込まれている。遠い遠い昔に作家によって提唱されたその原則は、いまやダイレクト社の規定にも載っており、法的な義務ではないもののたいていは企業も個人もロイドにそれを守らせている。


 第一項「ロイドは人間に危害を加えるべからず。人間の危機を看過するべからず」、第二項「第一項に触れぬ限り、ロイドは人間の命令に従うべし」、第三項「前二項に触れぬ限り、ロイドは自らの身を守るべし」。


 もちろん、特殊な職種に就くべく作られるものは別だ。たとえば警備ロイドなどは、第一項たる「人間に危害を加えるべからず」に従っていては役目が果たせない場合もある。


 しかしトールは警備ロイドではない。旧型であろうと、れっきとしたリンツェロイドなのだ。


 もし男が現れて乱暴をはたらいたとしても、トールにはなす術がない。デイジーが人間であれば、彼女をかばって代わりに殴られるようなことならできるが、ロイド同士であれば、「人間の危機を看過するべからず」には触れない。となると第三項の「自らの身を守るべし」が働く。


 リンツェロイドの場合、マスターの命令は他者のものよりもプライオリティが高いから、マスターが指示したあとに他人がそれをキャンセルさせようとしても従わない。つまり「人間の命令」だからと言って何でも従うことはないが、人間を傷つける行為は不可能だ。例えば「あいつを殴れ」などは、マスターの命令であっても聞かない。


 もし不審者が理不尽な真似をしたら、やれることはぜい大声を出すであるとか、通報するであるとか、その程度。


 そう、誰かが彼女を無理に連れ去ろうとしたら、リンツェロイドたる〈トール〉はその「誰か」の腕を掴んで引き止めることすらできない。


 暴力の前に彼らは、ただの人間よりも無力である。


 ――と、そうしたことまで考えるのがトールの心配性たる所以ゆえんであるが、それはそういうプログラムなのだから仕方がない。


「ねえ、おにーちゃん」


「お、お兄ちゃん?」


 マスターの子供同士なら、兄妹ということになるのだろうか。もっとも、単なる年長者――外見的にも、実年齢でも――への呼びかけとも取れる。トールは反論すべきかどうか迷った。


「これ何、これ」


「何って……サンプルだよ。〈クレイフィザ〉製品の」


 少女が手にしていたのは、客が気軽に見ることのできる3D写真集であった。


「うわあ、これ、美人さーん」


「〈サビーヌ〉と言うんだ。所有者が別の都市に引っ越してから連絡もずっとこないけど、元気にやってるかな」


 「元気」、つまり故障もなく無事に稼働しているだろうかという意味合いである。


「でも〈レッド・パープル〉のロイドも美女揃いだろう?」


 珍しくないのではないか、とトールは尋ねた。


「うん。アリッサとか、とてもきれいよ。コンテスト出ればよかったのにってみんな言うけど。お母さん、その気ないから」


「ふうん、マスターと似てるのかな」


 〈クレイフィザ〉にもたまに出品の誘いがくるが、店主が承知したことはない。ギャラガーの台詞を思えば、いや、単純に自分たちの機能を思えば、けっこうなところまで行くはずなのだが。


「出たら優勝しちゃうから、これ以上有名になったら困るからって」


「……ちょっとマスターとは違うかな」


 彼のマスターは、褒められれば過大評価だなどと言う。自身のリンツェロイド相手にさえ、そうだ。内心ではどう思っているとしても、口に出しては謙遜するのが〈クレイフィザ〉店主。時にそれは鼻につく謙虚、慇懃無礼と取られるが、サラにはどうやらその傾向はないようだった。


「それにしても、困るって言うのは?」


「ヘンな人が増えるからって」


「……成程」


 説得力のある話である。


「ねえ、お兄ちゃん」


「『トール』だよ」


 一応、彼は言った。トール、とデイジーは繰り返した。どうやらこちらは聞いてもらえそうだった。


「今日、お休み?」


「ん?」


「お客さん、全然こないから」


「これで普通なの」


 朝から夕方まで店を開いていても、客なんて一時間にふたりもきたら大繁盛だ。冷やかしを入れればもう少しいるが、大通りに面しているでもなく、派手なディスプレイがあるでもない。〈クレイフィザ〉が信頼できると知った客はロイドの修理やメンテナンス依頼に繰り返し訪れてくれるが、移転してきたばかりの現状では、まだそれほど常連も多くない。


 加えて、修理に高い金を払いたくなくてギリギリまで稼働させようとする人間も多い。そんなことをすれば却って高くつくし、そもそも〈クレイフィザ〉のメンテナンス価格設定は良心的なのだが、新規の客はなかなか寄りつかないのだ。


 それならいっそ高値をふっかけてしまえばいいのに、とトールはときどき思う。それは結果的に客離れを生むと判ってはいるのだが、高額なリンツェロイドの依頼は稀であり、かつ、簡単に作れるものでもない。


 マスターの生活費はもとより、各種部品代、マシンのメンテナンス費用、定額ではあるが光熱費も。トールは毎月、帳簿にはらはらしているのである。


 もっとも、新規依頼のリンツェロイドが一、二年に一体も売れれば、経営が破綻する心配はない。ダイレクト社などよりは――通常――安いと言っても、技術料は相当だ。


 トールの心配は杞憂というものである。


 或いは、プログラム。


「〈レッド・パープル〉は繁盛してるの?」


「お客さんいっつも、お母さんの手が空くの待ってるよ」


「へえ、そりゃすごい」


「ひとりひとりにかける時間が長いんだって言ってたから、そんなにお客さんが多い訳でもないのかも」


 考えるようにデイジーは言った。


「でもここは、全然こないね」


「あんまり、繰り返さないでくれる」


 苦笑してトールは頼んだ。


「ねえ、トール!」


 不意にデイジーはぱっと顔を上げ、彼を見た。


「歌ってあげようか、何か」


「え?」


「店頭に出てるとね、ときどき言われるの。デイヴィッドは『でも』だって言ってた」


「え?……ああ、デモンストレーション、ね」


 リンツェロイドは受注生産が一般的だが、クリエイターが自らの思うままに作ったものの仕様を公開して販売するというのも珍しくない。無名のクリエイターならそれは安くなり、名のある場合は高くなるのが普通だ。つまり、〈クレイフィザ〉がやってもあまり儲からないが、〈レッド・パープル〉ならそこそこだろう。


 サラは、デイジーのような依頼人のいないリンツェロイドを作製し、デモを行って販売するという手法を取っているものと思われた。


「ふうん、歌ねえ」


 歌唱機能。


 そのオプションの内容は、さまざまだ。


 単なるヒトガタ・メディアプレイヤー、ということも多い。プロによる演奏の楽曲をリンツェロイドに組み込まれたソフトで鳴らすというだけだ。オプションによってはで歌っているように見える。この場合、歌詞はリンツェロイドの禁止語には引っかからない。あくまでも演奏、再生に過ぎないからである。


 彼らが自らの声で歌うとき、それは禁止語の適用範囲となる。死ぬの殺すのという物騒な台詞や差別的とされる言葉だけではなく、「愛している」という表現も彼らは発することができない。


 それはリンツェロイドの認定を行う協会の規定であり、もともとは提唱者リンツェ博士の考えであったと言う。トールらの個体識別番号を違法に隠す〈クレイフィザ〉の店主でさえ、そのラインは崩さない。


「歌」


 トールは繰り返した。


 彼に歌唱機能はない。トーク機能の延長として「鼻歌」のようなことや、有名な曲を少し口ずさむような真似事ならできるけれど、決して上手には歌えない。〈クレイフィザ〉最強の歌姫はエミーだが、彼女にはとある問題があり――言うなれば最強すぎるのが問題だ。


 ともあれ、歌唱機能を持ち、それをメインのオプションとするロイドは、通称「シンギングロイド」と呼ばれる。たが店主はエミーにもその名称を冠していない。歌はオプションのひとつにすぎないという考えだ。


 デイジーもおそらく同様なのだろう。歌えること即ちシンギングロイドではない、と。

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