第6話 切ないって判る?
「何が歌えるの」
「サニーボード社と契約してるから、登録曲は何でも歌えるの」
「へえっ、そりゃすごい」
「音域が違いすぎるととんでもないことになっちゃうからお勧めしないけど、笑いたければそれでもいーよ」
「じゃあ、そうだなあ」
トールは考えた。
「ミズ・サンダースのお気に入りを一曲」
彼女の母なら、彼女の娘にぴったりの曲を教えているだろうとトールは推測した。もとより、彼は歌などほとんど知らないから、タイトルやアーティストで指定することはできなかったのだが。
「一曲? うーん、どれがいいかなー」
ふんふんふーんとデイジーは試すように鼻歌を歌う。成程、さっきから歌っていたなとトールは思い出した。
不意にデイジーはにこっとし、瞳を閉じて胸に手を当てた。
「――世界の」
世界の果てにあると言う
夢の泉を 知っていますか
精霊に 祈り捧げると
どんな願いも 叶うとか
夢の泉を 探しています
もう長いこと ひとりきりで
夢の泉に たどり着いたら
きっとあなたに会えますか
果ての向こうにあると言う
夢の泉を 知っていますか
精霊に 認められたなら
水を 分けてもらえるだとか
夢の泉を探しています
あなたが消えた あの日から
泉の水を 庭にまいたら
約束の花 咲きますか
果ての彼方にあると言う
夢の泉を知っていますか
精霊に守られた国は
命ある者行けぬのだとか
夢の泉を探しています
願いは いつか叶いますか
泉 求めて 果てを越えたら
きっとあなたに会えますか
デイジーの声から、幼い調子が抜けた。それはトールと同年代――外見上――かもっと上の女が歌っているかのようだった。
だがデイジーの声だ。おかしな言い方ながら、この子が成長したらこんな声を出すだろう、と思えるような。
「どう? どうだった、トール?」
歌を終えると、少女の声は元通りとなった。
「すごく上手だよ」
彼は感想を言ったが、デイジーは不満そうだった。
「そんなの、当たり前」
「はっ?」
「歌唱機能つきのリンツェロイドが歌上手いのなんて当たり前でしょ。ほかにないの」
「ほ、ほかにって」
気の毒にトールは困った。
「ええと、もう少し明るい歌がくるかなーと思ったんだけど」
「暗い?」
「いなくなった恋人を捜しているという感じの歌詞だよね。もしかしたら死んでしまったのかもしれないけれど、どんな形であれ恋人はいなくなって、約束は守られることがない」
彼は歌詞を思い返しながら考えた。
「判っていながら認められなくて、世界の果てまで行けばきっとと思うと同時に、そんなところまで行けるはずがないという諦観もあって……ええと」
彼は頭をかいた。
「トール、嫌い?」
「いやいや」
慌てたように少年は手を振った。
「曲調は優しいね。却って切ない感じで、よかったよ」
「切ない?」
デイジーはまたしても繰り返した。
「トール、切ないって判る?」
「え?」
「『切ない』って、判る?」
丁寧に少女は繰り返す。
「わか……ど、どうかなあ」
そう言われると困ってしまう。
「切ない」。感情を表す形容詞。悲しみや恋しさなどで胸が痛むように感じること。やるせない、などとも言う。
それは知識だ。データだ。
時折トールは「切ない」と感じることがある。たとえばマスターがにっこり笑って彼のヴァージョンアップを断るとき。
しかしそれは、「こういうときには胸が痛くなるような『切ない』という感情が起こる」とデータによって理解しているからだ。彼のプログラムは状況を判断して、擬似感情ソフトを使用し、適切なフラグを立てるだけ。
となると、彼はそれを「判って」いるのか。
難しいところである。
「お母さんはね、いまにきっと判るわよって言うの。トール、長生きなんでしょ?」
「まあ、リンツェロイドとしては、それなりに」
「生きる」と言うのかどうかはさておいて、と年長ロイドは「考えた」。
「トールくらい生きれば、判る?」
「――どうかなあ」
彼らは、成長しない。学習はするが、成長とは違うように思う。ヴァージョンアップは成長ではない。もとよりトールは、ヴァージョンアップすらしない。してもらえない。
「いまの、誰の曲なの?」
答えの出ない質問をごまかすべく、トールは質問をした。
「アン・ハントって十年くらい前の歌手の曲で、『夢の泉』。当時、いろんな解釈がされたんだって。トールが言ったみたいに死んだ恋人を待つ歌だっていうのが主流だったけど、後追いの歌とも言われたって」
「後追い?」
「命ある者が行けないところに行こうとしてるから」
「ああ、そういう意味か」
「ハントはこの曲のヒットのあとで、自殺したんだって。そのせいか、後追い説もけっこう有力みたい」
少女は聞きかじり、或いはインプットされたデータを語った。
「ねえ、トール」
「ん?」
「夢の泉ってあると思う?」
「え」
またしてもトールは困った。「妖精さんって本当にいるの?」とでも問われた気分だ。
「あー……いや、どうだろうね」
相手は本物の「子供」ではないのだから、「夢を壊してはいけない」などと気を使う必要はない。仮に本物の子供だったとしても、そろそろそうしたことの区別が付いている年代と言える。
だが、「ないんじゃない?」と即答するのも気が引けた。
「お母さんはあるって言うけど。ミミはフィクションだって。あたし、どっちをインプットすればいいのかな?」
「さ、さあ……」
「そうだ。お父さんに訊いてみよう」
「ちょ、ちょっと、ストップっ」
くるりと踵を返したデイジーの袖口をどうにかトールは掴んだ。
「ま、ますたーはいま、忙しいから」
忙しいかどうかは知らない。ただ、「トール、よろしくね」は、デイジーの子守をしていろという指示である。マスターが仕事をしているのであれ昼寝をしているのであれ、デイジーに彼の邪魔させないのが、トールの仕事。
「そっか」
意外にもと言おうか、少女は聞き分けがよかった。
だがトールが安堵したのは束の間である。デイジーはこう続けたからだ。
「じゃあお父さん以外の人に訊きたい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます