第3話 お父さん
それで、とテーブルにコーヒーカップを置きながら、少年はじろりと店主を見た。
「本当に、マスターの隠し子じゃないんでしょうね」
「私が子供を作るとき、女性は必要ないんだ。君はよく知っているだろう」
「……何となく誤解を招きそうな言い方はやめてください」
トールは咳払いをした。
「言うなれば単性生殖かな? 君たちの手は借りるが、そこに女性は介在しないようだし」
「リンツェロイドの製作を生殖に例えるのはどうかと思います」
冷静にトールは指摘した。そうだねとマスターは肩をすくめた。
「だいたい、私に実子を隠す理由はない。仮にデイジーが若き日の恋から生まれた命であっても、私が意図して隠していたのではない以上、『隠し子』とは言わない。言うとしたら庶子かな」
「そういう言葉の上での話をしている訳ではなく」
少年は息を吐く。
「まあ、それはいいです。過去にマスターがどんな女性関係を持ってようと。僕には関係ないですから」
「おや」
店主は眼鏡を直した。
「何か怒っているのかい、トール」
「別に何も怒ってなんかいません」
トールは顔をしかめた。
「ただ、何だかごまかされているような気がするだけです」
「いったい、何を」
「本当の本当に、マスターのお嬢さんじゃないんですか?」
「似ているかい?」
「いいえ、ちっとも。でも母親似かもしれないでしょう」
「私が誰と関係を持ったと言うんだ」
「知りませんよそんなこと」
トールは鼻を鳴らした。
「僕は、マスターが教えてくれること以外、知りようがないんですから」
「でもお父さんだよ」
デイジーが口を挟んだ。
「お母さんがそう言ったもの」
「……マスター」
「だからその非難するような視線をどうにか」
店主は苦笑した。
「君の『お母さん』は、サラ・サンダースだね、デイジー」
「うん」
少女はこくりとうなずいた。
「サラ・サンダース?〈レッド・パープル〉の?」
トールが尋ねれば、デイジーはまた「うん」と答えた。
「え。そ、それじゃまさか」
それがマスターのかつての恋人か――とトールが思ったのではなかった。彼が考えたのは違うことだった。
〈レッド・パープル〉は〈クレイフィザ〉のような個人工房である。コンテストなどに出品はしないが、一部では有名な店だ。
購入者の審査にとても厳しいことがその理由のひとつ。いや、それはあくまでも、派生した理由にすぎない。
「――この子、まさか」
トールは少女の指先を見た。そこには一見、爪があるように見えた。
「……あ」
彼は気づいた。よく見ればすぐに判る。光るようなフィルムが張ってあるだけだ。
「そう。デイジーはロイドだよ」
店主は少女の手を掴むと、手首を示した。そこにははっきりと、個体識別番号が記されている。
「そう言えば、手紙を渡すときの動作が不自然でした」
何かを差し出すとき、普通なら、手首を上側に向ける。だが彼女は、手紙をつまむようにしてトールに渡したのだ。
爪のない指先や手首のナンバーを隠すことは禁じられている。しかしフィルムなどを張ることは、「アクセサリーを着ける」レベルのこととして容認されていた。きちんと見ればすぐ判るからだ。
「そんなの、ありですか」
彼は呟いた。
「おや。怒っているのかい」
「別に、怒っていません。僕は何も、僕がロイドを見誤るなんて恥ずかしすぎるとか。手袋とかで隠さなくても所作で隠すなんてずるいとか。気づくことができなかったのはマスターが僕を」
そこで彼は言葉をとめた。店主は片眉を上げた。
「『私が君を』何だい?」
「何でもないです」
「ヴァージョンアップしないから、ということ?」
「ちょ、ちょっとマスター!」
〈トール〉は慌てた。
「大丈夫。サラは気にしないよ」
あっさりと店主は言ってのけた。
「……じゃあ、言いますけど」
トールは改めて、続けた。
「マスターが僕をヴァージョンアップしてくれたら、ちゃんと気づけたかもしれないとか。思ってませんから。別に」
「思ってるんじゃないか」
店主は笑った。
「でも恥ずかしくないよ、大丈夫大丈夫。この子くらい精巧だったら、普通は判らないから」
「最後のリクエストは無視ですか」
「君もしつこいねえ。私はヴァージョンアップをしない主義だと何度言ったら」
「ほかの稼働ロイドには、してるじゃないですかっ」
「気にしない」と言われても、一応、個体名を使うことは避けながら、トールは抗議の声を上げた。
「だって、彼らはうちのシステムの柱だもの。性能を上げないと業務がとまっちゃうでしょ。そうしたら私はご飯を食べられないし、君たちのメンテナンス・サイクルもおかしくなって、悪循環に」
「マスターの『主義』は所詮、お金で買える訳ですね」
「そういうことになるかな? 手厳しいねえ、君は」
「あなたのプログラムです」
「どうしたの? さっきからものすごく、口調にとげがあるよ」
「別にそんな」
「コーヒー苦い」
舌を出してデイジーは顔をしかめ、店主と助手は目をぱちくりとさせた。
「――ちょっと! それ、本物のコーヒー!」
トールは慌てた。
「ステッパーじゃないんだよ!」
リンツェロイドは内部で常温核融合をするため、燃料電池や「呼吸」によって得られる酸素のほかに、水分を必要とする。理想は「ステッパー」と呼ばれる専用電解水だが、通常はただの水道水でもかまわない。
所定の箇所に注入する方式もあるが、「より人間に近い」ことを求められるリンツェロイドであるから、「飲む」ことで水分を得るのが一般的だ。
ただ、不純物のある液体は、問題がある。
フィルターを一気に汚してしまうだけではない。内部の洗浄という大がかりなメンテナンスを行う必要性まで、生じかねないのだ。
「大丈夫」
マスターは片手を上げた。
「ステッパーを『コーヒー』と呼ぶのはうちの習慣にすぎない。だが彼女は『コーヒー』と言った。判っているからだよ」
それに、と彼は続けた。
「自ら注いだのでない場合、『水だ』『ステッパーだ』と言って渡されたのであっても、飲む前に必ず確認する。最新のヴァージョンはね」
成分分析機能がついているものもある、とクリエイターは説明した。
「あ、そう、ですか」
旧ヴァージョンのリンツェロイドは目をしばたたいた。
「で、でも」
「そう、彼女は『コーヒー』を飲んだ。つまりそれは、飲んでも大丈夫だからだ。そうだね?」
「大丈夫よ?」
何を問われたのか判らないと言うように、少女は目をぱちくりとさせた。
「サラに連絡した。もっとも、彼女は出なかったけれど」
〈レッド・パープル〉の従業員が応対して、仕様書を送ってくれたと〈クレイフィザ〉の店主は話した。
「手紙によると、しばらくデイジーを預かってほしいとのことだ。何でも、〈レッド・パープル〉の審査に通らなかったのに彼女を売れとしつこい客がいて、警察沙汰にもなっているそうだ。さらわれる心配をしているみたいだね」
「ええ? そこまでしますか?」
「さあね、考えすぎかもしれないし、そうじゃないかもしれない。警察の指導は『該当ロイドを停止させ、厳重に管理するように』とのことだが、サラはそうしたくないらしい」
「それは、判るような気もしますけど」
でも、とトールは首をかしげた。
「どうしてマスターに?」
「この前、移転の知らせを送ったからね。まだあまり知られていない、穴場だと思ったんじゃないかな」
店主はいい加減な返事をした。
「それじゃ……父親云々というのは」
トールはそこも尋ねた。
「何でも、私が以前サラに話した仮定に基づいてデイジーを作ったそうだよ。正直、何を話したのかも覚えていないんだが」
「それで」
「『お父さん』」
「……ですか」
店主に向かってにこっとデイジーは笑い、トールは乾いた笑いを洩らした。
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