44.残り一日
朝、目が覚めると、ゼアがにっこり笑って髪を撫でてくれた。
その椅子にエヴァンダーが座っていないということは、まだ見つかっていないのだろう。
昨夜、エヴァンダーは突如宿から姿を消していた。
すぐにアルトゥールが探しに行ってくれたが、馬がいないので村を出て行ったのだろうということしかわからなかった。
エヴァンダーが心配で眠りたくないとわがままを言ったが、少しでも寿命を伸ばすには質のいい睡眠だとゼアに言われて、無理やり眠った。
朝食はスープだけを食べさせてもらい、すぐに体を横たえる。
身体中がだるく重い。エヴァンダーがここにいないことが、悲しい。
彼はどこに行ってしまったのか。
恋人の息絶える姿なんて見たくないには違いない。
それでもそばにいてほしかった……と思うのはわがままだろうか。
天井を見つめるルナリーの目からぽろりと溢れた涙が、耳に向かってつたっていく。
「ルナリー……」
ゼアは涙が耳に入らないように、指できゅっと拭いてくれた。
「ごめ……なさ……」
「謝らなくていいの。泣くのも……当然よ……なにもできなくて、私の方こそごめんね……」
ゼアの言葉に、ふるふると僅かに首を振った。
なにもできないどころか、アルトゥールとエヴァンダーの命を救ってくれた上、新聖女の教育のこともどうにかしてくれるのだ。
彼女の明るさがあれば、きっとアルトゥールも楽しく生きてくれるだろう。
ゼアのお陰で、憂慮していたことは消えたと言える。
エヴァンダーのこと以外は。
「ゼア、ルーは起きたか?」
小さなノックと同時にアルトゥールの声がした。
入って大丈夫よとゼアが言い、いつもの騎士服姿の兄が中に入ってくる。
「ルー、眠れたか?」
「アル様……ええ、大丈夫……それよりエヴァン様は……」
ルナリーの言葉に、アルトゥールは頷いている。
「今朝、モーングレンから多くの騎士がやってきた。イーヴァの指示だそうだ」
「騎士が……? エヴァン様の、指示で……?」
どういうことか、なぜそんなことをしているのか理解できないルナリーは、首を少し傾ける。
「ああ。グリムシャドウの山を端から端まで徹底的に探索せよとのことらしい。家らしきものを見つけたら、薬と思われるものは全部持ち出してこの宿に持って来いと指示を受けたと言ってた」
その指示を聞いて、エヴァンダーは諦めていないのだとわかった。
家があったとしても、そこに薬があるとも思えなかったが、エヴァンダーは一縷の望みをかけたのだろう。
「エヴァン様は……」
「ここには戻ってきてねぇ……まぁそのうち戻ってくるだろうから、心配するな」
「うん……」
そのうち、とはいつだろうか。
死ぬ前に一目会いたいというのに。
「俺もじっとしていられねぇ。グリムシャドウの探索に加わってくる」
「アル様……」
「夜には戻るさ。ゼア、ルナリーを頼む」
「ええ……あ、待って」
ゼアはアルトゥールの足を止めると、彼の胸に手を置いて加護を施していた。
「気をつけて」
「大丈夫だ。ありがとな」
アルトゥールは颯爽と部屋から出て行き、ゼアはハッと息を吐いてから振り返った。
「もう、男どもったら……こんな時にはそばにいてほしいものだっていうのにね……」
「うん……でも、死んでいく人を見たくない気持ちもわかるの……」
「ばか、二人ともそんな気持ちでここから出ていったんじゃないわよ」
ゼアは椅子に座るとわしゃわしゃとルナリー髪を撫でてくれた。
どこかアルトゥールのようで、ルナリーはふふっと笑ってしまう。
「ゼアさんは、私を看取ってくれる?」
「……二人とも来るわ。心配しないの」
「ん……」
寿命を確認すると、残り一日と十時間ほどだった。
明日の午後六時頃がリミットだ。
それまでに戻ってきてほしい。やっぱり最期は、愛する人に看取られて逝きたい。
しかしエヴァンダーはグリムシャドウを探索するでもなく、なにをしているのだろうか。
ふと見ると、ゼアはカーテンを開けて、外に出ていったアルトゥールの背中を追っているようだった。
「ふふ、ゼアさん、さっきはアル様の奥さんみたいだったわ」
当然のように加護を施していた姿を思い出して、ルナリーは微笑んだ。
「あら、奥さんってあんな感じなの?」
「ああ、そっか……ルワンティス女帝国って、結婚って概念が薄いんだっけ」
「ええ。シェアが基本だし、ひとりの人にこだわらないから、結婚ってどういうものかわからないのよね」
「その割にゼアさんは、アル様にこだわってない?」
「そうなのよ。なんだか気になる人だわ」
はぁっと吐き出されたため息は、恋する者の吐息のような気がして少しわくわくしてしまう。
「ゼアさんとアル様って、ルワンティスでそんなに仲が良かったの?」
「そのつもりだったけど、誘っても絶対乗ってこなかったわね、あなたのことが好きみたいで。別に一人に決めなくてもシェアって方法があるって言ったんだけど、嫌な顔されちゃったわ」
文化の違いだから仕方ないが、アルトゥールにシェアを勧めるのは悪手だ。
アルトゥールがゼアとはなにもないと言い切っていたのもわかる気がする。
「私たちからすると、ルワンティスの人の感覚の方が変わって見えるから……好きな人は独り占めしたいって思わない?」
「独り占めねぇ……じゃあルナリーはエヴァンダーだけいれば平気? 私やアルトゥールと仲良くしたいとは思わない?」
「そんなわけないわ、みんなと仲良くしたいもの」
「そうでしょう? 私たちはみんなと仲良くしてるだけよ。なにかおかしい?」
「えーっと、それとこれとはちょっと違うっていうか……」
根本的な考え方が違いすぎて、分かり合える気がしない。
アルトゥールに恋しているわけではないのだろうか。
ゼアはルナリーの世話をしながら、いろんな話を聞かせてくれた。
聖女になった日のことや、旅の話。国のシステム。
ルワンティスでは子どもは産みたい人が産み、育てられる人が育て、働きたい人が働く。
誰しもが血のつながりなど関係なく、助け合って暮らしている国なのだと教えてくれた。
家族という存在が、そもそも希薄なのだろう。逆にいうと、彼女らは国が家族の単位なのだ。スケールが違う。
みんなで仲良くすればいいという概念も、そこから来ているのかもしれない。
彼女らの文化を否定するつもりはないが、ルナリーもお返しにと色々話した。
アルトゥールへの好きとエヴァンダーへの好きが違っていること。
結婚の概念や家族の在り方を。
ゼアは興味深げに聞いてくれて、ついつい惚気を連発してしまっていた。
「ふふ。ルナリーがエヴァンダーを心から愛しているってことは、伝わってきたわ」
「本当?」
「ええ。なんとなくその気持ちは、わかる気がするもの」
窓からは夕陽が差し込んでいて、ゼアは食べさせてくれた夕食を片付けるために部屋を出ていった。
今日はずっとゼアと話し通しだった。
残りの寿命は二十二時間。明日の今頃は、もうこの世の人ではなくなっている。
あまり寿命を気にせず過ごせたのは、ゼアのおかげだ。
誰かに惚気を聞いてもらいたかったから、幸せだった。
「ルナリー、アルトゥールが戻ったわよ!」
突如弾んだ声がして、ゼアがアルトゥールと一緒に部屋へと入ってくる。
「アル様……!」
「ルー、食事はとったか」
「ええ、ゼアさんに食べさせてもらって、美味しくいただいちゃったわ」
「ならいい」
アルトゥールはそばに寄ってくると、いつものように前髪をくしゃと撫でてくれた。
逆の手には、ルナリーの鞄を持っている。
「あ、それは……」
「ルーのだろ。グリムシャドウに落ちたまんまだった」
「ふふ、それどころじゃなかったものね」
「ここに掛けとくぞ」
「うん」
アルトゥールは壁のフックに鞄を掛けておいてくれた。
長い間愛用していた鞄を山の中に放置してしまっていて、気づくこともしなかった。
最後に戻ってきて良かったと息を吐く。
「それで……他にはなにかあった……?」
おそるおそる尋ねるも、アルトゥールは首を左右に振った。
「いや……小屋は見つけたんだが、空の瓶が転がってるだけで、使えそうなもんはなにもなかった……」
そうだろうとは思っていたが、もしかしたらという希望は木っ端微塵に打ち砕かれた。
アルトゥール眉根が悔しそうに寄せられる。
「すまねぇ、ルー……」
「謝る必要なんてないわ。大事な鞄を持ってきてくれてありがとう」
ルナリーがお礼を言うと、アルトゥールはこくりと頷いて少し笑ってくれた。
ここまでなにかをしようと思ってくれただけで充分だ。
あとはそばにいてほしい。
アルトゥールとゼアはそれからずっと、ルナリーが眠るまでそばにいてくれた。
そしてその日も、エヴァンダーが戻ってくることは、なかった。
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