45.残り十五分

 すすり泣くような声が聞こえた気がした。


 うっすらと目を開けると、すでにカーテンからは太陽の光が漏れている。

 部屋の中央に置かれているテーブルにはきれいな花が生けられていて、昨日ゼアが飾ってくれた物だと気づく。

 その前の椅子にアルトゥールが座っていて、目頭を押さえていた。


 泣いているのはアルトゥールだ。


 いつも明るくて頼もしくて、大好きな兄が泣いている。


 アルトゥールの泣いている姿を初めて見たのは、エヴァンダーが自決した時だった。

 己の死にも泣いてもらえるのかとほんの少しだけ嬉しくなり、しかし死後にも泣かせてしまうのかと思うと申し訳ない気分になる。


 泣いているアルトゥールを、ゼアがぎゅっと抱きしめている。

 なんだかその姿を見ると微笑ましくて。

 自分がいなくなっても、アルトゥールはきっと立ち直ってくれるだろうと確信した。


「ん……おはよう」


 今起きた風を装って声を上げると、ゼアがアルトゥールを隠すようにこちらを向いて歩いてくる。


「起きたのね、ルナリー。おはよう。気分はどう?」

「今のところ変わりないわ。今日死ぬなんて、信じられないくらい」

「……そう」


 思わず心のままを言ってしまい、下げられたゼアの眉を見てしまったと反省する。

 しかし残り十一時間もないだなんて、嘘なのではないかと自分で疑ってしまうほどだ。

 ゼアがあの手この手で苦しさを排除してくれているおかげではあったが。


 それでも終焉は確実に近づいてきている。


 命が一秒ずつカウントされて減っていくのを感じる。

 正確な終わりの時刻がわかるというのは、いいのか悪いのか。


「ルー、なんかしてほしいことはねぇか」


 涙を拭き終えたであろうアルトゥールが、カーテンを開けるとニッと笑いながらルナリーの前までやってきた。その赤い目は、隠し切れていなかったが。


「してほしいこと……そばにいてほしいわ」

「……イーヴァは探してこなくていいのか」

「うん……エヴァン様の好きにさせてあげて」


 本当は、今すぐ探して連れてきてほしい。

 一秒でも長くエヴァンダーと一緒にいたい。

 けれど、エヴァンダーがルナリーの最期を看取るのがつらいというなら……強制はしたくない。


「わかった。じゃあずっとそばにいるよ」

「ふふ、うれしい」


 アルトゥールはベッドの前にある椅子に座って、前髪をくしゃと撫でてくれた。

 そしてゼアを含めた三人で、思い出話に花を咲かせる。

 懐かしさに思わず涙を流すと、アルトゥールが少し困ったように笑って涙を拭ってくれた。


 時間はあっという間に過ぎていく。

 気づけば午後五時半を少し過ぎていて、残りの寿命は三十分を切っていた。


「くそ、イーヴァのやつ……なにしてんだ……っ」


 アルトゥールが苛立ちながら立ち上がり、窓の外を見ている。


「来るわよ、きっと。こんな時にいらいらして過ごさないの」


 ゼアに諌められたアルトゥールは、まだ不服だと言いたそうな顔で戻ってきた。


「あいつが意味のないことをしない男だってのは、俺が一番よく知ってる。だが……」


 アルトゥールは時計に目をやった後、一度ぐっとなにかを抑えるように目を瞑った。時間がないことを嘆いてくれているのだろう。


 エヴァンダーは意味のないことをしない男──というその言葉。

 ルナリーはなにかが引っかかるような、それでいて忘れていた大切ななにかを思い出せそうな気がした。

 エヴァンダーはどこかの周回で、意味のないと思えるような行動をとったことが、あったような。


「アルトゥール、とにかく今はそこの椅子に座って。ちゃんとルナリーを見てあげて」


 ゼアに促されたアルトゥールが、「ああ……」と言いながら、もう一度椅子に座った。

 何度も何度も、髪と頬と撫でてくれる。

 温かい、と感じるのは、自分の体が冷たくなってきているからだろうか。


「アル様……今まで本当に、ありがとう……」

「……ああ」

「ゼアさんも……」

「……いいのよ」


 時間はカチコチと無常にも流れて行く。

 なにか色々伝えたい、話したいと思っても、なにを伝えていいのかわからない。

 それはアルトゥールとゼアも同じなのだろう。

 二人は言葉もなく、ただ優しくルナリーを見守ってくれている。


 残り、十五分。


 いよいよその時が近づいてきた。

 最後にエヴァンダーに一目会いたいと思ったが、もう叶わないだろう。


「アル様……エヴァン様に、『ルナリーは幸せだった』って伝えておいて……」

「……自分で言え」

「もう、会えないもの……二度と」


 するりと涙が転がっていく。

 アルトゥールが悔しそうに奥歯を噛み締めているのがわかる。


「わかった。もしこのまま来なければ、俺が伝える。でも来た時には……自分で伝えるんだぞ。イーヴァもその方が喜ぶ」

「ええ……そうね」


 そう言った瞬間、遠くから馬の蹄の音が聞こえた気がした。

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