32.決戦前夜

「おはようございます、ルナリー様」


 起き抜けでぽうっとしているルナリーに、エヴァンダーが甘いキスをしてくれる。

 何度も繰り返しされたキスは、夢だったのか現実だったのか……。


「おはよう……エヴァン様、夢は見た?」

「見ましたよ。ぼんやりと覚えている程度ですが……ルナリー様と何度もキスをしていました」

「ふふ、私も」


 そう言いながら、もう一度唇を重ね合う。

 もう少しハッキリと見たかった気もするが、ふわふわした感じが心地良くもあった夢だった。


「クズ石じゃなければ、もっとハッキリ見られたのかしら」

「かもしれませんね。でも中級以上は貴重ですし、下級も今後のために必要なので、魔女を倒すまではお預けです」

「わ、わかってるわ」

「そのかわり、起きている間にたくさんしますから」


 その言葉通り、朝からたくさんのキスの雨を降らせてくれる。

 もうずっとこうしていたい、魔女のいる町になんか行きたくないという怠惰な自分が出てきてしまいそうだ。


「ルナリー様……愛しています」

「エヴァン様……私も好き……ん」

「あー、ゴホンッ!」


 お互い夢中になってキスしていると、扉の向こうから咳払いが聞こえてきた。


「アル?」

「ああ、飯の用意ができてる。先行っとくからな」

「わかりました、すぐ行きます」


 足音が遠ざかるのを確認してから、エヴァンダーはルナリーに目を戻した。


「続きはまた夜に」

「う、うん」


 それでも名残惜しくてエヴァンダーを見上げると、もう一度だけ唇にちゅっと音を立ててくれた。

 服を着替えてレストランに向かうと、すでに料理は運ばれていてアルトゥールが手をつけずに座っている。


「来たか。食べようぜ、腹減っちまった」

「ごめんなさい、待たせちゃって……」

「仲が良いならそれでいい。俺に気ぃ遣うな」


 当然のようにそう言ってくれて、ルナリーとエヴァンダーは顔を見合わせると『やっぱりね』と少し笑う。


「ところで、昨日は魔石を使ったんですか?」


 エヴァンダーが食事をとりながらアルトゥールに問いかける。

 するとアルトゥール周りの空気が途端に重くなった。


「……使った……はずなんだがな……」

「もしかして、効果がなかったの?」

「ああ、またゼアが出てきた。しかも今度はずっと泣いてんだ。参ったぜ」

「アルは聖女ゼアを泣かせるようなことを」

「してねー! 俺の方が泣きてぇよ。寝た気はしねぇし」


 はぁっと勢いのいいため息を吐き出し、さらにまた小さなため息を吐いている。

 こちらは魔石を使ってラブラブな夢を見ていただなんて、口が裂けても言えそうにない。


「クズ石よりも高価な魔石か聖女の力で、アルの夢に介入しているとしか思えませんね……」

「誰がそんなことすんだよ?」

「私もルナリー様もそんなことしていませんから、やはり……聖女ゼアの可能性が高いでしょうか」


 普通なら、魔石を使えば望んだ夢を見られるはずだ。それができないとなると、それ以上の力で夢を見させられているということになる。アルに夢を見させているのは、ゼアである可能性が一気に高まった。

 エヴァンダーに〝ゼアが記憶を持っているかもしれない〟と教えられたアルトゥールは、眉間に皺を寄せている。


「しかしそうだとして、近くにいない相手に夢を見させられたりできんのか?」

「中級以上の魔石か聖女の力があれば、そう難しいことではないと思いますよ。ゼアといえば、数多の技を持つ聖女で有名ですし」

「へぇ、そうだったのか」


 ステルスを教えてくれたのもゼアだったし、彼女は器用にいろんな力を見せてくれたことを思い出す。

 ゼアならば、人の夢に干渉する力を持っていても不思議ではない。


「でもなんで俺の夢に出てくるんだ? ルーの方に出ればいいじゃねぇか」


 やはりアルトゥールも当然の疑問に行き着いたようだ。


「そこがわからないのよね。どうしてアル様にばかり夢を見させるのかしら」

「なにか恨まれることでもしたんじゃないですか、アル」

「してねぇ!」


 アルトゥールは片方だけ頬を膨らまして怒っていて、なんだかかわいい。

 結局この疑問が解けることはなく、ルナリー達は朝食を食べ終えると次の町へと向かった。



 いつものように移動を終えると、この日は魔女のいる町のひとつ手前の、小さな村で宿泊することになった。

 明日の朝一番に出れば、昼過ぎには目的のモーングレンの町に着く距離だ。

 夕食を終わらせると、アルトゥールが部屋に戻る前に、ルナリーは二人を外へと連れ出した。

 月は細くてあたりは暗い。ルナリーは魔石を黄色く光らせて外テーブルの上に置くと、護衛騎士たちに向かって話し始めた。


「エヴァンダー様、アルトゥール様。聞いてほしいことがあります」

「どうしたんだ、ルー……改まって」


 不審なものを見るかのように眉をひそめるアルトゥール。そんな彼にルナリーはにっこりと笑ってみせる。


「今までの五年間……エヴァン様にとっては四年間だけど、ずっと一緒にいられて嬉しかった。二人が私の護衛騎士で、本当に良かったと思ってるの」

「ルー、やめろ。そんな──」

「アル」


 話を中断させようとしたアルトゥールを、エヴァンダーが聞けというように止めてくれた。

 アルトゥールは言葉を飲み込むようにして、今度はまっすぐな蒼い瞳を向けてくれる。


「私はもう巻き戻りの力を使えない。だから、これだけは約束して。絶対に、死なないって」


 ルナリーの言葉に、先にエヴァンダーが「わかっています」と答え、一拍置いてアルトゥールも「ああ」と答えてくれた。

 そうは言っても、ルナリーの危機とあれば、二人は迷いなく命を賭けることはわかっているのだが。


「でも、魔女はなにがあっても討伐する。それは肝に銘じておいて」

「「はっ」」


 ルナリーが強い眼差しで宣言すると、二人はピシリと胸に手を当てて敬礼してくれた。


 イシリア王国の聖女の短命は、自分で終わりにしなければいけない。こんな呪われたループを、何度も繰り返してはいけないのだ。

 その決意を胸に、ルナリーは再び声を上げる。


「そして、私の指示には必ず従いなさい。否は許さないわ」

「……はっ」

「御意」


 こんなきつい物言いをするのは初めてだった。

 だが、言わないわけにはいかないのだ。

 愛する、大切な二人の命を──守るためには。


「ありがとう……」


 ビシッと決めようと思っていたのに、お礼を言うと胸がいっぱいになってきてしまった。

 それでもしっかりせねばと、ルナリーは黒髪に蒼い瞳のアルトゥールに体を向ける。

 目が合うと、ルナリーはそっと目を細めた。


「アル様……私、アル様のことが大好きよ。いつも見守っていてくれてありがとう」

「ルー……」


 アルトゥールの前まで行くと、ぎゅっと彼を抱きしめる。

 誰よりも大切な兄。その明るさと優しさで、どれだけ救われたかしれない。

 アルトゥールもルナリーを優しく包み、背中をぽんぽんと叩いてくれる。


「ルー……お前だけが無理をする必要はないんだからな。覚えといてくれ」

「うん……」


 抱擁を解くと、アルトゥールはニッと笑って前髪をくしゃと撫でてくれた。

 いつも通りの兄の行動が心地いい。


「エヴァン様」


 今度は恋人に瞳を向ける。端正で真面目な顔は、出会った頃のまま変わらない。


「どんな時も、私を一番に考えてくれるエヴァン様が大好きよ。でも、自分も大切にしてね?」

「……はい」


 肯定してくれたエヴァンダーに向かって一歩進む。

 しかしルナリーが抱きしめる前に、エヴァンダーに苦しいくらい抱きしめられた。


「エヴァ……」

「少しでも長く生きてほしい……それが私の願いです……っ」

「……ええ」


 ルナリーも抱きしめ返すと、つつぅと涙がこぼれゆく。

 誰一人欠けることなく魔女を討伐し、残りの時間をエヴァンダーとアルトゥールで笑って過ごしたい。

 命の終わりが来る、その時まで。


 ゆっくりと体が離れると、ルナリーは二人の護衛騎士に微笑んだ。


「ありがとう、二人とも。本当に愛してる」


 笑って言ったはずなのに、なぜか目からは大量の涙が溢れていて。

 アルトゥールの手がルナリーの髪をくしゃと撫で、エヴァンダーにはこめかみに触れるだけのキスをされた。

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