30.兄
ステルス効果が切れる前にそうっと湯船を出たルナリーは、サービスで置いてある下級魔石を手に取った。温風を出して髪を乾かすために置いてあるのだ。
普通の宿ならクズ石しか置いておらず、長い髪だと乾く前に効果が切れてなくなってしまう。こういうところがいつもよりいい宿だなと実感しながら、髪を乾かし終えると浴場を出た。
するとちょうどアルトゥールも出てきたところで、バッタリと出くわしてしまった。
「おう、ルーも今出たのか」
「ええ……」
「イーヴァは長風呂だからな。ちょうどよかった、部屋まで送る」
「ありがとう、アル様」
先ほどアルトゥールの気持ちを聞いてしまったせいで、なんとなくぎこちない。
アルトゥールはルナリーが聞いていたとは思ってもいないだろうし、普通に接する方がいいに決まっている。しかし、このまま知らんぷりしていていいのだろうか、という思いもあった。
いや、告白されたところで困るのは確かなのだ。ルナリーはアルトゥールの気持ちに応えられないのだから。
それでもアルトゥールの気持ちを知って、ありがとうと伝えられないのは悲しい。アルトゥールも、ルナリーが死んでから『やっぱり伝えておけばよかった』と後悔しないだろうかと気に掛かる。
どうするのが正解なのかはわからない。
だけど、後悔だけは……してほしくないしさせたくないと思った。
部屋の前まで来ると、帰ろうとするアルトゥールの腕をむんずと掴む。
「どうした、ルー」
「ちょっとだけ、いい?」
「ああ、もちろん。なんかあったか?」
引き止めたはいいが、言いにくい。『私のこと、好きなんでしょう』とは。
しかしまごまごしていては、エヴァンダーがお風呂から出てきてしまう。
「あの、私、聞いちゃったの……」
「なにをだ?」
「その、お風呂での、エヴァン様との会話……」
「……」
ルナリーの言葉に、アルトゥールはほんの少し固まった。
「いたのか?」
「うん、すぐ近くに」
「そうか、気づかなかったな。内風呂にいたのかと思ってた」
「ステルスを使ってたの。ルワンティスで教えてもらってて」
「そうか。ルーはあの国でいろんなことができるようになってたもんな」
アルトゥールは笑いながら、いつものように髪をくしゃくしゃと撫でてくれる。
「お風呂でエヴァン様に言ってたことは……本当なのよね……?」
おそるおそる聞くと、アルトゥールは手を戻した。そして真剣な顔で真っ直ぐに蒼い目を向けてくれる。
「知られてんなら隠す意味もねぇな。ああ、俺はルーが好きだ。一人の女性として、愛してる」
真正面から告白されると、ルナリーの耳は急激に熱くなる。わかっていたのに、心臓はどこどこ鳴って破裂しそうだ。
「あの、ありがとう、アル様……私は応えられないけど……」
「わかってる。二人が相思相愛だってのは、俺が一番よく知ってるよ。ちょっと入ってもいいか? なんもしねぇから」
誰もいないが、廊下で話すのは憚られたようだ。ルナリーは頷いて入室を促す。
ベッドを綺麗にしておいてよかったと思った。直したのはエヴァンダーだったが。
中に入ったアルトゥールに椅子を勧めたが、すぐ終わるからと立ったまま話し始めた。
「俺はルーが好きだが、イーヴァとうまくいって良かったと思ってる。本心だからな」
こくんと頷いて見せるとアルトゥールはニッと笑い、闇夜に染まった窓の方を見ながら話し始めた。
「あいつは……イーヴァはすげぇよな。普通、好きな女のためとは言え、自害なんてそうそうできねぇよ。それもルーに苦しむ声を聞かせまいと、一言も漏らさず……」
今思い出しても、エヴァンダーの自決は見事だった。二度と、二度とあんなことがあってはならないが。
「もし俺が巻き戻りのトリガーだったなら、イーヴァに首を刎ねるよう頼んでた。イーヴァだって、俺にそう頼むこともできたはずだ。なのにあいつは、俺に罪悪感を抱かせないために頼むことはなかった……ったく敵わねぇよ、あいつには」
エヴァンダーはアルトゥールにも配慮していたのだと知り、気持ちが込み上げる。
「だからな。俺はイーヴァがルーと結ばれるべきだと思ったし、そうなってくれて良かったと心から思ってんだ」
本心だということは、アルトゥールのスッキリしている顔を見ていればわかる。心から、喜んでくれているということは。
「あいつ以上の男はいねぇ。まぁちょっと考えがズレてたりはするけどな」
「ふふ……そうね」
「イーヴァなら、ルーを幸せに……」
そう言いかけて、アルトゥールは言葉を止めていた。
きっと、残り寿命のことを考えて。
「アル様……私、幸せよ。今まで生きてきた中で、一番」
「……そうか、さすがイーヴァだな」
アルトゥールは蒼い瞳をほんの少し潤ませて、くしゃとルナリー前髪に手を置いた。
「アル様もいるから、だからね」
「ああ、ありがとな」
そう言いながら、さらにわしゃわしゃと頭を撫でてくれる。
大切な二人がいてくれるから、寿命が残り少なくても幸せを感じられるのだ。
「アル様、私を愛してくれてありがとう。本当に本当に、嬉しく思ってる」
「そうか……嬉しいと思ってもらえんなら、それだけで釣りが来る。俺の方こそ、告白させてくれてありがとうな」
「ううん、応えられなくてごめんなさい」
「いい、謝るのはなしだ。俺は妹としてもルーを愛してる。だからこれからは、ずっとルーの兄でいさせてくれ」
「……うん、ありがとうアル様」
「よし」
ぎゅっと兄妹としての抱擁が交わされる。
これからもずっと兄としていてくれるのだと思うと、安心と幸せを感じた。
「じゃあ、そろそろ扉の前にいるやつと代わらないとな」
「え?」
抱擁を解いたアルトゥールが扉を開けると、そこには壁に背をつけたエヴァンダーが立っている。
「……終わりましたか」
「ああ。まったくお前は、お節介が過ぎんだよ」
アルトゥールの言葉にエヴァンダーは壁から背を離し、うっすらと笑みを見せていた。
どういうことだろうかと首を傾げていると、アルトゥールは部屋を出ながらゴッとエヴァンダーの肩を殴るような仕草をしている。
「おかげでスッキリした。あとはお前が思う存分、ルーを甘えさせてやれ」
「そうします」
そう言うと、バトンタッチをするようにエヴァンダーが入ってきて。
パタン、と扉は閉められた。
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