29.想い

「今日はこの町で一泊していこう」


 夕方に着いた町で、アルトゥールが言った。

 これ以上進むと野宿になるし、少し早く着いたところで状況は変わらないからと。

 それよりも疲れを残さないように、万全の状態で決戦に挑むことを優先した形だ。


「ルーとイーヴァは同じ部屋でいいな?」


 改めて問われると恥ずかしかったが、エヴァンダーを見上げると優しく微笑んでくれたのでこっくりと頷く。

 アルトゥールが二部屋とってくれて、すぐに食事をと頼んでくれた。

 隣接しているレストランに移動して座ると、アルトゥールは少し疲れた顔をしている。


「どうしたんですか、アル。この程度で疲れるなんて、あなたらしくない」

「いや最近、ホント夢見が悪くてな……」


 夢見という言葉に、ルナリーは目を向ける。


「夢見がって、もしかして?」

「ああ、なんか知らねぇけど、毎晩ゼアが出てくるんだ。悪夢だぜ、マジで」

「ゼアさんが、毎晩……」

「そんな目で見るな、ルー。ゼアとは誓ってなにもねぇからな」


 どうやら期待感が顔に出てしまっていたらしい。

 だが、なにもないのに毎晩夢に見るというのもおかしな話だ。


「ど、どんな夢を見てるの?」

「わくわくするな。色気のある夢なんかじゃねぇ」

「では、どんな夢なのですか」

「それが、はっきりとは覚えてねぇんだよな……ただずっとゼアに怒鳴られてんだ。理由はわからないんだが……悪夢だろ?」


 夢の中で、ずっとゼアに怒鳴られている……それは確かに悪夢かもしれない。


「ゼアさんとそんなに仲が悪かったの?」

「いや、普通……だったと思うが……」

「無意識に魔石を使っているのでは? 聖女ゼアの夢を見られるようにと」

「いや、どんな無意識だよ。それは絶対にねぇ。でもそのアイデアはいいかもな。別の夢を見られるよう、今日は寝る前に魔石を使ってみるか」


 解決策を見出したアルトゥールは少しほっとしたような様子で、食事を終わらせると部屋へと入っていった。

 ルナリーもエヴァンダーと共に、大きなベッドの置いてある部屋へと足を踏み入れる。


「わ、すごく大きくてきれいな部屋ね。いつもは一人部屋だから、そう感じるだけかな?」

「気を遣ってくれたんですよ、アルは。普段は二人部屋でも狭いですから」

「そう、なんだ……」


 思えば、いつもより装飾品も凝っていて、グレードの高い宿な気がした。旅もこれで終わるのだから、予算を気にしなくていいと思ったのだろう。

 いい思い出を残してほしいというアルトゥールの気遣いが嬉しかった。


「ここ、大浴場があるのよね。私、先にお風呂に入ってこようかな」

「どうせ汗を掻くのですから、あとになさっては?」

「え?」


 驚いてエヴァンダーの顔を見ると、この男らしくうっすらと笑っていて。

 それからたっぷり二時間経ってから、お風呂に入ることとなった。


 浴場は男湯と女湯に分かれていて、内風呂だけでなく外にもある立派なものだ。

 時間的なものなのかシーズン的なものなのか、女湯には誰一人としておらず、ルナリーはいそいそと外の湯に浸かる。

 空には細くて長い三日月が浮かんでいて、周りの星々の煌めく様子がよく見えた。


「なんだ、イーヴァも入ってたのか」


 隣の男湯から声が聞こえた。どうやらアルトゥールもしばらく部屋でゆっくりしていたようだ。


「ええ、まぁ」

「ルーは?」

「今、あちらで入っているはずです」

「そうか」


 アルトゥールのザバンと入る音がする。どうやら声が丸聞こえなことには気づいていないらしい。

 自分が聞いていると思うとゆっくり話せないかもしれないと思い、ルナリーは聖女の力を使って隠密性を高めるステルスを自分に使った。これもルワンティスでゼアに習ったものだ。

 男湯と女湯には隔たりもあるし、ルナリーの存在は気づかれないはずである。


「他に人がいない広い風呂ってのは爽快だな」

「そうですね。いつもは大衆浴場で芋洗い状態か、狭いお風呂で掛かり湯をするくらいですからね」

「たまにはこういう宿もいいだろ」

「えらく奮発しているなと思いましたが」

「まぁ、終わりが近づいてるしな……」


 やはりアルトゥールはルナリーの最期を思って、いい宿をとってくれていたのだ。

 エヴァンダーの返答はなく、ルナリーは静かに月を見上げる。


「ルーの様子はどうだ?」

「そうですね……ご両親との別れの時は、泣いておられましたが。今は普通に過ごせているかと」

「普通? あれは浮かれてんだろ。お前と結ばれて」


 アルトゥールのクックという笑い声が聞こえてくる。そんなに浮かれた様子を見せたつもりはなかったのに、と思うと顔が火照ってきてしまった。


「まぁ……最後にいい思いはさせてやりてぇよな……まだ二十一……いや、二十歳なのによ……」

「だから私にルナリー様を譲ったんですか?」

「まだ言うか、イーヴァ。俺は別に、ルナリーのことは妹としてしか──」

「私の目を誤魔化せるとでも? 明らかにアルの弟妹に対しての扱いとは違っていたでしょう」

「……お前、そういうとこだけは察しがいいよな、まったく」


 否定しないアルトゥールの言葉に、胸がドクンと鳴る。

 ずっと兄だと思っていたし、妹と思われていると思っていたのだ。

 なのに──


「でも譲ったってわけじゃねぇよ。ルーは前からお前のことが好きだったし、お前もルーのことが好きだってわかってた。俺が邪魔する意味はねぇだろ」

「いいんですか、それで。ルナリー様に自分の気持ちも伝えず」

「いい。言っても困らせるだけだしな。俺はルーの良き兄でいるよ。それともなにか、俺が奪ってもいいのか?」

「奪わせませんよ。ルナリー様は私のものです」

「ならもう言うな。それでいいんだ」


 バシャ、と誰かの顔を洗う音が聞こえた。

 この豪快さは、きっとアルトゥールだ。


 意図せず聞いてしまったアルトゥールの本心に、ルナリーはぎゅっと胸を押さえた。

 アルトゥールのことは、もちろん心の底から大好きだ。兄と、して。

 自分の気持ちを抑えてずっと応援してくれていたのかと思うと、心が締め付けられそうになる。

 と同時に、ずっと兄でい続けてくれることに、ルナリーは深い感謝をした。

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