27.最後の朝食

 翌朝、エヴァンダーは先に起きていたようで、ルナリーが目を開けると翡翠の瞳が飛び込んできた。


「おはようございます、ルナリー様」

「おはよう……いつから起きてたの?」

「さっきですよ」


 そう言いながら、額に優しくキスしてくれる。

 ふふっと笑ってルナリーもエヴァンダーの頬へとキスをした。


 着替えて両親と一緒に朝食をとっていると、玄関の扉の叩かれる音が聞こえてくる。

 こんな朝早くに誰だろうと思っていたら、応対したヘレンがアルトゥールを連れて入ってきた。


「ウィンスロー家に行ったら、ルーの家に行ったっきり帰ってこないっつーから、まさかとは思ったが……」

「すみません、色々ありまして」

「アル様、ここに来たということは、もしかして……?」

「ああ、見つかった。急がなくていいから、食事が終わったら出てきてくれ。準備して外で待ってる」


 アルトゥールはウィンスロー家から持ってきたというエヴァンダーの騎士服を渡すと、外に出て行った。

 見つかった、とは、もちろん魔女のことだろう。

 これから魔女と対峙することになる。これが家族と食べる、最後の晩餐……ならぬ朝食になるかもしれない。


「ルナリー……また旅に出なきゃいけないのか?」


 不安そうなグスタフに、ルナリーはなるべく明るい声と笑みで答える。


「ええ、ちょっと長い旅になるかもしれなくて。またしばらく会えなくなるけど、心配しないで!」

「そうか……」


 明らかにがっくりと肩を落としているグスタフを見ると、胸が痛んだ。


「もう、あなたったら……毎度のことじゃないの。いい加減慣れないと」

「うう……」

「そんなことで、ルナリーがお嫁に行ったらどうするのよ。ねぇ?」


 ヘレンがエヴァンダーに同意を求めるように目を向けた。それに慌てたのは、やはりグスタフである。


「よ、嫁!? もう行くのか!!」

「い、行かないわよ、大丈夫だからっ!」

「お前は昔、お父さんと結婚すると言っていたんだぞ!?」

「もう、いつの話よ!」

「しないのか!?」

「親子なんだから、できるわけないでしょ!」


 そんなやりとりをしていると、エヴァンダーが珍しくクスッと笑った。

 目ざとく見つけたグスタフが、グッと強い瞳を向けている。


「君は昨夜、責任を取ると言っていたが……ああ、昨夜もお前たちは……いや、どう責任を取るつもりなんだね、エヴァンダー君」


 なぜだか途中でいきなり落ち込んでいたが、一応最後までピシッと言えたグスタフに、ルナリーはドキドキとしながらエヴァンダーを見上げた。


「もちろん結婚を考えています」


 結婚の言葉に、心臓が爆発するのではないかと思うほどバクンと鳴る。

 エヴァンダーは聞かれたから答えているだけだとわかってはいる。グスタフを安心させるために言ってくれたのだと。

 結婚など、実際には不可能な話なのだから。

 わかっているというのに、心臓のバクバクは収まってくれない。


「く……そうか……」

「ごめんなさいね、父親の気持ちは複雑なのよ」

「うう、ルナリーもそんな年に……」

「ルナリーの花嫁姿を見られるなんて幸せじゃないの。私は今から楽しみだわ!」


 嬉しそうに笑っているヘレンを見ると、胸がしくしくと痛み始める。

 ヘレンがルナリーの花嫁姿を見られることは……ない。


「私、娘の結婚式には、ウェディングドレスを作るのが夢だったのよね! ルナリー、お母さんが作っても構わないかしら?」

「え? え……っと」


 ウェディングドレスの手作り。裁縫好きなヘレンでも、三ヶ月はかかるだろう。

 その頃にはもう、ルナリーはこの世にいない。


「……やっぱりダメよね、ごめんなさい。侯爵令息であるエヴァン君との結婚ですものね。素人が作ったものなんて、恥をかかせちゃうわよね」


 ルナリーが返答できずにいると、ヘレンは寂しそうに……でも笑いながらそう言った。

 着てみたかった。母ヘレンの作ったウェディングドレスで、グスタフとバージンロードを歩き……エヴァンダーとの結婚式を挙げてみたかった。


「侯爵家と言っても私は末弟ですので、問題はありません。作っていただけるのでしたら、ぜひ」

「まぁ、本当?」


 エヴァンダーの言葉に、ヘレンは嬉しそうに顔を輝かせている。


「ルナリーも、私が作ったドレスでも構わない?」

「……うん、嬉しいわ」


 頷いて見せると、ますますヘレンは嬉しそうで。早くも生地はなにがいいか、デザインはどうしようかと考え始めている。

 朝食のスープを飲みながら、ルナリーは未来のヘレンの姿を想像してしまった。


 出来上がったウェディングドレス。いくら待っても帰ってこない娘。

 着られることのないドレスを見ながら、ヘレンは肩を落として暮らすのかもしれない……


「どうしたの、ルナリー。スープ、そんなに噛み締めるほど美味しいかしら?」


 ヘレンの冗談に、ルナリーは、こくっと頷く。


「美味しいわ……お母さんのスープ、またしばらく食べられないかと思うと、ちゃんと味わいたくなっちゃって」

「ふふっ、大袈裟ねぇ。また帰ってきた時に作ってあげるわよ。それはそうと、あなたもこの味が出せるように作り方をちゃんと教えてあげなきゃね。お嫁に行くんだから」

「……うん」


 魔女を早く倒して戻って来られたら、もう一度くらいはこのスープを食べられるかもしれない。

 作りかけのウェディングドレスも、見られるかもしれない。

 これが最後なんて嫌だ。もう一度、両親に会いたい。


「どうしたのよ、二人とも泣いちゃって!」


 気づけば、ルナリーはぽろぽろと涙を流していて、同じくグスタフもなぜか泣いていた。


「うう……ルナリーがもう嫁に……いつでも帰ってきていいんだからなぁ……!」

「戻って来られちゃ困るわよ」

「お父さん……ありがとう、私また戻ってくるから……!」

「なに言ってるの、ルナリーまで」


 立ち上がって抱きしめ合い、わあんとなく夫と娘を見て、「泣き虫なところもそっくりなんだから」とヘレンは笑っている。


「こんな娘だけれど、末永くよろしくお願いしますね、エヴァン君」

「はい、もちろんです」


 末永くどころか、末はあまりにも短すぎて。

 ルナリーはおいおいと泣くグスタフをぎゅうっと抱きしめた。

 どうかもう一度だけでも、生きて両親に会えますように……と。

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