26.遠くない未来の話
お酒を勧めていた父親のグスタフが先に潰れてしまった。
そうとう飲まされていたエヴァンダーも、さすがにふらついている。
帰るのは大変でしょうと、母のヘレンが楽な服を出してきて、「泊まっていったら?」と言ってくれた。
エヴァンダーはどうするべきかとルナリーを見てくれたが、頷いてみせると「お言葉に甘えます」と服を受け取っていた。
そして今、二人はルナリーの部屋でベッドの上に座っている。
この家には余分な部屋やベッドなどないので、同じ部屋になるのは仕方ない。
「エヴァン様、大丈夫?」
「こんなに飲んだのは久しぶりで……」
「私、少しなら解毒できるけど……した方がいい?」
「本当ですか? いつの間に」
「ルワンティスでね、リストさんに治癒や解毒のコツを教えてもらったの。リストさんのようには無理だけど、少しは楽になると思うから」
「じゃあ、お願いします」
ルナリーが治癒の応用である解毒を施すと、エヴァンダーの顔の赤みはいくらか引いていた。
「ありがとうございます、かなり楽になりました」
「よかった。お父さんったらどんどん飲ませるんだから……本当にごめんなさい」
「いえ。仲良くなれたのだと思うと、私も嬉しかったのですよ」
目を細めたかと思うと、そっと頬にキスをしてくれる。
恋人が自分の父親と仲良くしたいと思ってくれていることが、嬉しくてありがたい。
「ルナリー様がどうしてこんなにも優しく素直に育ったのか、その理由がわかりました。私はグスタフさんとヘレンさんに感謝しなければなりませんね」
「ふふっ。私も今日は、エヴァン様がどうしてこんなに素敵な人になったのかわかって、嬉しかった」
「私はバカだとしか言われてませんでしたが」
「そんなことない。エヴァン様も、お姉さまとお兄さまの愛をいっぱい受けてたんだってわかるもの」
「そうでしょうか」
「そうよ、絶対」
ルナリー様がそうおっしゃるなら、そういうことにしておきますとエヴァンダーは少し笑った。
嬉しそうな顔を見ると、こっちまで嬉しくなってしまう。
今日も夜を一緒に過ごせるなんて、思っていなかった。母のヘレンに感謝だ。
頭に手を回されて、ルナリーはキスを受け入れた。温かさに胸が鳴り、そのままベッドへと寝かされる。
髪を優しく撫でてくれるエヴァンダーの翡翠の瞳。覗いてみると、今はルナリーしか映っていない。
だけどいつか。
彼は違う女性をその瞳に映すことになるのだろう。
胸は疼いたが、そうならなくてはいけないとも思った。
エヴァンダーはまだ二十六歳……いや、一年巻き戻って二十五歳なのだ。ルナリーを想って一生を一人で過ごすには、残りの時間が長すぎる。
「……エヴァン様、怒らないで聞いてね」
「なんでしょうか」
「私が死んだあと、いい人がいたら……私のことは気にせず結婚してほしいの」
ルナリーの言葉に、やはりというべきかエヴァンダーはいい顔をしていない。
「……付き合って二日目に言う台詞ではありませんよ、ルナリー様」
「うん……わかってはいるんだけど、ちゃんと言っておきたくて。伝える機会がもうないかもしれないから……」
エヴァンダーはほんの少し瞳を潤めて、なにも言わずにキスをしてくれる。そのあと、ぎゅうっとルナリーを抱きしめてくれた。
「ごめんなさい、エヴァン様」
「謝る必要はありません……私にできることがあるなら、なんでも言ってください」
「もう十分してくれてる……ありがとう」
「グスタフさんとヘレンさんに、寿命のことを話していないようでしたが……」
ルナリーはエヴァンダーの胸の中で、微かに首をこくりと動かす。
「言ってない……言えなくて……」
両親はルナリーが帰るたびに、残り寿命を気にして尋ねてくる。
いつも、まだ五十年以上生きられるから大丈夫だと、心配性の両親に笑って伝えていたのだ。なのにいきなり、寿命は残り数ヶ月もない……だなんて言えるはずもなかった。
「言わなくて……いいのですか」
「言えば、お父さんもお母さんもきっと泣いちゃうわ……国を敵に回してでも、聖女の仕事を二度とさせない剣幕で止められると思う。今は……そういうわけにいかないもの」
「……」
ルナリー、ルナリーといつも甘やかしてくれて、抱きしめてくれた父グスタフ。そんな夫に呆れながらも、やっぱりたくさんの愛情を注いでくれた母ヘレン。
大好きな両親。数えきれないほどのたくさんの思い出。
愛してくれた両親より先に逝かなければいけない事実が、ルナリーに嗚咽を漏れさせる。
「親不幸ね……私……っ」
「ルナリー様……」
親孝行をたくさんしたいと思っていたのに、その前に寿命が尽きてしまうのだ。
そう思うと胸の奥が締め付けられるように苦しくなる。
ひっくとしゃくりあげるルナリーをエヴァンダーがぎゅうっと抱きしめてくれて、その胸を涙で濡らした。
「エヴァン様、お願い……私が死んでも、お父さんとお母さんには隠しておいて……どこか遠くの国で幸せに暮らしてるって……うまく言ってほしいの……」
きっと両親は……特にグスタフは、一人娘が死んだとなると、絶望して生きる気力をなくしてしまうだろう。
もしかしたら娘は死んでいるのではと気づくかもしれない。だけど少しの可能性があるなら、きっと希望を持って生きてくれるはずだから。
「お願い、エヴァン様……」
「……わかりました。他には……他にはないのですか。私にできることは」
エヴァンダーは少し距離をとると、瞳をルナリーに向けてくれた。
揺らぐ翡翠色は美しくて、ルナリーも視界を歪めながら愛する人を見つめる。
「キス、して……昨日のように……」
ルナリーの要望を聞いたエヴァンダーは、ゆっくりと唇を寄せてくれた。
大好きな人たちと、遠からぬ未来に永遠の別れが訪れる。
そう思うと一瞬一瞬が心から大切だと感じて。
ルナリーは甘えるように、何度も何度もエヴァンダーを求めていた。
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