19.カフェ

 ルナリーは目の前にある淡い紫色の飲み物を口に運ぶ。

 爽やかなレモンの酸味と、ラベンダーの芳醇な香りが絶妙に調和し、口の中がすっきりとした。


「けど、どうして歴代の護衛騎士は、新しい聖女や護衛騎士になにも教えてくれなかったのかしら……」


 巻き戻りの力があることや、魔女と戦わなければいけないことを、事前に教えてくれても良かったはずだとルナリーは首を傾げる。


「じゃあ、ルーは言えるか? 魔女はありえないくらい強くて、護衛騎士を死なせて、それで巻き戻りの力を得るんだってよ」

「それは……」

「しかもトリガーは、聖女に愛された方だ。聖女と護衛騎士の関係が出来上がる前にそんなこと言ってみろ。みんな逃げ腰になって魔女に乗っ取られる前にこの国が崩壊しちまうだろ」


 たしかに、とルナリーは頷かざるを得なかった。

 歴代の護衛騎士がなにも言わずにいなくなったのは、言えることがなかったのだろう。


「私たち、陛下に話しちゃったけど……」

「あの王様も一枚噛んでるのかもな。なにも伝えないことが国のためってわかってんだ」

「そっか……」


 国王にもなると、色々思惑があるのかもしれない。あの時エヴァンダーに追求を止めてもらえていてほっとした。


「アル、ひとつ間違っていますよ」


 そのエヴァンダーが、アルトゥールに向けて真っ直ぐに目を向けている。


「あ?」

「トリガーは、聖女に愛されていない方の護衛騎士でしょう」


 ズルッとアルトゥールの体が椅子からずれる。そしてあり得ないものでも見たかのように目を広げて、首を捻った。


「は?? イーヴァ、なんでそう思った????」

「ルナリー様、言ってもよろしいですか?」

「え? ええ……」


 一体なにを? と問う前に、エヴァンダーが言葉を発する。


「ルナリー様は、あなたのことが好きなんですよ、アル!」


 これには思わずルナリーまでもが椅子から滑り落ちそうになった。なにがどうなって、そういうことになっているというのか。


「っぶ!! マジか、イーヴァ! おま……っ」

「本当ですよ。いい加減、気づいてあげたらどうですか」

「ちょ、おま、言う……っぶははは!!」


 アルトゥールは人目も気にせず、ヒーヒー笑い転げてしまった。その気持ちは、わからなくはなかったが。


「ルナリー様のお気持ちを笑うなんて、失礼ですよ」


 こっちはこっちで真剣な顔だ。それがエヴァンダーらしいと言うべきか。


「いや、うん、悪ぃ悪ぃ。ついな……っぶ!」

「アル、いい加減応えてあげたらどうですか」

「応えるもなにも、俺はとっくにルナリーには愛してると伝えてある」


 アルトゥールの言葉に驚いたらしいエヴァンダーが、『本当に?』というようにルナリーの顔を覗き込んできた。

 ルナリーが事実を伝えるべく頷いて見せると、なぜかエヴァンダーは悲しげに笑っている。


「……そう、だったんですか。よかったですね、ルナリー様」


 一体、エヴァンダーは何故そんな顔になっているのだろうか。

 そもそも彼は、ルナリーのエヴァンダーへの気持ちを知っていたはずなのだが。

 どうしていきなり好きな相手はアルトゥールだと勘違いをしたのか、理解できない。


「アルと付き合っていたのなら、早く言ってくださればよかったものを」

「付き合ってないわ。付き合ってたら、キスを拒んだりしないでしょう?」

「キスされそうになって嫌がっていたのは……アルがルワンティスで別の女性と関係を持っていると知って、嫉妬したからでは?」


 なるほど、そこがそうなってこうなったのかと腑に落ちる。

 やれやれというようにアルトゥールは息を吐いていて、彼はコーヒーを飲み干すと立ち上がった。


「さて、俺は魔女の捜索に行ってくる。指揮は俺がとらせてもらうからな。イーヴァはなんか調べるつもりなんだろ? ルーを頼むぞ」

「それは、もちろんですが」

「じゃーな」


 アルトゥールは店員を呼び止め、全員分の支払いを済ませると出て行ってしまった。


「ルナリー様、アルと一緒に行かなくて良かったのですか?」


 まだ勘違いをしているエヴァンダーに、ルナリーは首を振る。


「いいの。だってそばを離れないって誓ってくれたのは、エヴァン様でしょう?」

「……ルナリー様がよろしいのならば、構わないのですが」


 そう言いながらもまだ納得できていないような表情のエヴァンダーに、ルナリーはボソリと呟いた。


「……アル様が私を愛してると言ってくれたのは、兄としてよ……家族愛と同じだわ」

「え?」


 勘違いされたままはなんだか嫌で、つい言ってしまった。

 今度こそ、気持ちがバレてしまっただろうか。そう思うと耳が熱くなる。

 エヴァンダーに負担をかけたくないと思っているのに、やっていることは矛盾してしまう。


「ルナリー様……」

「なに……?」


 なにを言われるのかと、ドキンと胸が鳴った瞬間。


「お顔が真っ赤ですが……お風邪を召されたのでは!?」


 エヴァンダーの心配性が炸裂した。


「風邪なんか引いてないわ。元気そのものよ」

「しかし」

「大丈夫だったら!」


 ぷんっと頬を膨らませて、モモのタルトをフォークでブスッと突き刺す。

 タルト生地に引っかかると、ギュッと押しすぎてカチャリと音をたててしまった。

 タルトは美味しいから好きだが、食べる時に苦労するから外では食べにくい。自分一人ならば、手で引っつかんで食べてしまうのだが、ここは王都でしかもルナリーは聖女だ。やはり外聞は気にしなければならない。

 硬い生地が中々割れてくれず四苦八苦していると、フォークを持ったルナリーの手の上から、エヴァンダーの手が覆いかぶさってきた。

 そのままフォークはエヴァンダーによって前後に動かされ、タルトは綺麗に一口大に分かれる。

 エヴァンダーの手は離れていき、ちらりと横を見上げると、何事もなかったかのように飄々と紅茶を飲んでいた。

 まったくエヴァンダーは本当に過保護だ。そういうところも、好きなのだが。


 ルナリーはモモのタルトを口に運ぶ。桃の果肉の優しい甘さが舌先で広がり、タルトのサクサクとした食感が味蕾を刺激した。思わず笑みが漏れる。

 礼を言ってなかったと再度エヴァンダーを見上げる。今度は目が合って、うっすらと笑みを見せてくれた。


「ありがとう……」

「このくらい、なんとも」

「本当に、甘やかしてくれるんだから」

「愛していますから」


 不意に放たれた言葉に、バックンと心臓が飛び出るかと思った。

 エヴァンダーからの愛している発言は、破壊力が大きすぎる。

 きっと、アルトゥールが愛してると言った影響だろう。こう見えてエヴァンダーは、割と負けず嫌いなところがあるのだ。

 兄として、愛の深さで負けられないとでも思ったに違いない。それでも伝えてくれたことが嬉しかった。

 今なら妹としてサラリと気持ちを伝えられるだろうか。

 心臓を大嵐の雷雲のようにドコドコ鳴らしながら、ルナリーは真っ直ぐにエヴァンダーを見つめる。


「ありがとう、エヴァン様。わた、私も、あい、あいし………けほっ、ごほっ」

「大丈夫ですか? 水を」


 タルト生地が喉に引っかかって、結局はなにも言えずに終わったルナリーであった。

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