17.誓い

 翌朝、エヴァンダーと顔を合わせると、彼はどこかぎこちなかった。


「おはよう、エヴァン様」

「おはようございます、ルナリー様……昨日は大変失礼なことをしてしまい、申し訳ありませんでした。ルナリー様のお気持ちも考えず、浅はかでした……」


 開口一番謝られ、頭を深く下げられてしまう。

 気持ちを考えてくれた上での行動なのは、わかっているというのに。


 ルナリーがエヴァンダーを好きになっていることは、気づいているはずだ。なのに謝るのは、やはり彼にその気はなかったからだろう。

 心は沈んだが、これで良かったのだと思うことにした。

 ルナリーは残り数ヶ月の命なのだ。仮に好きになられても、絶望を与えてしまうだけなのだから。


「エヴァン様……私も思わずきつく言ってしまって、ごめんなさい」

「いいえ、お怒りになるのは当然のこと。どんな罰でも受け入れます」

「ば、罰なんてないわ! いつも通り、普通にしていて。お願い」

「……ありがとうございます」


 そう伝えたというのに、どこがしゅんとしているのが見て取れる。

 喜んでもらえると思ってとった行動がうまくいかず、落ち込んでしまったのだろう。どこまでも真面目な人だ。


 食事を終わらせて宿を出ると、アルトゥールとエヴァンダーが厩舎から馬を連れてきた。

 ルナリーは大抵の場合、エヴァンダーと一緒に騎乗する。

 だが今回、彼は騎乗してもいつものようには手を差し伸べてくれなかった。言外に、アルトゥールの方に乗れと言っているのだろう。

 もちろんそういうこともあるのだが、今のタイミングでそれをされると、ルナリーの心に影が差してしまう。

 一体、どれだけのプライドを傷つけてしまったのだろうか。

 もう二度とエヴァンダーと一緒に馬に乗ることはないのかもしれないと思うと、胸がしくしくと痛む。


「おい、イーヴァ。大事な聖女を忘れてるぞ」


 アルトゥールの言葉に、エヴァンダーは首だけで振り返った。


「忘れてません。アルがお乗せすればいいでしょう」

「そんなに馬の状態が悪いようには見えねぇな。お前が乗せろ」

「アル様、いいの……!」


 無理やりエヴァンダーの方に乗せようとするアルトゥールを、ルナリーは慌てて止めた。


「ルー」

「アル様の方に、乗せてくれる?」

「それはかまわねぇけど……いいのか、それで」


 馬に乗るのにどっちがいいなんてことを言うのは、ただのわがままだ。

 頷くと、アルトゥールはほんの少し息を吐いた後、ニヤリと笑ってルナリーを馬上に引き上げてくれた。


「そういやルー、イーヴァとはキスしたんだって!?」


 唐突に大きな声で聞かれ、ルナリーはぎょっとしながら首だけで振り返ってアルトゥールを見る。

 エヴァンダーは聞かぬふりをしているのか、こちらを向いてはいない。


「なぁなぁ、したんだろ? イーヴァとキス」

「そ、それは、したけど……」

「じゃあ俺としてくれてもいいよな?」

「え、ええっ?」


 手綱を持ったまま後ろから抱きしめられて、ルナリーは体をこわばらせた。

 エヴァンダーとキスしておきながら、アルトゥールは断るなど、不公平となるのだろうか。


「で、でも……」

「いっつもイーヴァの方に乗ってたのは、俺の目を盗んでイチャイチャしてたからだろ?」

「そんなこと、してな……っ」

「ずりぃよな、俺はルーが聖女だから手を出したりはしなかったんだぜ。ああ、ルワンティス女帝国は良かったなぁ。言い寄ってくる女、全員抱きたい放題でよ」


 その言葉にルナリーは首を傾げた。

 アルトゥールは女帝国でシェアされそうになって、子犬のように震えてはいなかっただろうか。

 その後、別々に鍛錬していたから詳しくはわからないが、大勢の女性を相手に好き放題している暇などなかったはずだ。


「あんな毎日を過ごした後だと、もう限界なんだよ」


 大きな手で頬を掴まれ、グイッと顔を上げさせられる。


「ちょ……アル様っ」

「キスくらいいいよな、ルー」

「や……っ」


 がしりと体をロックされて動けない。アルトゥールの唇が迫ってきても、身じろぎする程度が精一杯で。

 キスされてしまう、と目を瞑った瞬間。


「やめろ、アル!」


 そんなエヴァンダーの鋭い声が飛んできた。

 唇が接触する直前で、アルトゥールがぴたりと止まっている。


「なんでだよ? イーヴァはしたんだろ?」

「しましたが……今のルナリー様は嫌がってますから」

「へぇ。じゃあお前の時は嫌がってなかったのか?」

「それ、は……」


 エヴァンダーは少し驚いたよう目を広げて、こちらを見ていた。

 アルトゥールはさっと馬から降りると、手を差し伸べてくれる。降りろ、ということだろう。

 ルナリーはその手を取り、ゆっくりと抱きしめられながら馬から降りた。

 背中をそっとアルトゥールに押されて、エヴァンダーの馬の前までやってくる。


「イーヴァは、嫌がるルーに無理やりキスしたのかと聞いてんだ」

「そんなことをするわけがありません! 私は……して、いいのだと……勘違いを……」

「勘違い、ね」


 クッと笑ったアルトゥールは、ルナリーを置いて自分の馬へと戻っていく。


「他の男に取られるのが嫌なら、手放すような真似すんな、ばーか」


 アルトゥールはひょいと馬に飛び乗ると、そのまま先に行ってしまった。

 ルナリーは馬上のエヴァンダーに目を向けると、口を開く。


「エヴァン様……アル様は行ってしまったし、乗せてもらっても……?」

「もちろん」


 差し出された手を掴むと、優しく引き上げてくれる。

 一瞬、触れるほどに顔が近くなってドキンと胸が鳴った。


「……行ってよろしいですか?」

「ええ……」


 承諾を得たエヴァンダーが、ゆっくりと馬を歩かせ始める。

 安心するはずの定位置は、いつもよりも緊張した。


「あれは、私の勘違い……ですよね……?」


 エヴァンダーが呟くように言った疑問に、ルナリーは気づかないふりをして前を向く。


「……こうして私と密着するのは、嫌ではないですか?」


 その問いには、こくりと頷くことで答えた。

 エヴァンダーの息がほっと吐かれて、ルナリーの耳を掠める。


「もし、嫌だと思うことがあれば、すぐおっしゃってください」

「いやだと……思うこと……」

「なにかありますか?」


 こくんと頷きながら振り返ると、端正なエヴァンダーの顔立ちが少し強張った。


「なんでしょうか」

「もう二度と……」

「え?」

「もう二度と、私の目の前で死なないで……!!」


 エヴァンダーに対する要求など、これ以外になかった。

 もう何度彼を死なせてしまったかわからない。

 こんな風に言われても困るだろうと理解はしていても、伝えずにはいられなかった。


「それと……私のそばから、もう離れないで……」


 もう別行動を取られたり、拒絶されたりするのはいやだ。

 エヴァンダーには最期の瞬間まで、ずっとそばにいてほしい。

 そんなわがままをルナリーはぶちまけてしまった。


「わかりました。もう死にませんし、ルナリー様のおそばを離れたりしません」

「ほんとう……?」

「誓います。必ず」


 翡翠の瞳に見つめられると心の底から安堵した。

 きっとエヴァンダーは約束を守ってくれる、と──


 ルナリーは前を向き、エヴァンダーはゆっくりと馬を歩かせている。

 朝の爽やかな風が頬を撫で、鳥のさえずりが遠くから聞こえてきた。

 馬の足音が小道に響き、小さな宿場町をあとにする。

 朝露が草原を輝かせ、花々が優雅に揺れている中でアルトゥールが待っていた。


「大丈夫そうだな」


 その言葉に、ルナリーは微笑むことで答えてみせる。おそらくは、エヴァンダーも同じだったろう。

 草花が微かにざわめき、遠くの森からはささやかな風の音が聞こえる中、一行は王都へと迷いなく歩みを進め始める。

 ルナリーは後ろから伝わる体温を享受しながら、今ある幸せを噛み締めていた。


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