16.キス

 〝好きです。ルナリー様〟


 エヴァンダーからの、まさかの告白。

 ルナリーの心拍数は一気に跳ね上がり、顔だけでなく耳まで熱くなった。


 何度脳内で思い返しても、今のは確かに愛の告白というもので。


 赤くなっているであろう自分の顔を、好きな人にじっと見られていることが恥ずかしい。

 夕やけのせいにしようと思ったが、言葉が出ずに視線は泳いでしまう。


「あ……えっと……」

「驚かれましたか?」

「と、当然よ……」


 尻すぼみに答えると、エヴァンダーは薄く笑った。


「どうして、急に……」

「急にではありませんよ。私はいつの頃からか……ルナリー様への想いが、妹に対してのそれではないことに気付きました」


 今まで見たことのない柔らかい表情は、ルナリーの体を甘く痺れさせる。

 夕陽が、エヴァンダーの顔を赤く照らしていた。


「ずっと、好きだったんです。迷惑なのはわかっていますが、今伝えておかなければ一生後悔すると思いました。私のわがままを許してください」


 眉を少し下げて謝罪するエヴァンダーを見ると、何故だか泣けてきた。

 ルナリーはエヴァンダーの袖を掴み、ふるふると首を小刻みに横に振る。


「迷惑だなんて……思うわけない。わがままなんかじゃない。私……私は……」


 喉元まで出かかっているというのに、伝えたい気持ちが言葉にならない。

 しかし、好きな人が好きでいてくれていたのだ。なにを我慢する必要があるだろう。


 ルナリーはもう片方の手も伸ばして、エヴァンダーの袖をぎゅっと握った。

 体ごとエヴァンダーの方へと向いた状態となり、彼を見上げる。

 長椅子に腰掛けたまま、エヴァンダーもルナリーの方へ体を向けてくれていて。


「エヴァン様……」


 この気持ちを、ゆっくりとでもいいから伝えよう……そう思っていると、エヴァンダーの顔が徐々に近づいてきていた。

 柔らかい翡翠色の瞳が、ルナリーを虜にする。


「……ルナリー様」


 甘やかな声で囁くように名前を呼ばれた直後。

 気付けば、ルナリーはエヴァンダーにキスされていた。


 先に驚きが感情を支配して、そのあと徐々に喜びが押し寄せてくる。

 まさか、キスをされるとは思ってもいなかった。ルナリーはこれが正真正銘のファーストキスだ。

 ゆっくりと離れて言ったエヴァンダーに目を細められると、心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思うほどに、ドックンドックンと波打っていた。


 太陽はゆっくりと山並みの向こうに沈み、空は少しの夕焼けを残して紫色と混ざり合う。

 風は優しく吹き抜け、木々の葉はささやくように音を立てて踊っていた。夏の花々は優雅に揺れ、甘い香りが鼻先に漂ってくる。

ルナリーの心にもたらされた、穏やかな安らぎ。


 この瞬間が永遠に続くような気がした。

 エヴァンダーのキスが、ルナリーの心に深く刻まれる。


 だが告白だけでなくキスまでするというのは、平時のエヴァンダーであればありえない行動だ。

 どうしてこんなことをするの? という疑問が浮かび、そしてすぐに答えが導かれる。


 きっと彼は、ルナリーの気持ちに気がついたのだ。ルナリーが、エヴァンダーを好きだということに。


 だからエヴァンダーは、自分から告白してくれた。

 ルナリーの残りの少ない命を、意味のあるものにするために。

 キスだって、気づかぬうちにルナリーが物欲しそうな顔をしてしまっていたのだろう。そんな顔を見ては、いやでもせざるを得なかったに違いない。


 ルナリーの喜ぶことを。

 ルナリーの望むことを。


 誰よりも優しい護衛騎士は、叶えようとしてくれているに過ぎなかった。

 エヴァンダーを好きになってしまったばかりに、やりたくもない役目をやらせてしまっている。

 そう思うと申し訳なくて情けなくて、目から涙がぽろぽろとこぼれ始めた。


「……ルナリー様?」


 ルナリーが事実・・に気づいたとは思いもしていないようで、エヴァンダーは不可解そうに顔を覗いてくる。


 このまま気づかないふりをして、死ぬその時までずっと恋人のように振る舞ってもらうのもいいかもしれない。


 そんな考えもよぎったルナリーだったが、最後の最後にエヴァンダーを騙すような真似はしたくないと振り切った。

 少しの間とはいえ、自分のような小娘と恋人関係を演じさせてしまうのは忍びない。


「エヴァン様……もう二度と、こんなことはしないで」


 ルナリーがそう言い放つと、エヴァンダーはぎくりとしたように体を硬直させている。


「……申し訳ありません……つい……」


 エヴァンダーはきっと、身に付いてしまっているほどに優しいのだ。

 息をするように、つい・・相手の望むことを実行してしまっている。自分の意思とはお構いなしに。


「怒ってるわけじゃないの。気持ちはすごく嬉しいけど……私は……」


 エヴァンダーには自分を犠牲にしてほしくない。

 聖女のために身も心も、命でさえも犠牲にしてしまうエヴァンダーは、護衛騎士の鑑だとは思っている。

 だけど、そういう人だからこそ、いつか本当に愛する人と結ばれてほしい。

 ルナリーが聖女だからという理由で、すべてを捧げようとするのは間違っている。


「……アルを、呼んできましょうか」


 エヴァンダーが呟くようにそう言った。

 なぜそんなことを言い出したのかわからないが、キスをしてしまった手前、一緒にいるのは気まずい。

 ルナリーがこくんと頷くと、エヴァンダーが宿に戻って行く。

 そしてすぐにアルトゥールが魔石を光らせながらやってきた。いつの間にか、陽は落ちていた。


「ルー、イーヴァとなにかあったのか?」


 不可解な顔を隠そうともせず、アルトゥールは姿を現すなり聞いてくる。


「どうして、そう思うの……?」

「いや、イーヴァにしては珍しく、泣きそうな顔してたからな……」


 エヴァンダーが泣きそうな顔を。

 思えば、エヴァンダーはいつもほとんど表情が変わらなかった。

 飄々としていて、基本的に真面目な顔をしていて、表情がないわけではないが大きく崩れることはまずない。

 泣き顔だって、四周目の亡くなる直前に流した涙を見たのが初めてだった。


「私が、悪いの」

「なにがあった?」


 アルトゥールは、先ほどまでエヴァンダーが座っていたところへと腰を降ろした。

 隣を見上げると、アルトゥールは〝なんでも兄ちゃんに話してみろ〟といった顔で微笑んでくれている。

 弟妹の多い彼は、きっと家でもそうしているのだろう。ルナリーにいつもしてくれているように。


「エヴァン様に、キス、されたの」

「っぶ! マジか。へぇ、あいつがなぁ」


 ほとんど身内のように思っている人にこんな話をするのは恥ずかしいけれど、他に話せる人はいない。


「それで、ぶん殴りでもしたのか?」

「な、殴ってなんかないわ! もう二度と、こんなことはしないでって言っただけ」

「なんで?」

「なんでって……」


 アルトゥールはさっぱりわからないというように首を傾げている。


「私はもう、数ヶ月の命なのよ? そんな人に優しくする意味なんて、ある?」

「……ルー」


 そんなこと言うなというようにアルトゥールは少し怒った顔をしていて、ルナリーは萎縮した。

 けれどすぐこの男らしく笑い、くしゃくしゃとルナリーの頭を撫でてくれる。


「大切な人には優しくしたいもんだろ! 俺もイーヴァも、ルーには特別優しくしたいし甘やかしてやりたいんだ」

「……二人とも、甘やかしすぎよ……私、どんどんわがままになっちゃう」

「ルーは全然わがままなんかじゃねぇよ。だからどんどん甘えてくれ。その方が俺もイーヴァも嬉しいからな」

「数ヶ月の命なのに?」


 ルナリーの言葉にアルトゥールの顔は歪み、一瞬で悲しみに包まれた。


「だからこそ、だろ」


 その直後、ルナリーはアルトゥールの腕に強く抱きしめられた。

 兄としての抱擁を受けて、ルナリーもぎゅっと抱きしめ返す。


「ごめんな……なんにもしてやれねぇで……」

「そんなことない」

「ルーのこと、誰より愛してるからな」


 アルトゥールの深い愛情。それが全身に伝わってきて、胸がいっぱいになる。

 大切に思われて愛されて、幸せなはずなのに泣けてしまった。


「ありがとう、アル様……」


 しばらくの間そうしてくれたアルトゥールだったが、最後に背中をぽんぽんと叩かれて抱擁は解かれた。そしていつものようにルナリーの頭をくしゃくしゃと撫で、ニッと笑っている。


「一人で抱え込むなよ。俺たちがいる」

「ええ」

「それと、あいつはちょっと暴走が過ぎたみたいだが、反省してるはずだ。許してやってくれるか?」

「あ、えっと、それは別に怒ってるわけじゃないの」


 慌てて両手を振って否定すると、アルトゥールは優しく笑った。


「そうか。嬉しかったんだな。イーヴァとのキスが」


 言葉にされると、驚くほど顔が熱くなる。

 エヴァンダーの感情が伴っていないのが悲しかっただけで、本当は嬉しかったのだ。

 好きな人に唇を奪われた、事実が。


「エヴァン様には言わないで……っ」

「俺からは言わねぇけど……でも、ちゃんと伝えてやれ。な?」


 アルトゥールの言葉に、ルナリーは考えを巡らせた。

 嬉しかったと伝えれば、エヴァンダーはまたして・・くれるだろう。

 嫌な役目をさせてしまうと思うと、申し訳なくて言いたくはない。

 だけれど、死の間際なら許されるだろうか。

 一方的な自己満足あっても、この気持ちを知ってもらえたなら、短い生涯に納得して逝くことができるかもしれない。


「うん……いつか、ちゃんと……」


 ルナリーの言葉にアルトゥールは笑って、〝それでいい〟というようにくしゃくしゃと頭を撫でてくれていた。

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