03.三周目

 ルナリーの体はドクンと大きく震えた。足がもつれるように歩けなくなり、その場に転びそうになる。


「ルナリー様!!」


 エヴァンダーに差し出される手。ルナリーは包まれるように支えられ、転倒を免れた。

 ハッとして顔を上げると、心配そうな顔でエヴァンダーに見つめられる。


「エヴァン様……生き……てる……?」


 先ほど柘榴のように裂かれたはずの胸には、ピシリと着こなされた騎士服があった。

 成功した。また、あの時間に戻ってこられた。七月十日の夜に。


「イーヴァ! よかった……巻き戻った……!」

「なにを言ってるんですか、アルまで」


 アルトゥールの言葉にルナリーは目を向けた。


「アル様……覚えているの?」

「ああ……一緒に巻き戻れたみたいだ」

「二人とも、なにを言ってるんです?」


 一人首を傾げるエヴァンダーに、ルナリーたちは今あったことを話した。

 焚き火を囲み、白湯を飲みながら、星空の下で。


「なるほど。私は死に、ルナリー様はアルと接触して巻き戻りの力を発動したんですね」


 ルナリーとアルトゥールが首肯すると、エヴァンダーは続けた。


「死んだ私に記憶はありませんが、生きていたアルには記憶がある……とすると、一つは生きていること、あとは巻き戻りの際にルナリー様と接触していることが記憶保持の条件かもしれませんね」


 巻き戻りの力の発動時には、エヴァンダーの手も握っていたはずだが、彼には記憶がない。

 おそらくは、その条件で合っているだろう。


「ルナリー様、今のご寿命はわかりますか」

「また九年減ってるわ。天寿を全うしても、四十九歳くらいまでみたい」

「……これ以上は避けてぇな」


 眉間に皺を寄せるアルトゥール。ルナリーもしばし沈黙していたが、ふと思いついて口を開く。


「もう少し時間を遡って、魔女を止めることはできないかしら」


 しかしルナリーの提案に、二人はいい顔をしなかった。


「またルーの寿命が削られちまうだろう」

「どこまで遡れるかもわからないですし、寿命を無駄にする可能性もありますが」

「でも、それでも……」


 寿命を無駄に。それは、このまま続けても同じではないだろうか。

 二人が死んでいく未来を歩むくらいなら。ルナリーは自分の命を削ってでも、過去に戻って瘴気が蔓延る前に魔女を討つ方がいいと思った。


「お願い……このままだと、何度も時間を巻き戻すことになるから……結局は寿命が縮まるだけだと思うの」

「それはそうですが……」


 エヴァンダーが困ったようにアルトゥールの方を見ると、アルトゥールはこくんと頷いてくれる。


「ルーの命を削らせることにはなっちまうが、これで終わらせられるならその方がいい」


 前回の魔女の強さを覚えているアルトゥールは、このまま時を進めても無理だと思ったのだろう。ルナリーの意見に賛同してくれた。

 エヴァンダーも、「アルが言うなら」と納得してくれる。


「二人とも、手を」


 記憶をこのまま持ち越すため、ルナリーは手を差し出した。

 右手にアルトゥール、左手にエヴァンダーが手を乗せてくれる。


「じゃあ……やります」


 二人が頷くのを確認すると同時に、ルナリーは聖女の力を発動……した、はずだった。


「……どうして……?」


 赤いネックレスが光らない。

 聖女の力がなくなってしまったのかと思い、慌てて小さな結界を作ってみる。するとそれはちゃんと発動していた。


「巻き戻らねぇのか?」

「ええ……どうして……?」

「ここが“起点”になっているのかもしれないですね」

「起点?」


 エヴァンダーの離された手は、彼の顎にかけられる。


「ええ。七月十日の今日、これ以上の過去には戻れないということです。それか、なにか巻き戻りをするためのトリガーが足りない可能性もあります」

「トリガー……?」

「俺たちどちらかの、死か」


 アルトゥールが先に答え、エヴァンダーが頷く。

 一回目は二人が、二回目はエヴァンダーが死んだ時に発動したことを思うと、その可能性は高そうだった。


「聖女といえども、簡単に発動できる力ではないんでしょう。生贄というと言い方が悪いですが、ルナリー様の心を揺さぶるなんらかのきっかけが必要なのだと思います」

「じゃあ、巻き戻りは今の時点では使えないのね」

「となると、やっぱり瘴気をどうにかしねぇことには──」

「私が死にましょうか」


 エヴァンダーの言葉に、ルナリーとアルトゥールはギョッと目を向ける。


「なに言ってるの!!」

「なに言ってんだ!!」

「今私が死ぬことで、今以上に時間を巻き戻せるならばそれが最善でしょう?」


 エヴァンダーはそう言ったかと思うと、キンッと獣解体用の短剣を抜いた。


「バカ、やめろ! お前、自分で“起点”がここかもしれないって言ったじゃねぇか!」

「それは可能性の話です。実際やってみなければなんとも」

「数十分巻き戻ったところでお前は無駄死にな上、ルナリーの寿命は九年も意味なく縮まるんだぞ!」

「そうなった時には土下座します」

「そういうことじゃねぇよ!」


 今にも自分の心臓を突き刺しそうなエヴァンダーの短剣を、アルトゥールが取り上げる。それを見てホッと胸を撫で下ろすと同時に、キッとエヴァンダーを睨みつけた。


「エヴァン様」


 ルナリーの出した声はいつもより低く、怒りが滲んでいるのが自分でわかる。


「ルナリーさ……」


 エヴァンダーが聖女の名前を言い終える前に、パンッと乾いた音が闇に響いた。

 ルナリーが人を、しかもエヴァンダーを叩くなど、初めてのことだ。


「二度と……二度と!! こんな真似はしないで!! 自分で命を絶つなんて……なにを考えているの……っ」


 エヴァンダーのことが理解できなかった。

 元々飄々としていて掴みどころのない人物ではあるが、試すために自害するなど、ルナリーには考えられない行動だ。

 エヴァンダーが自分の命を軽んじているように見えて、わなわなと手が震えてしまう。


「ルナリー様」

「なんですか」

「冗談です」

「………………」


 真顔で言われる冗談発言に、ルナリーはガクッと力が抜ける。

 と同時にアルトゥールが怒髪天をつくような怒り声を上げた。


「お前の冗談は、昔から笑えねんだ!!!!」

「そうですか」


 そんなアルトゥールを尻目に、エヴァンダーは自身の懐中時計を取り出して時間を確認し始めた。


「残り、二分……」


 エヴァンダーは時計を見ると、短いため息を吐きながらつぶやいている。


「なにがですか?」

「あと二分で七月十日が終わります」

「それがどうした」

「今からでは、間に合うかどうかわからないということですよ」


 アルトゥールは顔を顰めて「お前は昔からわけわかんねぇ」とぼやき、「それがエヴァン様なのよね」とルナリーは無理やり納得する。

 深夜零時を迎えた瞬間、エヴァンダーは懐中時計をパタンと閉じていて。


「次は止めないでください」


 そんな呟きが、微かにルナリーたちの耳に入った。

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