02.二周目
三人は星空の下、焚き火を囲みながら白湯を飲んだ。
聖女であるルナリーが、この先に起こることすべてを伝え終えていて、二人の騎士は厳しい顔をしている。
「つまり……この瘴気は王都に入り込んだ魔女のせいなんだな。俺とイーヴァは魔女を討伐しに行ったところを返り討ちにされたってことか」
アルトゥールの言葉にこくりとルナリーは頷いた。
ルナリーが直接魔女を見たわけではない。魔女に魅了された騎士たちが操られて、エヴァンダーとアルトゥールを殺したのだ。二人は応戦してたくさんの死体を築いていたが、多勢という力には敵わなかった。
魔女は王妃に取り入っていて、自由に王宮を出入りしていたようだ……というのが、当時のエヴァンダーの情報である。
「最近王妃付きになった侍女がいるという話を聞きました。おそらく、その侍女が魔女だったのでしょう」
「ちょうど結界の張り直しの時期だったんだ。綻びからやられたな。俺たちがやられたなんて、まだ信じられないねぇけど……」
そう言いながらもアルトゥールは、ルナリーの言った未来を信じてくれている。
時間を巻き戻したことを理解し受け入れてくれて、ホッとした。
聖女の仕事は、主に結界を張ることだ。
結界は瘴気を拒み、魔物を遠ざける効果がある。逆に瘴気は魔物を呼び寄せる上、人を蝕んだり、長く瘴気の中にいると魅了の術にかかりやすくなってしまう。
ルナリーの聖女の力は結界を張ることと、ちょっとした治癒ができるくらいだったので、巻き戻りの力があるなんてことは発動するまで知らなかった。
「しかし巻き戻りの力は、一体どれだけの寿命を縮めたんですか」
端正な顔を少し歪め、亜麻色の髪を揺らしながらエヴァンダーが疑問を口にした。
聖女になった日から、自分の寿命がどの程度かわかるようになっている。
力を使うたびに、命が少しずつ削られていることも実感していた。
「九年近く、消えてしまったみたい」
隠していても仕方がない。
ルナリーが正直に伝えると、二人の顔は強張った。
「九年も……!」
「簡単な力ではないと思っていましたが……」
二人の言葉に首肯し、ルナリーは前を向く。
「とにかく、その魔女をどうにかして討たなきゃ」
聖女として選ばれた以上、魔術を使える者を国から排除するのが仕事である。
無害な魔術師ならばともかく、王都の瘴気を見れば有害なのは一目瞭然だ。
「すでに王妃様は魅了されている可能性があるわよね……」
「はい、そのようでした。町では王妃様の奇行を目撃している者もいて、ご病気ではないかと噂されていましたから」
「イーヴァ、瘴気についてはどうだった?」
「我々はルナリー様に加護をいただいているから視認できるだけで、一般人には確認できないようですね。瘴気を毎日吸って操られやすくされているなんて、思ってもないでしょう」
「早急な対策が必要だな」
その対策とは、魔女を倒すことに他ならない。
しかしただ王都に突っ込んでいっては、巻き戻り前と同じ結果に終わってしまうだろう。
まずは瘴気を聖女の力で浄化し、すべて浄化し終えたところで王都に新たな結界を張る。
その上で魔女と戦わなければ、相手のフィールドでは勝ち目がない。生半可な魔女でないことは、二人の死を見てわかった。
王都ごと聖女のフィールドにしてしまう必要があると、三人で計画を立て、日付が変わると朝まで眠った。
翌朝、一行は気取られないように王都へと近づいた。
アルトゥールは国王に謁見して事態を伝えるべく、先に中へと入っている。
ルナリーとエヴァンダーは、人目につかないように日が暮れるのを待って、町の端から浄化を始めた。
一気に消して、一気に結界を張りたいところだったが、思うようにことは運ばない。瘴気が強すぎて、浄化に時間がかかってしまうのだ。この分だと、丸一日はかかってしまうだろう。
「大丈夫ですか、ルナリー様」
馬の手綱を持ち、周りを警戒しながらエヴァンダーが体調を気にしてくれている。
「どれだけ強い魔女なの……目的は、なんなのかしら」
「魔術使いがここまでやるということは、国を乗っ取るつもりなんでしょう。アルが国王陛下との謁見を取り付けると言っていましたが、もしかしたら……」
「……手遅れ?」
「かもしれません」
いつからこんな瘴気が渦巻いているのかわからないが、国王にまでその手が及んでいることは想像に難くない。
ルナリーはゾッとしつつも瘴気を浄化していく。
浄化は夜通し行われて、空が白み始めてからも続けられた。だが、アルトゥールが戻ってくる気配はない。
「エヴァン様、アル様は……」
「わかりません。とにかく今は、瘴気を」
「……はい」
滅多に変わらないエヴァンダーの顔色が、少し青く見えた。
騎士候補生時代から一緒にいるという二人だ。信頼はあっても心配しないはずはない。
しかし、嫌な予感は当たってしまうもので。
ようやく瘴気が少し薄くなり、三分の一を浄化できたと思った瞬間、
「聖女ルナリー。なにヲしていル?」
おかしな言葉遣い。
エヴァンダーがさっと前に立ち、ルナリーを庇ってくれる。
「王妃殿下……」
そこにいたのは、この国の王妃であるメルローズだった。彼女の周りには近衛騎士、それに……
「アル様……!」
近衛騎士に拘束されている、アルトゥールが目に飛び込んでくる。
「逃げろ、ルー! 陛下もすでに、魔女の術中に……うぐっ!!」
ズドンッと嫌な音がして、アルトゥールは、ゴハッと息を吐き出した。
近衛の一人に腹部を殴られたアルトゥールは、苦痛に顔を歪めている。
「アル様!!」
「ルナリー様、行ってはなりません」
今すぐにでも駆け寄りたいルナリーだったが、エヴァンダーに止められてグッと堪える。
「エヴァン様……」
「ルナリー様は、我らの命に換えても必ず守ります」
ゾクリと揺さぶられるほどのエヴァンダーの言葉。ルナリーの体は氷の池に落とされたように硬くなる。
実際に彼らは、ルナリーを守って死んでいったのだ。もうあんな思いはしたくない。二人を死なせたくはない。
「ルナリー。聖女トあろうものガ、帰還の報告もナシに、こんナところでなにをシていると聞いていルのです」
姿や言葉遣いは王妃メルローズそのままだというのに、どこか鳥肌の立つ気持ちの悪い声。
「王妃殿下……私たちは、この王都に瘴気があるので浄化しておりました。私の仕事は結界を張ること。まずは瘴気を浄化しなければ、結界は」
「余計なことはシなくてヨいのだ!!」
ビリッと空気が走り、ルナリーは耐えるように足に力を入れる。
「結界を張らなくてもよい理由をお教えいただけませんか、王妃殿下」
「これからは結界ではナく、瘴気に王都を守らせることに決めらレた」
「瘴気では、魔物を呼び寄せるだけです! 早く浄化しなくては、この王都に魔物が……」
「黙レ!! 聖女とイう称号を得ただけの偽善者メ!」
王妃の叱罵にルナリーの体はビクリと震える。それを支えるように、エヴァンダーがグッと肩を抱き寄せてくれた。
「問答は無駄のようです。すでに王妃様は魔女の思うままかと」
「じゃあ、どうすれば……」
「一度引きましょう。今のままではどうしようもない」
「でも、アル様が……」
「アルも状況はわかっています。ルナリー様の命が最優先だと」
確かに先ほどアルトゥールは逃げろと言った。しかしこのまま置いていけばどうなるか、巻き戻り前のアルトゥールを思い出してルナリーは歯噛みをする。
「あら、逃げる相談かしら……?」
突如後ろから聞こえた妖艶な声。一瞬でエヴァンダーはルナリーを庇うように引き寄せながら、その人物との距離を取った。
体に沿った黒いドレス。片目を隠した長い黒髪。
「魔女……!」
エヴァンダーの言葉に、ルナリーも頷く。
わかる。この女の中に、どす黒い瘴気が渦巻いていることが。
「いやだわぁ、そんな風に言われては。私は、王妃様の侍女よ……?」
「侍女のする格好ではないですね」
「ふふ……だって、侍女の服装ってダサいんですもの」
「根性が曲がっているからではありませんか。その性根、私が叩き直してあげましょう」
すらりとエヴァンダーが刀身を抜き、ルナリーは慌ててエヴァンダーの袖を引っ張った。
「だめ、エヴァン様……ここはまだ瘴気の中。勝ち目はないわ……っ」
「どちらにしろ逃がしてもらえないでしょう。ルナリー様は隙を見てお逃げください。アルもどうにかして助け出します」
「そんな……」
不安になるルナリーに、エヴァンダーは優しく目を細めた。
こんな時にこんな顔ができるとは、大した役者だとルナリーは唇を噛み締める。
「まぁ、か弱い女に剣を向けるなんて、正気なの……?」
「本当にか弱い者ならば、剣など向けま……せんっ!!」
エヴァンダーが土を蹴って目の前の魔女に斬りかかる。しかし魔女はまるで羽のように軽やかに切っ先をひらりと躱した。
二太刀三太刀と浴びせにかかっているが、どれもひらひらと舞うように躱されて魔女を捉えられない。
強靭な魔物を数秒で仕留めるエヴァンダーのこんな姿を見たのは、初めてだった。
「あらやだ、怖いわぁ」
「っく!」
「切り返しの時、隙ができているわよ?」
「なっ! ガッッ!!」
「エヴァン様!!」
あっと思う間もなく。
エヴァンダーの胸からは、
「イーヴァ!!!!」
騎士に拘束されているアルトゥールが暴れるように叫ぶ。
目の前のエヴァンダーが崩れ落ちていくのを、ルナリーは目で追いかけた。
バサリ。
一瞬で倒れたはずのエヴァンダーが、やけにゆっくりと見えて。
仰向けに倒れた口から、かふっと喀血している。
「いや……エヴァン様……っ!!」
「イーヴァ、イーヴァ!! くそ、離せ!!」
「ふふ、いいわよぉ……」
アルトゥールの言葉に魔女はパチンと指を鳴らすと、アルトゥールは近衛騎士から解放された。
「……っな?」
後ろ手に縛られていた縄が斬られて、アルトゥールは自由の身となる。
意図が理解できないアルトゥールは、警戒しながらもルナリーのそばへと走り寄ってくれた。
「ルー!」
「アル様……エヴァン様が……エヴァン様が……っ!!」
なんの武器を使ったのか、目の前で見ていてもわからなかった。
残酷に引き裂かれた胸からは、赤い血肉が剥き出しになっている。
「すみ、ませ……ル……ナリ、さま……」
「エヴァン様、エヴァン様……!!」
「逃、げ……」
エヴァンダーのその先の言葉は、紡がれなかった。
目の光が消えて、虚に口は開かれたまま。
血がドクドクと流れ落ちる。
「……う、そ……」
「イーヴァ……!!」
すでにエヴァンダーは事切れていると理解できても、にわかには信じられない。
ルナリーの体が、自分の意志とは関係なくガクガクと震えた。
また、また死なせてしまった……。
ルナリーの瞳から、つつぅと一筋の涙がこぼれ落ちる。
「ふふふ……美味しい血だわ……私の魔術の源は、若い男の血なの……」
指にかかったエヴァンダーの血を、魔女はペロリと舐めとっている。
そして視線はアルトゥールの方へと向き、彼女は妖艶に笑った。
「あなたも美味しそうだわぁ……殺してあげる」
「どこが侍女だ。本性現しやがって……よくも、イーヴァを!!」
「だめ……だめ、アル様……!!」
「ルー、俺が時間を稼ぐ。その間にルーは逃げ……」
「だめぇ……!」
アルトゥールの方が強いとはいえ、エヴァンダーとほとんど変わりはない。
この瘴気の中でまともにやり合っても、勝ち目がないことは明らかだ。術者の魔術と身体能力は、瘴気の中では何倍にも膨れ上がるのだから。
ルナリーはすでに旅立ってしまったエヴァンダーに目を向けると、その手をぎゅっと握った。
「エヴァン様……!!」
「ルー!」
「アル様、私がどうにかします……!」
そう言って、逆の手でアルトゥールの手を握る。
「まさか」
アルトゥールがなにかを言う前に、ルナリーは聖女の力を解き放った。
ルナリーの赤いネックレスが光り、視界は真っ白に発光していた。
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