巻き戻り聖女 〜命を削るタイムリープは誰がため〜
長岡更紗
01.最初のタイムリープ
「返事をして、アル様……エヴァン様……!!」
王都の真ん中の広場で、二人の護衛騎士がドクンドクンと血を流している。
見るに耐えないその姿に、ルナリーは心臓が破れそうなほどの動悸が止まらない。
何度確認しても、アルトゥールとエヴァンダーの意識は、とうに手放されていて。
「いや……いやああああああああ!!」
ルナリーが二人の遺体を前に叫んだ瞬間。
先代聖女にもらった赤いネックレスが、ルナリーの首元でまばゆい閃光を放った。
***
七月十日は、ルナリーが聖女に選ばれた日だ。
聖女になってから丸五年。
この日もまた、七月の十日だった。
「ルナリー様。王都の様子がおかしい」
聖女専属護衛騎士であるエヴァンダー・ウィンスローが、馬を止めてそう言った。
彼に包まれるようにして同じ馬に乗っているルナリーも、遠くに見える王都を臨む。
まだ昼間だというのに、闇夜を引き連れたような瘴気が王都全体を覆っていた。
「ルーの張った結界はどうしたってんだ……! なんだってあんなことに!」
隣でもう一人の護衛騎士であるアルトゥール・ライトフォードが、険しい顔をして声を上げている。
聖女一行であるこの三名は、半年前に王都を出ていた。各地で聖女の結界を強化して回り、その帰りの出来事だ。
一年のほとんどを旅に費やす聖女は、王都を出る際に魔力を駆使し、寿命を削って結界を張りめぐらす。
通常ならば、魔物や魔法使いや魔女に結界を破られることはないはずだった。
しかし今、現実に結界が破られ、王都には瘴気が満ちてしまっている。
「この半年の間に、王都でなにがあったというの……?」
ルナリーは金色の長い髪を揺らした。
十六の頃から聖女を始めてまだ五年であるが、初めての体験だ。
これほどの巨大で色濃い瘴気は見たことがなく、即座に対処できる範疇を超えていると察してしまった。
「私が未熟なせいで……!」
「ルーのせいじゃねぇ……あんなのは、想定外だ……!」
国王や、王妃は。王都の人たちは無事だろうか。父や母、そして二人の家族は。
ルナリーたちに、焦りと不安が浮かび上がる。
「ルナリー様、私が様子を見て参ります」
「エヴァン様……危険よ」
「ですが、誰かが行かなくては」
生真面目なエヴァンダーの言葉。止めても無駄だと悟ったルナリーは、彼の胸に手を置いた。
「神のご加護を」
人に幕を張るように作られる小さな結界を“加護”と呼ぶ。これも瘴気から身を守ってくれるものだ。
聖女の祈りを受けたエヴァンダーは、翡翠の瞳を柔らかく細めた。
「ありがとうございます、ルナリー様。アル、ルナリー様を頼みます」
「ああ。気をつけろよイーヴァ」
ルナリーの体が、エヴァンダーからアルトゥールに託された。
少し身軽になった馬は、エヴァンダーを乗せて王都に向かって土煙を上げる。
ルナリーは亜麻色の髪をした青年を、慈しみと不安の眼差しで見送った。
「エヴァン様……」
「大丈夫だ、ルー。あいつは優秀だから」
「……ええ」
聖女のルナリーに気軽に話しかけてくれるアルトゥール。
黒髪に宝石のような蒼い目の彼は、いつもルナリーの心を明るく照らしてくれる。
「頼りない聖女でごめんなさい……」
「そんなことねぇよ」
アルトゥールはニッと笑いながらルナリーの頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。
ルナリーが聖女となってから、こんな親しげな態度をとってくれるのは、アルトゥールだけだ。
「さ、今日はここで野宿になる。準備しておこう」
そう言ってテキパキと準備を始めるアルトゥールを、ルナリーは手伝った。
彼はルナリーより六つ年上の二十七歳。五年前、ルナリーが聖女となった時からずっと護衛騎士をしてくれている。
先ほどのエヴァンダーは二十六歳で、ルナリーは護衛の二人に家族以上の信頼を置いていた。
ルナリーが聖女の力を見出されたのは、十六になる少し前のことだ。
先代の聖女に新聖女として選ばれたことでルナリーの世界は一変した。
貴族でもなんでもない一般庶民だったルナリーが、なぜかいきなり登城することになる。そして国王陛下に謁見し、聖女の称号を与えられた。そこにルナリーの意志など関係なかった。
先代聖女はすでに瀕死の状態であり、すぐさま聖女を引き継ぐ儀式が行われたのだ。
ルナリーは赤いネックレスを渡され、その直後に先代聖女は亡くなった。二十三歳だったという。
この国の聖女は短命だ。
長くとも三十代、短い人では十代で命を落とすこともあるという。
聖女の祈りは命を削る。
奇跡を起こすたび、寿命が縮まる。
それを、聖女であるルナリーは力を使うごとに実感していた。
と言っても、先ほどエヴァンダーに施した加護は、ほんの数分に満たない程度の寿命に過ぎない。
さすがに王都の全域ともなると、数ヶ月分の寿命が縮まるのを感じていたが、二十代で儚くなるほどのものではないとルナリーは感じていた。
どうして歴代の聖女はこんなにも短命なのか。他にも理由があるのか。
疑問に思いながらも調べる暇はなく、国中に結界を張って回る毎日が続いている。
そうしなければ、国は魔物や悪意ある魔術使いによって滅ぼされてしまうから。
「……遅いな。エヴァン様……」
パチパチ音を立てる焚き火の前で、ルナリーは一人呟いた。
空はもう星が煌めいていて、いつもならば宿場で眠っている時間だ。
くしゅっと小さなくしゃみをすると、それに気づいたアルトゥールが自分の外套をかけてくれた。
「夏とはいえ、夜は冷えるよな。ごめんな、こんなとこで」
「大丈夫。それより、王都が気になるし……」
「イーヴァは今日中に戻ってくるとは限らないから、もう寝た方がいい。隣にいてやるから」
「……うん」
ルナリーは、隣に座ったアルトゥールにもたれかかるようにして、少し目を瞑った。
体は疲れているけれど、エヴァンダーが心配で眠れはしない。瞑った目から、じんわりと涙が溢れる。
「大丈夫。イーヴァは大丈夫だからな」
アルトゥールに頭を抱えられるように撫でられて、ルナリーはこくんと頷いた。
すぐに泣いてしまう自分が情けない。その度にアルトゥールやエヴァンダーがいつも気にかけてくれることをありがたく思う。
聖女にならなければ、彼らとはまったく接点のない人生を送っていただろう。
アルトゥール・ライトフォードは伯爵家の長子。弟妹が五人もいるせいか、面倒見の良さはピカイチだ。
逆にエヴァンダー・ウィンスローは侯爵家の末弟。姉が二人、兄が一人の四番目だと聞いている。
どちらにしても、貴族である二人と一般庶民であるルナリーとでは、生きる世界が違った。
いきなり聖女に認定されて仕事を押し付けられて、護衛騎士の二人を従える立場になってしまったのだから、正直混乱しかなかったのである。
けれどアルトゥールは明るく、エヴァンダーは優しく接してくれた。
慣れない旅が続いて、何度も音を上げたけれど、そのたびに励ましてくれた。
ルナリーはそんな二人を兄のように慕っている。
瘴気渦巻く王都へと駆けて行ってしまった兄の一人と、王都にいる自身の両親の身を案じる。ルナリーは心配で痛む胸を押さえながら、アルトゥールの側で目を瞑った。
いつの間にか眠っていたようで、気づくと蹄の音がした。偵察に行ったエヴァンダーが戻ってきたのだろうか。アルトゥールが立ち上がり、ルナリーも目を開ける。
懐中時計を見るとまだ夜の十一時で、日付けは変わっていなかった。
「イーヴァ!」
「エヴァン様!」
二人同時に名前を叫ぶように呼ぶと、エヴァンダーは馬から降りた。
「ただいま戻りました、ルナリー様」
「エヴァン様……大丈夫ですか? 王都は、どうなって……」
そう言いながらエヴァンダーに駆け寄った瞬間。
ルナリーの体はドクンと大きく震えた。足がもつれるように歩けなくなり、その場に転びそうになる。
「ルナリー様!!」
エヴァンダーに差し出される手。ルナリーは包まれるように支えられ、転倒を免れた。
ルナリーが顔を上げると、心配そうな顔でエヴァンダーが見つめている。
「エヴァン様……生き……てる……?」
その顔を見ると一気に安心して、ぽろりとルナリーの目から涙がこぼれ落ちた。
「ルナリー様、大袈裟ですよ。偵察に行って、死ぬようなヘマはしません」
「アル様も、生きてる……!」
「ルー? 一体、なにを……」
ルナリーは胸にある赤いネックレスを見ると、ほのかに光っている。聖女の力を使った証だ。
先ほどまでルナリーは、
「戻ったんだわ……時間が、巻き戻ってる……!」
「……ルナリー様?」
わけがわからないと言ったように眉を顰めるエヴァンダーとアルトゥールに、ルナリーはぎゅっとしがみついた。
「エヴァン様、アル様……!! 生きていて……よかった……!!」
「どうしたんだ、ルー。怖い夢でも見たのか?」
「私はそう簡単に死んだりしませんよ」
夢じゃない。
エヴァンダーもアルトゥールも、確実に死んでいた。
「ルー」
「ルナリー様?」
「……聞いて、二人とも……信じられないかもしれないけど、私、二人が死んだ未来から戻ってきたの……」
ルナリーの言葉に、エヴァンダーもアルトゥールも体をこわばらせていた。
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