応援コメント

そして何億何千何百何十何回目かの朝が来る。」への応援コメント


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     いくら理論上の発明をしたり、今まで誰も解けなかった数式を解明出来ても、来たるべき災害を回避する方法は見つからない。
     一個人だけが時間の狭間にちょいと引っかかった事象よりも、あの災害は星としての運命という、避けることの出来ないくらいの大きなエネルギーだったのかもしれませんね。
     だからこそ方法が見つからないのかも。

     自分が同じ立場になったらどうしよう……と考えさせられました。
     自分だったらそんな重い十字架を背負う可能性が、目の前にぶら下がっていると考えるだけでメンタルやられます。

     ダメ元で匿名でSNSに予言を打ち上げて、自分のまわりの人だけを無理やりにでも避難させるしかないのかな……(;´・ω・)
     どうせ信じてもらえないだろうし、ヘタすれば運命を変えようとしたことで自分も逃げられない状況になるかもしれませんからねえ。

     後から文句を言う奴は必ず出てきます。
     かの小松左京さんも『日本沈没』を書いたばかりにその前の大地震が起きた際、『こんなのが書けるんだから、本当はこの地震も予測出来たんじゃないのか?! なんで警告しなかったんだ!』とあらぬ誹謗中傷に心を痛められたそうですし……💧
     たとえ被災してやり切れない怒りに駆られていたとしても、私としてはそんなはき違えた輩はふざけんな!っていう感じです。
     
     たった3人、されど0よりマシ。たとえ身内だけでも大切な命ですから。
     それに天災自体を防ぐことは出来なくても、被害人数を減らす事は出来るかも。
     その方法を思いつくことが彼女の使命なのかもしれないと思いました。
     案外そんな人達がこの一日に、ほかにもいるのかもと。

     まずは安心して家族に愛してると言える日が来るといいですね。


     追伸:

     同感です。私もその大変な経験を悲観のタネにするだけでなく、どうしたらいいのかと考えるキッカケに表現するのは生かすことだと思います。

    作者からの返信

    ご返信が遅くなってすみません。
    読んでいただきありがとうございます。10代の子どもに大きなものを背負わせ過ぎたとかなり自分でも反省するとともに、大災害で一瞬で家族を失ったり、自分も命を失ったりした人が大勢いて、今も能登で大雨が降って大変なことになっていて、やりきれない気持ちになります。
    自分も洪水から始まる物語を思いつくことが度々あり、それは多分自分が泳げないから人一倍恐怖が大きいことに由来している気もするのですが、いざ書こうとして「いや今はこんなこと書いていい時期じゃないか」と諦めたり、諦めなかったり。
    もはやこの国では、自然災害の物語を躊躇いなく書くこと、特にエンタメ化は不可能になっていますが、まったく書かないというのも単に悲しい出来事から目を背けているような気がして、特に自分のように幸いにもこれまで大きな被害もなく生きている人間は、都合よく忘れてしまわないようにしなければならないのではないかと思います。


  • 編集済

    良かったです。
    ループものは自分の好物の一つです。

    ただ、自分はエンタメ色が強いループものが好きなのであって、最初311と絡めるのはどうなんだ(安易に良かったとは述べづらい。センシティブじゃないか)との危惧も抱きました。

    それでも★3を付けさせていただいたのは、「終わらない走馬灯」という慰めが自分には優しく映ったからです。
    考えさせられる良い創作でした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ご指摘の点、自分も迷うところはありました。こういう話を書けるのは、自分や家族があの時ほとんど被害を受けなかったからではないのかと。

    ですが、センシティブだからと誰も語らなくなったら、忘れてしまう人が多くなるのではないかとも思いました。あれから10年以上の年月が流れ、事故を起こした原発の廃炉はまだほど遠い状況ですが、3月10日という日付を目にして、ああ、あの日の前日かとすぐに気づく人はどのぐらいいるのだろう、とも。

    当たり前の生活が突然奪われるというのは戦争も同じで、ガザのニュースなどを聞いたせいもあったかもしれません(ガザの人々は、元々そんな平穏な日々を送っていたわけではありませんが)。

    長々と言い訳してしまいました。やっぱり、自分でも後ろ暗いところがあるようです。それでも、読んでいただきありがとうございました。

    誤字も修正いたしました。大変助かります。ありがとうございました。