第6話 もしや君は本当に

 オートドアが静かに開いた音に、男は読み物から顔を上げた。


「お帰り、トール」


「ただいま戻りました、マスター」


 笑みを浮かべて、トールは返事をした。


「何かご用事はありますか」


「いいや、大丈夫だよ。店頭にいてくれ」


「はい、マスター」


 うなずいてトールは、店番を交代しようといつもの位置に向かった。


 だがその途中で、少年はぴたりと足をとめる。


「マスター」


「うん?」


「ミスタ・ギャラガーに会いました」


「へえ? どうしてまた」


「この付近にいた理由はうかがいませんでしたが、イースト・エンド社の式典に向かうところだとか。スピーチをするそうですよ」


「へえ」


 あまり気のない様子で、〈クレイフィザ〉の店主は返した。


「たまにはパーティの類にも出てくるように、とのご伝言です」


「ふうん」


 やはり彼は、気のない様子で受け流した。


「偶然、会ったの?」


「ええ。ミスタ・ギャラガーが僕を見つけて、車をとめると話しかけてきて」


「彼はロイド・フェティシストだそうだから。気をつけてねトール」


 笑みもしないでマスターが言うので、トールは困惑した。


「……あの。それは冗談ですよね、マスター」


「シャロンが言っていたし、サンディ溺愛の態度を見れば誰でも、さもありなんと思うよ」


「その様子は僕も見ましたよ、マスター」


「そうだったね」


 なら判るだろう、と店主は言った。


「ええと、シャロンがそんなふうに言ったのなら、それは一種の冗談と言うか、動揺していて人目をはばからなかった彼女のマスターをフォローと言うか、娘さんを案じる彼の様子にマスターが引かないようにと言っただけだと思いますけど」


 ロイド・フェティシストというのは本来、ロイドに性的な欲望を覚える嗜好の持ち主を言う。だが、もっと軽い調子で、単なる「ロイド好き」をそう言うことも普通だ。シャロンは後者の意味で使ったのではないかとトールは考えた。


「自作ロイドを『子供のように思う』『娘のように可愛がる』ことと、フェティシストの愛情は似て非なるものだね、トール」


「厳密に言うなら、仰る通りです」


「何かされなかった?」


「何をされるって言うんですかっ」


 トールは思わず、悲鳴のような声を発した。


「以前、いきなり君の顔に触っただろう。それ以上の行為に出なかったかと」


「だから何ですか、それ以上の行為ってのはっ」


 彼から見れば、ギャラガーは彼のマスターと同じタイプだ。マスターはギャラガーほど顕著ではないが、『嫁』に出す、いや、出した『娘』たちのこともとても大事に思っていることはよく知っている。


 ギャラガーの愛情も、そういうものだ。だから、ギャラガーがトールに「何か」することなどない。はずである。


「車に乗れなんて誘われなかったかい」


「……誘われましたけど。送ってくれるということで、決しておかしなことでは。もっとも、まだ戻るには早かったので断りましたが」


「そう。安心した」


 店主の言葉に、トールは頭をかいた。


「ええと。ミスタ・ギャラガーは娘さんたちを大切にしてるだけで、フェティシストとは違うと思いますし、仮にそうであったとしても、僕は彼の好みじゃないと思います」


 サンディ。シャロン。トールが実際に見たのはその二体だけだが、以前のコンテストの立体動画を見てみても印象は同じ。ギャラガーの作るリンツェロイドは美女ぞろいだ。


 たいていのリンツェロイドは美男美女だが――〈クレイフィザ〉の「従業員」は「人並み」であるものの、販売品は女優のように美しい――製作者によって、傾向が現れる。


 単純に、「見た目」の話においても、肌や髪、瞳の色などすぐに判る差異がある。パーツの大きさや位置で顔の印象が全く変わってしまうのは、古くから存在する人形作りと同じだ。清楚なタイプ、妖艶なタイプ、可憐な、おしとやかな、温かみのある等々、製作者のイメージがロイドの顔に表れる。一流のロイド・クリエイターには、センスも重要だ。


 スリーサイズのバランス、身長、その他いろいろ。依頼主のオーダーもあるが、最終的にはクリエイターの趣味が出る。


 ギャラガーのリンツェロイドは「理知的」という印象だ。


 トールはそんな話をしたが、マスターはあまり聞いていなかったようだった。


「ミスタ・ギャラガーはいささか危険なんじゃないかと思っていた。やはりか。君を車に載せてどうするつもりだったのか」


「送ってくれようとしただけですって。シャロンだって、同乗していましたし」


「それはまた新しいね」


 マスターはかすかに笑んだ。


「はい?」


 トールは目をしばたたいた。


「年上の女性と、年若い少年の絡み。これだけなら定番のひとつだけれど、ロイド同士でというのは新境地じゃないかな。リンツェロイドはたいてい女性体だし、絡むとすれば人間の男、場合によっては人間、機械関わりなく女で」


「マスターっ」


 いい加減にしてくださいとトールは机を叩いた。


「僕のことはどう言おうと一向にかまいませんけどね。いまの言いようはシャロンへの侮辱にもなります。自重してください」


「おや」


「何です」


「もしや君は本当にシャロンのこと」


 店主はそこで沈黙した。


「……そこで言葉を切らないでもらえますか」


 台詞の続きは明らかだが、きちんと言ってもらえないと反駁するタイミングを逸する。


「ごめんね」


「えっ」


 突然謝られて、少年は慌てた。


「な、何ですか。何を……」


「リンツェロイドに心なんて、ないのにね。私はいま、まるで逆のことを言っていたようじゃなかったかい?」


「マスタ……」


 彼の主人が何を言いたいのか、トールにはさっぱり判らなかった。


「――ええ、ないです」


 ただ、彼はうなずいた。


「ですから、もしマスターが僕をシャロンへの恋に悩ませたいのだったら、そういうプログラムを書いてもらわないと」


「そうだね」


「あの」


 彼はまさかと思った。


「いまの『そうだね』って言うのは」


「書こうか。という意味じゃないから、心配しなくていい」


「よ、よかったです」


 ライオットは興味があるなどと言っていたが、トールには、ない。


 それはつまり、マスターが、ないように作っているということだ。


 トールの「創造主」は、そんなことくらい百も承知のはずである。


「あの、マスター」


「何だい」


「……コーヒー、淹れますか」


 不意にトールは、彼のマスターが疲れているように見えた。


「――いや」


 店主は首を振った。


「いまは、いい。有難う、トール。店番を頼むよ」


「はい、マスター」


 何か変だな、とトールは「考えた」。


 彼のマスターは、普段から、いささか変である。だが今日の様子は、いつもとも違って――。

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