第2話 万一のことがあったら

 初めて会ったのは一ヶ月半ほど前。ちょっとした事件のときだった。あのときは喪服のような黒スーツにぼさぼさ頭、無精髭という「服は用意したが身支度は間に合わなかった」と言えそうな格好をしていたギャラガーだが、あれはとにかく〈サンディ〉の無事を確かめたかったからだったのだろう。


 と言うのも、今日のギャラガーは髪をきれいになでつけ、明るめのグレーのスーツを身につけて、髭も剃っているからだ。高級車の後部座席に乗っていて、何もおかしくな出で立ちである。


 おかげでトールは人物データベースの検索に、一瞬だけ余計な時間がかかった。


「リンツはどこにいる?」


 きょろきょろ周囲を見回しながら、ギャラガーは尋ねた。「リンツ」というのは〈クレイフィザ〉店主の姓だ。


「店ですが」


「何。お前さん、ひとりか?」


「ええ」


「何」


 ギャラガーは渋面を作った。


「放し飼いか」


「僕は犬じゃないんですけど」


 トールも似たような表情を浮かべた。


「何してるんだ? こんなとこで」


「散歩です」


 答えれば、ギャラガーは口をぽかんと開けた。


「散歩?」


「ええ」


 散歩ですとトールは繰り返した。ギャラガーはぷっと笑った。


「そりゃ、いい。最高だ」


「そうですか」


 ギャラガーは彼の「正体」を知っている、数少ない人間のひとりだ。機械が散歩なんて馬鹿げていると思うのだろうかとトールは考えてみたが、そうではなさそうだった。


 このギャラガーは、彼のマスターと同じかそれ以上に、彼らロイドを人間のごとく扱うタイプだ。嘲笑ったのではなく、ただ可笑しかったのだろうとトールは判定した。犬のように「放し飼い」などと言ったあとに「散歩」という言葉がきたから余計、可笑しかったのかもしれないと。


「だが、ひとりとは」


 ギャラガーは笑いを消した。


「大胆な奴だな。万一のことがあったらどうするんだ」


「万一って何です」


「だから」


 男はあごを撫でた。


「たとえば、誘拐とか」


「〈カットオフ〉の美人ロイドじゃないんですから、誘拐なんてされませんよ」


 顔をしかめてトールは言った。


「判らんぞ。世の中には変態がいる。お前、けっこう可愛い顔してるからな。くれぐれも気をつけろよ。美女から小遣いをやると言われてもついていくなよ」


「行きませんよ」


「女だけじゃない、男にも気をつけろ。あからさまに怪しい奴だけが変態じゃない。びしっとスーツを着込んだヤバいのもいるからな」


「肝に命じます」


 苦笑しながらトールは返した。ギャラガーのこれはおそらく冗談だろう。


「それから」


 車の奥から声がした。


「ギャラガーのようなタイプも要注意です、トール。親切顔の裏では、何を考えているか判らない」


「……シャロン。お前な。仮にも雇い主に何を言うんだ」


 〈カットオフ〉工房主は、彼の秘書兼助手を振り返った。


「私は『ギャラガーが要注意人物だ』などとは言っていません。『ほかは危ないが自分は大丈夫だ』と言う人間が本当に大丈夫だとは限らないと言っているだけです」


 冷静な声でシャロンは返した。トールは笑った。


「どうも。こんにちは、シャロン」


「こんにちは、トール。私からも忠告します。ひとり歩きはよろしくない」


「僕、子供じゃないですよ」


 彼は苦笑いを浮かべた。


「行ってせいぜい、十歳じゃないのか」


 ギャラガーが茶化した。


「六歳ですよ」


 トールは肩をすくめた。


「でもそういうことを言うなら、シャロンだって」


「そうですね。私もたった一歳半です、ギャラガー」


 シャロンもまた、リンツェロイドだ。本来ならば彼らはヒト型使役機械であることを明確にするため、手首に個体識別番号を刻まれていなければならない。そして、爪のない指先を持っていなくてはならない。


 だがトールやシャロンの手首にナンバーはなく、彼らの指先には爪がある。


 簡潔に言って、これは違法だ。


 だが、彼らのマスターたちは法に背いて、人間と誤認され得るリンツェロイドを使っている。


「六歳か」


 ギャラガーは両腕を組んだ。


「そうするといつぞやの、LJの1.2を使ってるってのは、ジョークじゃないんだな?」


「あ……ええ。はい」


 もごもごとトールは答えた。


「本当です」


「何を考えてんだ、リンツは? 出たてほやほやの新ヴァージョンを警戒するのは判らんでもないが、いまは5だって文句なく安定してる。だいたい、1.2だあ?」


「僕には、判りません」


 トールは呟いた。


「でも、僕のヴァージョンアップはしない。それがマスターの方針ですから」


「ギャラガー」


 シャロンがまた彼女のマスターを呼んだ。


「街なかでそうした話は」


「誰もいない」


「油断は癖になります」


「はいはい、そうだな」


 ギャラガーはひらひらと手を振った。


「トール。そのこともあって、私は思うのです。あなたはミスタ・リンツから離れるべきではない」


 彼女の声は真剣だった。もっとも、彼女のふざけた調子など、トールは聞いたことがないが。


「先日の事件を耳にしていませんか」


「……もしかして、フラン・シティの?」


「ええ。とある団体の暴走」


 ニュースに上がったのは、三日前のことだ。アルファ都市のひとつであるフラン・シティで、リンツェロイドをはじめとする各種アンドロイドの使用反対を叫ぶ団体が、大きな工房を襲撃し、稼働中も未稼働もお構いなしに「彼ら」をみんな破壊して回ったと言う。


 警護ロイドなどの特殊なものを除いて、ロイドたちは人間に逆らわないようにできている。自らの身を守ることは可能だが、人間を傷つけることはできない。もとより、普通に殴られたり蹴られたりする程度なら衝撃に耐えればいいだけだが、鉄パイプで叩き壊されては、自衛もできはしない。


「――怖い話ですけど、ここではそれほど過激な反活動はないですよ」


「いまのところは。ですが、物事には『最初』があるものです、トール」


「それは、そうですけれど……」


「怖がらせるなよ、シャロン」


 シャロンのマスターは顔をしかめた。


「事実です」


 淡々とシャロンは返した。

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