第3話 言わんでいい
「怖がった訳じゃないですよ」
トールは手を振った。
「有難う。気をつけます」
「それがいい」
ギャラガーはうなずいた。
「あの、ええと」
トールは曖昧に笑みを浮かべた。
「すごいですね」
「何が」
「この車。出たばかりでしょう」
彼は思っていたことを言った。話題を換えるためでもあった。
「ああ、これか。たまたまだ。前のがぼろくなってきたからな」
「ええ? そうは見えませんでしたよ」
以前のことを思い出す。ギャラガーがシャロンと乗り付けた車は、やはり高級車と言われる類であった上、とてもきれいにされていた。
「ああ、〈クレイフィザ〉に乗りつけたのは、もうちょい、いい車種さ。礼儀ってもんもある」
「……何台、お持ちなんですか」
「うん? どうだったかな。シャロン」
「いまは五台です」
「だそうだ」
「……すごいですね」
トールはまた言った。
「儲かってるんですね、〈カットオフ〉って」
「何を言ってんだ。リンツだって持ってんだろ? 車の二台や三台」
「ありませんよ!〈クレイフィザ〉の帳簿は赤い数字の方が多いんですから!」
思わずトールは悲鳴のような声を上げた。
「うちにはボロ車が一台です。マスターも車のメンテはできませんし、興味もないのでほったらかしですけど」
あれ動くのかな、とトールは呟いた。たいていの用事は公共機関のシャトルやアルファロード、及びハイヤーで済むこともあって、もうずっと動かしていないのだ。
畑違いを承知でライオットに見てもらおうかと彼は思った。自動車もリンツェロイドも搭載しているのは核融合エンジンなのだから少しは判ることもあるかもしれないし、動かない車だと判れば一緒に移転することもない。
そうしよう、と彼はジョブリストに一行を書き加えた。
「赤字だって? んな、阿呆な」
ギャラガーは口を開けた。
「本当です。マスターがもう少し、お金儲けに興味を持ってくれたらいいんですけど」
助手兼庶務は息を吐いた。
「……まあ、リンツが本気出したら、こんな町の片隅で静かに過ごしちゃいられないだろうが、な」
ギャラガーはじろじろとトールを見た。リンツロイドは、居心地悪そうに身体を動かした。
「まあ、いい。乗れよ。送る」
〈カットオフ〉の主人はドアを開けようとした。
「あ、いえ、けっこうです」
トールは素早く手を振った。
「遠慮するな」
にっと笑ってからギャラガーは、うん?――と呟いた。
「まさか、俺に『気をつけて』るのか?」
「違いますよ」
少年はまた苦笑した。
「『一時間ほど出てくるように』というマスターの命令なんです」
「はあ?」
「ですから、まだ帰れないんです。あと三十分ほど」
正確には二十五分と四十七・七秒。トールは時刻を確認した。
「何で、また」
「たまに、あるんです」
トールは言った。
「答えになってない」
ギャラガーは首を振った。
「でも僕には判らないことです。マスターが教えてくれない以上」
「むう」
彼はうなった。
「おかしな奴だとは思ってるが、ますます判らんな。『たまには店の外の空気を吸ってこい』とでも言いたいのか?」
「さあ、どうでしょう」
判らないとトールは繰り返した。
「ギャラガー。そろそろ行きませんと」
シャロンが口を挟んだ。
「うん?」
「早めに到着して、最終打ち合わせをする予定になっています」
「ああ、そうだったそうだった」
ギャラガーはひざを叩いた。
「すまんな。そう言えばこれからイースト・エンド社の式典があるんだ。慣れないスピーチなんざ頼まれちまってな。やっぱり、送れん」
「ちっともかまいません」
笑みを浮かべてトールは答えた。
「じゃあな、トール。リンツによろしく……いや、言わんでいい」
「いいんですか?」
「別によろしくする理由もない。まあ、機会があればまた会おう」
「伝えます」
「また会いたいのはお前さんだよ、トール君。あの野郎は人の神経を逆撫でするが、君はそうじゃない。あいつの息子とは思えんな」
「はあ」
トールは目をぱちくりとさせた。
「でもミスタ・ギャラガーが〈クレイフィザ〉にいらっしゃらない限り、なかなか機会はないと思います。こんな偶然もそうそうないでしょうし」
「リンツが出てくりゃいいのさ。たまにはパーティの類に顔を見せろと言っておけ」
「伝えます」
今度は間違いなくマスターへの伝言である、とトールはこっくりうなずいた。
じゃあな、とギャラガーはまた言って片手を上げ、窓を閉めた。トールはお辞儀をしてその場でギャラガー号が去るのを見送った。
(ミスタ・ギャラガー)
彼は自らの人物データベースにアクセスした。
(何だかんだ言いつつ、うちのマスターが好き)
備考欄にメモを加えると、少年は再び〈クレイフィザ〉への道を採った。
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