第2話 ゆらぎの中に生きる少女。

 ➖ジメジメしている➖

 私ー佐藤かつ子ーはそう感じた。20歳。北海道から上京した私は、何とか伝を使って、私の母方の叔父にあたる、森家に行こうとしていた。森家はもともと、岩手から、宮城、仙台あたりに広がった名もなき一族だった。母の父、つまり、私にとってはお祖父様が北海道に来たのは、明治も終わり、大正時代に差し掛かろうとする時代だった。岩手では食えない、口減しに北海道に、と、私のお祖父様は移った。そこで生まれたのが、母と叔父と叔母にあたる3人だ。母は、商家の出だった。 


 母がどのようにして、父と出会ったのかは知らない。


 そして、戦争があり、私は昭和11年に生まれた。戦争がおわるのが昭和20年だから、私は、何が分からず、ーただ、大人達が、必死だったらみたいだー幼少期を過ごした。ただ、口ずさんでいたのが軍歌であった。私にはわけが分からない歳だった。


 国民小学校が、名前が変わり、そして、私は戦後の混乱期をなんとか生かさせて貰った。食うや食わず、ではなく、食べれる事ができた。農家だったからだ。ただ、服装は如何ともし難い。女性はもんぺ。着られれば、それで良かった。戦後は洋服が手に入ることになるが、私達はそうゆう歳ではなく、和服を着させられていた。ー今思うと有難いのだがー

 さて、私は兄、次兄、姉、次女(私)、弟2人の、10人家族として生まれたわけだが、次兄は戦死、父は軍服を着て逝ってしまった次兄をどう思った事だろう。私達家族は、生前の父には感謝していた。父はその後、昭和の中頃まで生きた。当時の父の写真はない。昭和の写真だけある。が、実際には若かった父は、変わらないとしか思わなかった。ただ、兄に似ている私は思っている。母と兄、姉が養ってくれた。次女である、私は厳しくは躾けられなかってた、と、兄は言う。私にしてみれば、無口な父だった。いつも着ざらしの服を着て、黙々と農作業をしていた。

 話を元に戻そう。

 昭和31年、私は上京する。私は20歳になっていた。


 囲炉裏があった、その家を後にする訳だが、父方のお祖父様、父、母、11人家族のその家は、見窄らしく感じ、父方のお祖父様も、私が生まれた時に亡くなっており、囲炉裏があったであろう居間は、囲炉裏を塞ぎ、また、私はお祖父様の顔を知らない。写真もない。父と似ている、と皆言うだけである。


 私の当時の服装は、正にお上りさん。まるで東京を知らなかった。暑いだろう、と思い、薄手のシャツにカーディガン。ひらひらのスカートを穿いて、下着は意識して、上等な物を揃えた。当時、なんの情報もない。東京、と聞いて、暑けりゃ、このぐらいだろう、と思い、簡単な服装を選んだ。今で言う、女子力を駆使して。肩にだっこちゃん人形をつけて、髪をカーラーで巻いて、青函連絡船に乗り、本州、東京を目指す。


 私は当時は、自分は勝手に、モガ(モダンガール)と思っていた。


 叔父は東京にいる、と、知って、是が非でも行く、と思ったいた。

 が、当日の東京は、雨が降り、雷が鳴り、私は神にたたられた、と、感じた。


ー田舎者には分からない…ー


 よその街の中、私は濡れ鼠になって、叔父を探した。叔父と会うのは、新宿だった。噂されていた街、東京、新宿。誰もが、一度は見てみたいと思う街だ。何か活気付いたものがある。御苑なるところはどこだ? 東京大学は? 私の気持ちが上がりまくっていた。


 私は彷徨い歩きたくなる衝動を抑えて、駅のプラットフォームにいた。

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