第2話 コースオフィシャル

 健は、コースオフィシャルとして働いている。コースサイドでフラッグを振る仕事だ。事故があるとイエローやグリーンのフラッグを振らなければならない。

 全日本ロードレースの朝は早い。6時半に集合だ。朝のミーティングを終えて、ポスト(箱)と言われるコースサイドに建っている小屋に移動する。今日は9番ポスト(箱)だ。相棒は西田さん。女性のポスト主任(箱長)だ。走り出しは8時からなので、それまでに備品整理や無線チェック、そしてコース整備を行う。

 まずは、消火器を所定の場所に移動する。以前、転倒したマシンがガソリンをこぼした時があり、消火器をかついで50mダッシュしたことがある。結局は使うことはなかったのだが、持って走るのではなく、肩にかついで走るというのが基本で、これが結構きつい。できればしたくない仕事だ。コースサイドには、消火器が入っている箱がある。前に四輪のレースで火を噴いたマシンがあり、ドライバー自らが降りて消火器を使っていたことがある。そういうシーンにはでくわしたくはない。

 30分かけて、コース整備をする。コースには落ち葉が多い。朝露で濡れていて、これにのると二輪のマシンは滑ってしまう。竹ぼうきやブロワーとよばれる掃除機を使ったりして落ち葉をコース外に出す。一番有効なのは、高圧洗浄機だが台数が少ない。それでもスタート30分前にはコース整備が終わり、主催者のコース確認に間に合った。

 ポスト主任の西田とは10年来の仲間だ。西田の方が若いが、経験はむこうが長い。若い時はレーサーをしていたという。

 9番ポストは裏ストレートのブレーキポイントにある。右90度の馬の背コーナーにむかって突っ込んでいく箇所だ。ライダーの技量が見られる。劣っていればオーバーランして、グラベル(砂場)につかまるのだ。

 だが、今日は全日本のレース。皆それなりの技量をもっている。オーバーランするライダーはいたが、バランスをとってグラベルを抜け、またコースに復帰していく。

 健はコース後方を見ていた。主にはブルーフラッグを振るためである。午前中のフリー走行では遅いマシンに対して、何度か振ることがあったが、午後の決勝では周回遅れのマシンにしか振ることはしない。J-GP3やST600, ST1000のレースでは周回遅れはでなかった。メインのJSBクラスではチャンピオンの中嶋が速すぎる。20周目で周回遅れが出て、健はブルーフラッグを振った。その後に、無線にとんでもないことが飛び込んできた。

「こちら7ポスト。白煙をだしています。ゼッケン49番」

管制からブラックフラッグ提示の指示が来て、ゼッケン49番のマシンにそれを出した。指さしも忘れなかった。他のマシンにだしたら大変なことになる。そのマシンは、健の前を通りすぎたところで、コースサイドに停まった。マシントラブルだ。後で知ったことだが、ハイポイントコーナーで接触し、転倒したということだ。

「全ポスト、レッド。全ポスト、レッド!」

という指示がきた。レース中断だ。レインボーコーナーでオイルラインがあるということで、オイル処理をするように指示があった。その前に、9ポスト前のコースを確認したが、オイルラインは見えなかった。西田と二人で裏ストレートを上る。800mもある上りで小走りでいったが、後半は歩きになってしまった。他のポストからも応援が来ている。総勢30名近くで、オイル処理が始まった。パーライトという白い粉をまき、足でこすりつける。そうやってオイルをしみこませるのだ。その後、ほうきやブロワーで粉を吹き飛ばす。30分かけてレインボーコーナーのオイル処理は終わった。これでレース再開と思いきや、主催者がコースの確認をし、だめサインを出した。うっすらと9ポスト前までオイルラインが続いているというのだ。

 健は手でそのラインをさわってみたが、オイルのにおいもしなければ、滑る気配もない。だが、主催者はオイル処理を主張する。コース長も主催者には逆らえない。またもやオイル処理が始まった。高速からの下りの90度コーナーなので、ほんのちょっとしたオイルの跡でも危険なのだ。そこで、JSBのレースは終了となった。規定の75%をクリアしたからだ。

 問題はラストのJP250のレースだ。すでに出走の時間は過ぎている。このままいくと、日没になりレースはできない。4時30分過ぎ、オイル処理は終わった。オイル処理に1時間もかかってしまった。ポストにもどってきて、JP250のレースは中止だなと思い、フラッグの片づけを始めた。すると、4時45分に無線で

「5時にJP250のレースを開始します。周回数は10周に短縮します」

というアナウンスが入った。

「オー!」

という歓声がいたるところで上がった。

 レースは夕闇の中、無事終わり、ウィニングランを迎えた。健と西田は9ポストの外に出て、ライダーに手を振り健闘を祝していた。優勝したライダーは頭を下げて、その祝福に応えていた。全ライダーが通り過ぎたと思ったら、1台だけゆっくり来たライダーがいた。すると9ポスト前でマシンにすくっと立ち、我々に向かって手を合わせ、頭を下げていったのである。西田が

「危ないよ!」

と叫んだ。すると、90度コーナーで腰をおろし、曲がっていった。後で、他のオフィシャルに聞いたら、いたるところでスタンディングをして、手を合わせていたようである。だから一人だけゆっくりだったのだ。

「危ない行為だけど、殊勝な心掛けだね。20年近くオフィシャルをしているけれど手を合わせられたのは初めてだね」

と西田が感心していた。

 あたりは、クルマのライトが必要なくらい暗くなっていた。本日の任務終了。

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