レースの人々

飛鳥 竜二

第1話 レースクィーン

 茜は地元のモデル事務所に所属し、今年地元サーキットのレースクイーンに選ばれた。週末は、サーキットにいることが多くなった。平日は、PR活動でTV局等のメディアに行ったり、パーティーに出たりして広報活動をしている。

 今日は、全日本ロードレース選手権である。オートバイのレースでは国内最高峰である。メインのスーパーバイクのレースが午後3時スタートとなった。

 レースクィーンの大事な仕事は、コースの中央でカウントダウンボードを提示する仕事だ。5分前、3分前、1分前、30秒前と提示する。思ったより重くて、高く持ち上げてターンするのは容易ではない。ましてや10cmもあるハイヒールをはいている。レースクィーンになるためのオーディションでこれをさせられた時には、面喰ってしまった。中にはうまく回れなくて、こけた人もいたくらいだ。

 5分前ボードは、グリッドにつく最終タイムを示している。これに間に合わないとピットレーンからのスタートとなる。

 3分前ボードは、各チーム2名のメカニック以外はコース上から退去しなければならない。茜はこの瞬間が好きだった。全員が自分を見て行動しているのは隠れた快感だった。

 1分前ボードは、エンジンスタートだ。一斉にエンジン音がうなる。興奮する瞬間だ。残っていたメカニックも退去する。

 30秒前ボードは、スタートラインにマシンをつけなければならない。メカニックはこの時間までに退去していなければならない。

 へそをだしてのコスチュームは、初めはすごく恥ずかしかった。風のある日は結構寒い。でも、これが仕事とわりきっている。モデルの仕事は見られてナンボである。見られることを嫌がったら仕事にはならない。

 ボードを出すタイミングはスタッフがだしてくれる。ただ、タイムリミットがあるので、のんびりはしていられない。5秒でポジションに行き、5秒ずつ3方向にボードをかかげ、5秒でもどる。往復25秒だ。30秒前ボードを出す時は、もどってきてすぐだ。

 ウォームアップランでマシンが一斉に出ていく。スタート練習を兼ねているので、皆本番モードだ。レースを知らない人は、レースが始まったと思ってしまう。

 レースクィーンの私はピットレーンの内側で、マシンがもどってくるのを待つ。しばしの静寂だ。マシンの調子が悪くて、ピットにもどってくる場合もあるので、そういう時は、見送るのが私の役目である。

 レーススタート。赤いシグナルが5つ全て点灯した後、消える。それがスタートの合図だ。第1コーナーで接触がないことを願う。今回は無事通り過ぎた。2周目、時速300km以上のスピードから上体を起こしながら急減速。それが茜の目の前で起きる。グォン・グォンと音がなり、マシンを倒してターンしていく姿はほれぼれするぐらいだ。もしかしたら根っからのレース好きなのかもしれない。

 2周目を全車が通り過ぎると、ピットレーン出口の詰め所に入る。冬ではないが、オーバーを羽織る。でないと体が冷えてしょうがない。いっしょにいるのは、スタッフの井口さんだ。彼の仕事はボードのタイミングだしとピットレーンの出口担当だ。ペナルティのマシンがいると、それを止め、タイムを計測しなければならない。大事な仕事なのだが、頻繁にはない。レース中のほとんどはモニターを見ながら、私にレースの解説をしてくれている。本当は静かにしていてほしいのだが、彼は話し好きだ。でも、時にはしつこいカメラマンから助けてくれるので、悪い人ではない。

 20周目、ハイポイントコーナーで事故が起きた。2台が接触して1台がグラベル(砂場)で転倒した。近くにいたコースオフィシャルが近寄っていって、そのマシンを安全地帯に移動する。そこで、問題が起きた。レースに復帰したいレーサーが、確認をそこそこにして再スタートしていったのだ。案の定、次のレインボーコーナーでオイルが噴出した。ライダーが気づいたのは裏ストレートが過ぎてからである。レースは赤旗中断になり、オイル処理をしなければならなくなった。1km近い距離にオイルラインが出ており、その場だけのスタッフだけでは足りないので、サーキットの他の場所からも応援が出た。井口さんも救急車に乗って、その場に向かっていった。

しばらくして、レースは終了。規定の75%を越えているので、レースは成立である。 

 茜は、することが無くなったので表彰式の準備のためにコントロールタワーの詰め所に移動した。そこには仲間のレースクイーン2人がいた。メインのレース前にJGP-3、ST600、ST1000のレースがあり、その表彰式は2人に任せていた。メインのレースは3人体制で、茜は3位のトロフィー授与の補助とシャンパンの受け渡しを担当することになった。

 シャンパンの受け渡しはスムーズに行わなければならない。時には、シャンパンをかけられるレースクィーンもいるのだ。コスチュームにかけられたら後始末が大変だ。着替えはない。別のコスチュームはあるが、他の2人にも着替えをしいることになるからだ。

 オイル処理は思ったより長くかかっている。最後のレースのJP250のライダーたちが集められている。競技長は、日没が近いので、中止をしたいと言ってきたようだ。だが、ライダーたちからはブーイングが出ている。その様子が詰め所からよく見える。

 ライダーの代表が、

「日没ぎりぎりの5時まで待って、それでオイル処理が終わっていたら走らせてほしい。せっかっくの全日本の舞台だ。ここまで来て、レースをしないで帰るのはたまらない」

と言った。それに多くのライダーが賛同している。それで、競技長は相談すると言って、コントロールタワーに戻っていった。現在4時30分。本来ならばレースが終わっている時刻だ。

 4時45分。レース実施が決定された。いたるところで歓声があがっている。茜はいそいでピットレーン出口に向かった。カウントボード提示まで少しの時間しかない。ハイヒールで走るのは至難の業だ。陽が陰ってきていて、寒さも感じる。それでも観客の前でオーバーを着ることはできない。

 息せききって、ピットレーン出口についた。井口さんから、

「よかった。間に合って。オレがだそうかと思ってました」

「そんなことになったらモデル事務所の社長に怒られてしまいます。契約違反になってしまいます」

と、息がととのわなかったが、背中をピンと伸ばし、ボードをもってコースに出る。皆の注目をあびる。これがたまらないと思う茜であった。

 レーススタート。スタートダッシュは同じだが、コースに出てからは皆慎重に走っているようだ。とモニターを見ている井口さんが言っている。オイル処理がされたところには、白いラインができている。コーナーでそれに乗ると滑る可能性があるのだ。

 レーススタート。さしたるトラブルがなく、レース終了。空はどんよりとしていて、ライトをつけているクルマもいる。よくぞレースをやったと思う。

 表彰式の時には、もう陽がおちていた。茜は担当ではなかったので、表彰台の横でポーズを立っていた。そこにカメラ小僧たちが集まってきた。さかんにシャッターをおしている。中にはストロボをつけて撮る人がでてきたので、表彰式の邪魔になると思い場所を変えようとした。すると

「動かないで!」

というカメラ小僧の声。

「すみません。表彰式の邪魔になりますので、場所を変えさせていただきます」

と言うと、

「俺たちはここがいいんだよ」

という罵声がとんできた。困っていると、井口さんが助けてくれた。

「はいはい、皆さん移動を願います。かわいい茜さんを撮りたいなら、オフィシャルカーの横が一番いいですよ」

ということで、新型のセーフティカーの横に動かしてくれた。小さい声で

「ありがとう、井口さん」

と言ったら、ニコッと返してくれた。

 1日が終わった。夜8時に帰ることができた。1日中、ハイヒールをはいているのは疲れる。パンプスにはきかえるとホッとする。事務所のクルマで家まで送ってもらい、その日の任務終了。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る