第12話 お稲荷さん

『――よく参られた、死神。そして、千歳』


 白い狐は、厳かな声でそう言い放つと、死神その次に千歳と順に見やった。


「え……まさか」


『うむ。私はここの社を任されておる』


「神様!?」


 それに狐はまたもや目をゆっくりと細めた。それは、笑っているようにも、吟味されているようにも見えた。


『此度は災難であったな、千歳。まあ、そう落ち込むことでもないがな』


「あたしの名前なんで知って……」


『毎朝名乗ってから参っておっただろう。一度名前を言われれば覚えるのだから、毎日来る人間の顔と名前くらいは覚えておる』


「神様に覚えてもらえてるなんて嬉しい。ありがとうございます!」


 千歳がほころんだ。


『――ところで、旅立つのか?』


 白狐は、死神を見つめた。


「ええ。ご存知かと思いますが、ちょっと手違いがありまして。千歳さんがせっかくだからご両親にも会いたいということで、同行することにしました」


 なるほど、と言わんばかりに狐の神様はうなずいた。


『良い機会だ。気をつけて行くのだよ』


「はい」


 死神が素直に答え、狐の神様は千歳に向き直った。


『しばらくは会えぬが、心配せんでも良い。また、肉体に戻ったら参られよ。待っておる』


 狐の神様は鼻先を伸ばしてくると、ちょんと千歳の頬をつついた。ふわ、と身体が軽くなる。と同時に、まだ胸の奥の方でつかえていた吐き気が取れた。


「え?」


『まだ安定しておらぬようだからな。これで、人にすり抜けられても大丈夫だろう』


「なんで、それを……?」


 狐の神様は、小首をかしげた。


『人の念とは、そういうものだ。念をまとっていれば、それは他に伝染する。千歳は誰かからもらってしまったであろう負の感情を持っておった』


 千歳は目を見開いた。


『この死神は負の感情がない。だから、安心してついて行くと良い。良い旅になるように見届けよう』


「ありがとうございます! 何から、何まで」


『われらは不平等な存在だ。慕われれば手を貸す。それはしかし、えこひいきではないのだ。毎朝来ていた千歳のことを私が想うのは、お主が先に慕ってきたからだ。これからも良い魂でい続けるんだよ、千歳』


 そう言うと、すぅ、と空気の中に白い狐の姿は消えて行く。


「あ。ま、待って! まだ話したいことが…!」


 しかし、その千歳を待たずに、くるりと尻尾を回すと何もいなくなってしまった。


「せっかく会えたのに。もっとお話ししたかった」


「大丈夫ですよ。また会えますし、またお話すればいいんです。神と人間の関係は、一方通行などではありません。必ず聞いていますし、必ず目をかけてくれていますから」


 それもそうか、と千歳はいつものように礼をして手を合わせ、そしていつものようにお参りをする。


 どうか、二人とも無事で帰ってこられますように、と。


「まあ確かに。誰からも見られていないって思っていたけど、あたしが他の人と間違えられているって気づいてくれたのは死神だもんね。死神も神様の類なんでしょ? 死神が見ていてくれたんだったら、神様に見守られていたって、私が身をもって体験したことだものね」


 死神は無表情に千歳を見つめた。その彼の手を握ると、千歳は「ありがとう、気がついてくれて」と素直に感謝する。


 魂魄の状態では、隠し事などしても無駄だった。そのせいか、千歳はいつもよりも少しだけ素直になれた気がした。


 魂とは、素直に物を感じる器官なのかもしれないと、そんなことを思いながら、社を後にした。

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