第11話 白狐
朝のラッシュ時刻をほんの少し過ぎていたため、まだ人は多いものの、電車内には隙間があった。三駅だけなので、入り口近くに二人で向かい合って立った。相変わらず握られた手から伝わる温もりはあたたかく、先ほどの人間の負のエネルギーとは比べ物にならなかった。
「……変なの、死神なのに、あったかいし心地いいなんて」
「私たちに感情はあまりありませんので、人間とはやはり違っているのでしょう。だから死神でいられますし、人の念の影響を受けにくいのです。
ですが、怒ったりもないですし、幸せを感じることもありません。それらを感じられるということは、幸せなことだと思いますよ」
「幸せだけ感じられる方法ってないの?」
その質問に、死神は少しだけ考えた。
「……無いでしょう。どちらも感じられなければ、どちらも感じなくなります。ただ、それが大きいか小さいか、どちらに重点を置くかの違いだけです。例えば、ジュースをごちそうしてもらってああラッキーだなと思うか、ジュースだけじゃ割に合わないなと思うのかで、物事の捉え方や人となりが変わってくるのでしょう。ここの駅ですよね。降りましょう」
死神に手を引かれて、千歳はいつもの駅へと降り立った。過ぎ去った電車の後ろから視線を感じて振り返ると、そこにぼんやりと青い人影が浮かんでいた。
「……列車に飛び込んだ人の思念ですよ。さあ、行きましょう」
千歳はその青白い思念のやりきれない表情に思わず心が締め付けられた。
***
駅の階段を登りきると、外はすっかり晴れていて気持ちが良かった。風が強いのか、顔の半分までみんな覆い隠すようにマフラーにうずもれて、手袋をしていない人が、赤くなった指先を握りしめていた。
「そっか、寒いとか暑いとかも、感じないんだ……」
「肉体があるからこそ、物質世界の色々を感じることができます。今は無理でも、また身体に戻ったらこの寒さもきっと感じられるようになりますから。
あ、ちょうど連絡が来ましたよ。無事に千歳さんの身体は回収されて、安全なところに保護されたようです」
「どこに持って行ったのかな?」
「さあ、それは私の管轄外なので、なんとも言えません」
死神はビジネスライクなのか、答えてくれるところと答えてくれないところの線引きがいまだに千歳にはわからなかった。しかし、答えられないことに関しては答えられないと言ってくれるので、何でも聞いてしまえばいいやと開き直りつつもあった。
「ええと、千歳さん。場所ってこちらで合っていますか?」
「うん、この先をまっすぐで」
人が避けて行く死神の横に立ちながら、魂魄の状態で眺めるいつもと違う街並み。今まで見えなかったものが見え、感じていたものが感じられない違和感。きょろきょろと見まわしながらも、しっかりと手を繋いだまま歩いた。
正面に、小さな稲荷神社が見えてくる。
「そう、ここここ! 毎朝ね、ここにお参りに来ていたの。出勤前にね」
「何でですか?」
「何でって」
大学入学前まで住んでいた実家には、神棚があった。祖母と両親は、毎朝お供えをかえて必ず朝お参りをしていた。見よう見まねで千歳もそれをしており、それがいつしか習慣になっていた。
大学に入って独り暮らしを始めると、アパートにもちろん神棚があるわけではなく、ついついどこに手を合わせていいのか分からなくて朝、学校へ行く前に太陽に向かって拝んでいた。
就職してからはマンションに移り住んだが、神棚を購入するのも手入れができないと困るので、近くの神社を見つけてお参りしていた。中途採用をしてくれた会社の近くにお稲荷さんがあったので、そこに毎朝お参りに行くのは、幼いころから続けていた朝のルーティーンを再度始めたに過ぎなかった。
「何となくわかりましたよ。とりあえず、行きましょうか。あなたを待っている人がいるようです」
「あたしを? 誰が?」
並んで歩いて鳥居の前でお辞儀をすると、そのお社の屋根の上に、真っ白な狐が現れた。
「え……」
「千歳さん、あなたを待っていたようですよ」
死神に言われて、見れば、美しい白狐は笑うように目を細めた。
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