第10話 人の念
「……死神、気持ち悪い…」
「大丈夫ですか?」
券売機で切符を律儀に購入している死神に、千歳は青い顔を向けていた。死神が券売機に謎のお金を投入して半透明な切符を購入している最中、そこには生きている人間が近寄らない。その脇で、千歳は吐くものなど胃の中に何もないのに吐き気に襲われていた。
「早く電車に乗って、移動しましょう」
切符を渡されて呆然とそれを眺めていると、生きた人間が千歳の身体を通過する。それをされると、何やら気分が悪かった。
「まだ、魂魄が安定していないからですね。なので、生きた人間の感情がダイレクトに千歳さんに影響してしまっているようです」
死神が手を繋ぎましょうと差し伸べてくれた手につかまると、その瞬間にほっとして吐き気が和らいだ。
「私から離れないでいてくださいね。私のそばにいれば、生きた人間があなたを通過することはありませんから」
その言葉通り、死神は生きた人間にはぶつからなかった。というよりも、生きた人間がすぅ、と避けて行く。不思議な存在だなと千歳は改めて死神を見た。
「私の顔に、何かついていますか?」
「いや……なんでかな、死神の手を握ったら、すごく落ち着いたの」
繋がれた右手からは、死神の温もりが伝わってくる。
「また気持ち悪くなりますけど、それがなぜか知りたかったら、そこの人間に左手で触れてみてください。手だけです。大丈夫ですよ、透過しますし、気づかれることはありません」
気持ち悪くなるのは嫌だったのだが、何かを死神が伝えようとしている気がしたので、千歳は駅で並んでいるスーツのサラリーマンに触れようとして、手が彼の中にずぼっと入り込んだ。
途端。
――う、うわっ!
そのサラリーマンの感情がどっと千歳に流れ込んでくる。
会社への不満、人混みへの不満、イライラ、彼女との関係への不満。知りたくもないのにどっと感情が流れ込んできて、千歳が固まってしまっていると、死神が千歳の手を人間から離した。
「千歳さん、大丈夫ですか?」
両手を握ったまま、死神が千歳を覗き込んできた。端正な顔が間近にあった。
「だ、大丈夫じゃない……なに、これ?」
やっと忘れていた呼吸をすると、千歳は死神を見た。
「生きている者の念です。さっきは一瞬で通過したので、ほんのちょっとその人の念に触れただけでしたが、今はしっかりと触れたので分かったかと思います。これが、生きているものが持つ念の力です。あなたは今、魂魄という念と同じようなエネルギーの状態ですから、影響を受けやすいのです」
心臓がどくどくと跳ね上がっていた。驚いて固まってしまい、死神が手をぎゅっと握ったので、ふと我に返る。
「大丈夫ですか? あなたの魂魄はまだ不安定です。落ち着くまでは、手を繋ぎましょう。そうでないと、生きている者たちの念に影響されてしまいますね。先ほど気分が悪くなったのも、気分が悪いと思っている念を持っている人間に触れたからだったり、負の感情を持つ人間がいたからでしょう。人の念は、恐ろしいものですね」
死神はぽつりとつぶやいた。
千歳が死神の手をぎゅっと握り返したのは、恐怖からだった。人の念、特に負の感情がこれほどまでに凄まじいとは思わなかった。
自分だって今まで感じてきていたものなのに、いざそれを身をもって体感すると、心穏やかに過ごせることや、不満を不満とも思わないような幸せな心持ちでいられることが、どれだけ素晴らしいことなのかと思った。
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